「法体に約して」の日寛上人御指南

顕正会論客を論破する

現在X上にて顕正次郎氏との対論が続いております。

時間のある方は上記スレッドを追って頂ければ話の内容が見えて来るかと思いますが、要約すると日寛上人の御指南には「法体に約しての立て分け」は無く、日相上人聞書の立て分けも事相に約した立て分けであるという浅井昭衞さんの主張をトレースしたものとなっています。

顕正会員としては優等生的な回答なのですが、果たして本当にそうなのか?というのが上記やり取りの内容です。現時点での彼等の主張の反論をここで行いたいと思います。

ふよう氏の主張

この顕正次郎氏の回答はそれ以前に頂いたふよう氏からの主張と重なる点が多いため、先ずはふよう氏の主張を確認します。

ふよう氏がおいくつなのか、顕正会歴が何年なのかは存じ上げませんが、一生懸命勉強されていて感心致します。ただ、顕正会の書籍だけで勉強していても自ずと限界が見えてきます。ふよう氏ほどの方であれば昭衞氏の色眼鏡を外してもっと幅広く知識を吸収すれば数十年後には一角の人物になるかとは思うのですが、その気持ちが無いのであれば女子供といえども全力を挙げて叩き潰すまでです…、残念ながら。

「事」「義」の意味するもの

これは私が正宗信徒になってから20年以上ずっと言い続けてきたことですが、日蓮正宗に於ける「事」「義」との言葉の使い方は、昭衞さんが言うような「事とは事相」だけではないのです。以下に日顯上人のお言葉を紹介します。正宗では須らくこのような使い方をします。顕正会が新興宗教顕正会であるならばどのような解釈をしてもどうでも良いことですが、大石寺の潮流を語るならばこれにしたがって全てを判断していくのが筋でありましょう。

ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。

仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。

本門事の戒壇の本義

つまり「義」というところには自ずと相対する「事」が存在します。これらを捌く物差しが何なのか、そして「義」の指す「事」とは何なのかを常に考えながらお言葉を考えていかなくてはいけないのです。

若し当流の意はに顕わす、是の故に法体本是れなり、故にの一念三千の本尊と名づくるなり。

六巻抄48㌻ 顕正会版六巻抄49㌻

顕正会の論理だけでは上記御指南を解釈するのは不可能です。赤で抜いた「事」は昭衞さんの物指しでOKですが、青字で抜いた部分は言葉は同じ「事」であっても意味するところが違います。

顕正会の皆さんご理解頂けましたか?顕正会の教学だけでは大聖人様の御法門を正確に理解することは出来ないのです。残念ながらこれが真実なのです。

日寛上人御指南に見る「法体に約して」のたてわけ

それでは本題に入ります。

顕正次郎氏の最終ポストは以下になります。

顕正次郎氏は日寛上人の御指南に「法体に約して」の記述は無いと断言致します。この思考は先のふよう氏のポストにも垣間見れます。

ふよう氏も戒壇に関して日寛上人が言及されている御指南、「文底秘沈抄」「依義判文抄」「法華取要抄文段」「報恩抄文段」のいずれにも法体に約しての記述が存在しないと認識されているようです。

しかしこれは大いなる誤解です。実はいずれの御指南にも須らく「法体に約して」の御教示を日寛上人は述べられているのです。それでは其々確認していきましょう。

文底秘沈抄

文底秘沈抄に関しては過去記事にて触れておりますのでお時間のある方は読んでみてください。

ここにおいて日寛上人は冒頭部分の「事相に約した事・義」を論じた後に引き続き「問う、霊山浄土に似たらん最勝の地とは何処を指すとせんや。」として戒壇建立の地についてあらゆる角度から検証しております。

問う、癡山日饒が記に云わく「富士山に於て戒壇を建立すべしとは是れ所表に約する一往の意なり。謂わく、当に大山に於て大法を説くべき故なり、例せば仏十二の大城の最大王舎城霊山に於て法華経を説けるが如し、即ち是れ大法を説くことを表わす所以なり、再往所縁に約する則んば本門流布の地皆是れ富士山本門寺の戒壇なり。故に百六箇に云わく、何の在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべきなり云云。経に云わく、当知是処即是道場とは是れなり、何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し本山と為さんや」略抄、此の義如何。

(六巻抄 66~67 顕正会版 67) 

上記は本門流布の地においてはどこであっても本門戒壇を建立することができるという邪義です。これに対して日寛上人は

「経に云わく、即是道場とは是れなり」といわば、彼の経文を引くと雖も経文の意を知らず、今略して之れを引いて其の意を示すべし。経に云わく「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても是の中皆応に塔を起てて供養すべし。所以は何、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり、諸仏此に於て三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃す」云云。「若経巻」とは即ち是れ本門の本尊なり、「皆応起塔」とは本門の戒壇なり、故に此の文意は本門の本尊所住の処に応に本門の戒壇を起つべし。所以は何、当に知るべし、是の処は法身の四処の故なりと云云。明文白義宛も日月の如し、何ぞ曲げて私情に会せんや是四。

(六巻抄 68  顕正会版 69)

戒壇建立の地は戒壇の大御本尊の住所である。理由はそこが法身の四処に当たるが故である。と切り捨てておられるのです。これすなわち法体の立て分けに迷う者に対して法体の根源と枝流のけじめを御指南されたもの以外の何ものでもありません

このように文底秘沈抄の中にも「事」「義」との言葉は無くとも「法体に約しての立て分け」というものは織り込まれているのです。

顕正会では冒頭の事相に約した立て分けのみしか教えていませんが、これは文底秘沈抄戒壇篇の1割にしか過ぎません、残りの9割は法体に約した立て分けの御指南を日寛上人は下されていることを顕正会員は頭を垂れて拝読すべきであります。

そして冒頭の事相に約しての「義」と残り9割の法体に約しての「義」の意味するものを顕正会員は徹底的に考えなくてはいけないのです。

依義判文抄

依義判文抄の「第七に神力品の『爾時仏告上行』等の文」の段(六巻抄101㌻顕正会版六巻抄100㌻)は当に今回取り上げられている日相上人聞書に於いて上人が御指南遊ばされた箇所です。ゆえにこの御指南は何度も何度も読み込んで完全に腹の中に落とし込む必要があります。100回、200回ではまだまだ足りない、最低でも1000回2000回は繰り返し読み込んで、自ずと其の意とするところを御仏智として頂戴できるまで拝読すべきものでございます。

初めに義の戒壇を示すに亦二と為す初めに本門の題目修行の処を示し、次に「若経巻」の下は本門の本尊所住の処を明かす。故に知んぬ、本門の題目修行の処、本門の本尊所住の処、並びに義は本門の戒壇に当たるなり。故に宗祖の云わく「霊鷲山とは御本尊並びに南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処を説くなり」云云。又云わく云云

六巻抄104㌻ 顕正会版六巻抄103㌻

ここにおいて日寛上人は義の戒壇に「題目修行の処」と「本尊所住の処」の二つがあることを示されていますが、前項の文底秘沈抄のようにそれぞれの「義」が相対する「事」とは何なのかを先ずは考えなくてはなりません。

日相上人の聞書の御指南部分を拝読すると「所在国土等文。是れより下は在々処々なり。」とあります。これをもって日寛上人の御指南を当てはめると上記「本門題目修行の処」が在々処々安置の処の「義理」となるわけです。

一方で「皆応に塔を起てて供養すべしとは正しく戒壇建立なり。」とあり、上記の「次に「若経巻」の下は本門の本尊所住の処を明かす。」に該当します。この部分を法華経の該当部分に当たってみると

若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし

六巻抄101㌻ 顕正会版六巻抄101㌻

と、このようになっております。それぞれを「義」が指し示す「事」とは在々処々の場合は根源の法体、すなわち戒壇の大御本尊御在所になり、戒壇の大御本尊御在所の「義」は御遺命の戒壇の堂宇をもって「事」と捌かれているのです。

このように依義判文抄においても法体に約しての立て分けを日寛上人は論じておられます。

法華取要抄文段

法華取要抄文段においては今まで見てきた各御指南よりも更にハッキリとした形で法体に約しての立て分けに触れられます。

亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云。凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く源遠きに非ずや。故に天台の云わく「本極法身は微妙深遠なり」等云云。

日寛上人御書文段543㌻

ここにおいて日寛上人は嫡々書写の本尊(在々処々の本尊)安置の処を「義」の戒壇とされますが、それを受ける「事」とは、枝流にあたる嫡々書写の本尊に対して根源である戒壇の大御本尊であると示されています。これは先に申し上げた文底秘沈抄の道理にも共通するものです。

浅井昭衞氏も折伏理論解説書(改訂版)128ページに於いて

すなわち広宣流布の時になれば、諸宗の本山・寺々に至るまでみな大石寺の末寺となって、嫡々の貫主上人が書写された本尊を安置するようになる。この処も枝葉として義の戒壇に当ると仰せられている。もちろん広布以前に嫡々書写の本尊を安置している本宗の末寺・在家の道場がその義に当ることは論を待たない。

日蓮大聖人の仏法改訂版128㌻

と、このように説明しております。ここでは「義」に相対する「事」には言及されていませんが、昭和46年の「正本堂」に就き池田会長に糺し訴うには浅井昭衞氏はもっとハッキリと言い切っております。

申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。従来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。

此のことは、昨年四月二十七日の大客殿に於ける御説法に明かである。即ち

「この御本尊在すところは事の戒壇で、この御本尊が事の御本尊である。事の御本尊である故に、この御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります」と。猊下の御意は以て明かである。

だが、学会で従来用いて来た「事の戒壇」の意味は宗門古来よりの定義に準じている。その定義を以て「正本堂を事の戒壇」と断定するから仏法の違背というのである。

「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う

顕正次郎氏はこれを「先生は「伝統法義とは別」だと細井管長独自の定義と、区別されてますよね これについては、納得してないわけですか?」と噛みついてくるのだが、最後の黄色のマーカーを見て欲しい、そもそも事の戒壇の定義に昭衞さんがこだわったのは、学会が正本堂を御遺命の戒壇としようとしたからです。当時から日達上人をはじめ御宗門では正本堂を御遺命の戒壇とは見ていないことは昭衞さんの発言でハッキリとしております。当然のことながら現在の宗内においてもそのような見解は全くなく、御遺命の戒壇建立は未来のことであると認識している。どこに問題があるのでしょうか?

さらに言えば私は昭衞氏の言うところの「伝統法義」なる事相に約しての立て分けを全く否定していない。その上でそれとは別の立て分けが日蓮正宗には古来より存在しているとあなた方顕正会員に教えて差し上げているのです。もっと高い位置から客観的にこの問題を見るべきではないでしょうか。

以上、法華取要抄文段においても法体に約しての立て分けが論じてられていることを証明致しました。

寿量演説抄

ここまで読んで頂けた方々は戒壇の立て分けには二つの物指しによる「事」と「義」が存在すること。そして日寛上人の御指南には必ずこの二つを織り込まれて御指南されていることが理解できたことと思います。

この最たるものが顕正会員でも皆さん知っている寿量演説抄における日寛上人のお言葉なのです。

未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊存する上はその住処は即ち戒壇なり、その本尊に打ち向かい戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱うれば即ち本門の題目なり。志あらん人は登山して拝し給え

日寛上人御述作集 99㌻

この冒頭に於いて「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊存する上はその住処は即ち戒壇なり」として日寛上人は事相に約しての立て分けを論じます。その上で最後に「志あらん人は登山して拝し給え」として寺院や家庭の御本尊と根源の大御本尊との立て分けを論じているのです。これは前項で確認した法華取要抄文段の

妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云。

文段543㌻

と同義であり、おなじ意義は文底秘沈抄の

又云わく「何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し、本山と為さんや」と云云。

 今謂わく、鳴呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。

 一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり。弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を稟く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云云。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云云。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。

(六巻抄 68~69 顕正会版 69~70)

にも確認出来るものです。つまりこの短いお言葉の中にも日寛上人は事相に約しての立て分けと法体に約しての立て分けを織り込んで御指南下さっているのです。

報恩抄文段

最後に報恩抄文段です。私がこの報恩抄文段を最後に持ってきたのには訳があります。それはこの報恩抄文段における戒壇の御指南こそ「法体に約した立て分け」そのものであり、かつ余計なぜい肉をそぎ落とした非常にスマートな御指南であるからです。ただしぜい肉がついていない分だけ一言一言の意味するものは重くなっています。ゆえに基礎教学が無いと正しく理解することが困難なばかりか、いとも簡単に誤った解釈になってしまうのです。それでは詳細を見ていきましょう。

一、二つには本門の戒壇文。〔一〇三六〕

本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、道理なり。亦義の戒壇と名づけん。謂わく、戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり。「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」等云云。

次に事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。外の十六四十一に御相承を引いて云わく「日蓮一期の弘法、白蓮阿閣梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と云ふは是なり」〔一六七五〕云云。

重々の道理あり。予が文底秘沈抄の如し

(報恩抄文段 下末) (御書文段 469)

比較の対照および物差し

先ずは比較の対照を確認してみます。

前段では嫡々書写の本尊安置の処を「義理の戒壇」とし、後段において「事の戒壇」を御遺命の戒壇としています。

一見すると折伏理論書の立て分けと同じように思えますが、義理の戒壇は「戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり。」との言及に留まり、広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の御在所を「義の戒壇」とはしていません。つまり広宣流布以前の戒壇の大御本尊の御在所は「義理の戒壇」の中には置かないということです。一方で「事の戒壇」とは御遺命の戒壇とされている…。

この御指南において「事」「義」を立て分ける物差しは「是の処は即ち是れ道場」であり、依義判文抄で述べられた二つの義理のうちの前者(本門の題目修行の処)です。これは後者で説くところの「本尊所住の処」の義理、すなわち事相に約しての義理ではありません。

そこを混同しているのを叱責されたのが文底秘沈抄における癡山日饒への破折です。これらの流れから明らかなように、この報恩抄文段における立て分けは法体に約しての「事」と「義」なのです。

略す

されば「広宣流布以前の戒壇の大御本尊の御在所」はどこへ行ってしまったのか?これに関しては浅井さんが過去に言及しています。以下にその発言を見てみましょう。

「広布達成の時に約して、直ちに国立戒壇を事とし、嫡々書写の本尊の所住を理(義)と示されているのである。『富士山戒壇の御本尊御在所』とは、まさしく広布の時の国立戒壇を意味している。ゆえに『事の戒(壇)』と仰せられているのである。そして広布以前の戒壇の大御本尊の所住については略しておられる。このように、略して事と義を示される御論法は、日寛上人の報恩抄文段にも見られる。」(顕正新聞 平成元年1月25日号)

これは日相上人の開合の相に関して浅井さんの解釈を述べたものです。青でマーカーしてある部分は文意を捻じ曲げた浅井さんの己義以外の何ものでもないのですが、後半部分の「 広布以前の戒壇の大御本尊の所住については略しておられる。このように、略して事と義を示される御論法は、日寛上人の報恩抄文段にも見られる。 」との言はまさしくその通りであり、今回取り上げる御指南には「広宣流布以前の戒壇の大御本尊の御在所を省略して日寛上人は述べられている。」ということの証明として紹介させて頂きました。

二重の義理

この「省略してますよ。」ということは日寛上人自らが言及されています。それが最後の「重々の道理あり。予が文底秘沈抄の如し。」の一節なのです。「重々の道理」とは二つの道理(義理)のことです。文底秘沈抄に「事相に約しての立て分け」と「法体に約しての立て分け」が説かれていることは先ほど御説明させて頂きました。当にその二つをこの御指南には含ませて説いたと日寛上人は仰せなのです。

つまりこの報恩抄文段での立て分けは「法体に約して」ですが、「事相に約して」の「義理」は表面上は省略している。しかしながら開合の相を正しく理解するにはそれもまた考慮に入れて考えるべきである。と注意を促されているのです。

これを図にすると以下のようになります。

上記の赤枠で囲った部分を報恩抄文段では省略して説いているのです。

顕正会流解釈の誤り

ここで顕正会の皆さんは「いや違う!広宣流布以前の戒壇の大御本尊様所住の処は『義の戒壇』に配置すべきだ。」と思うことでしょう。しかし、それは誤った認識です。

仮に顕正会の皆さんが主張するように広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の御在所を「義の戒壇」に振り分けたとしましょう。するとこの報恩抄文段の開合の相は「本尊所住の処」の義理という物差しで「事」「義」を判ずるものになり、また嫡々書写の本尊安置の処を比較対象の場に取り上げる必要もまたなくなるのです。

また、もう一つの矛盾は顕正会流開き方をしたとき、広宣流布以降は「事の戒壇」も「義の戒壇」も成立しますが、広宣流布以前は「義の戒壇」の部分しか存在しなくなります。「義」というのは「道理」である。「義」だけがあって「事」は広宣流布まであり得ないというのは、理屈だけ存在して実態が存在しないということであり、広宣流布以前の衆生はすべからく成仏出来ないという結論に陥ってしまうのです。

どうでしょうか、自分たちの論がいかに支離滅裂なものかが少しは理解できますでしょうか?

日相上人文書

上記に浅井さんの言葉を借りた日相上人の開合の相に関してですが、まさにこの報恩抄文段の御指南と全く同じものなのです。日相上人の開合の相は「広宣流布以前の開合の相」であり、この報恩抄文段は「広宣流布以後の開合の相」です。その時の違いはあれども二つとも「法体に約しての事・義」で論じております。

そしてこの報恩抄文段では「広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の御在所を省略した。」という注意を「重々の道理あり。予が文底秘沈抄の如し。」として最後に申し述べ、日相上人の開合の相と全く同じ配列を為すことを日寛上人も御指南下さっているのです。

結論

このように日寛上人が戒壇の御説明をされる際は「事相に約しての立て分け」と「法体に約しての立て分け」を同時に御指南下さっているのであり、顕正次郎氏よりの問いかけ

に丁寧に回答させて頂きました。

されば顕正次郎氏が次に為すべきことは、私のこれらの日寛上人のお言葉を挙げての論証を、今度は逆に日寛上人の御指南を持って否定し、私を斬り捨てることでありましょう。

貴方様が塔中の御僧侶に向けて言い放った「逃げるなよ!」との失礼極まる言葉を私の口から貴方様に向けて言わせないよう素晴らしい回答をお待ちしております。

それではよろしくお願い申し上げます。

コメント

  1. ありの金吾 より:

    どうもご無沙汰しております。
    遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。

    昨年は浅井昭衛氏の臨終の相の悪さについて、慧妙で報道されてしまいましたね。
    昭衛氏の臨終の相については、証言者が本名を公表しているし、証拠の動画もあります。

    これで顕正会は完全に崩壊に向かうのでしょうか?

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