前回の記事で「大聖人様の御内証と戒壇の大御本尊様の御内証は而二不二の尊体である。」こと、そして「而二不二の尊体は他にもう一か所存在する」ことを述べさせていただきました。
本日はその点に関してお話しさせて頂きたく思います。
当流行事抄
日寛上人は当流行事抄において
問う、末法は応に何なる法、何なる仏を信ずべしや。
答う、文上脱益の三宝に執せず、須く文底下種の三宝を信ずべし。是れ則ち末法適時の信心なり。起信論に云わく「一には根本を信じ、二には仏宝を信じ、三には法宝を信じ、四には僧宝を信ず」已上取意。初めの一は総じて明かし、後の三は別して明かすなり。
初めの一は総じて明かすとは、総じて久遠元初の三宝を信ずることを明かすなり。血脈抄に云わく「久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法」と。又云わく「久遠元初の結要付嘱」云云。自受用身は即ち是れ仏宝なり、無作本有の妙法は法宝なり、結要付嘱豈僧宝に非ずや。久遠元初は仏法の根本なり、故に「根本を信ず」と云うなり。後の三は別して明かすとは、久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益したもう。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん。故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし、故に「二に仏宝を信じ、三に法宝を信じ、四に僧宝を信ず」と云うなり。(六巻抄一九四頁)
と仰せになっております。顕正会の皆さんは仏宝(大聖人様)と法宝に信は置いておりますが、日寛上人は更に僧宝にも信を置かなくてはならないと言われています。このことを噛み砕いて説明された文書は破折班の書籍にあります。
すなわち、仏宝を信ずるとは御本仏日蓮大聖人を信ずることであり、法宝を信ずるとは本門戒壇の大御本尊を信ずることであり、僧宝を信ずるとは本門弘通の大導師日興上人をはじめとする御歴代の法主上人を信ずることであることは言うまでもない。
しかしてこの三宝は、『真言見聞』に、
三宝一体(新編六〇八頁)
と説かれるように一体である。このように本宗の信心における対境は大漫荼羅御本尊にましますが、御本尊を信ずることは、根本である下種三宝を信ずる義なのである。その中の一を欠いても信心は成じないことを深く知るべきである。(本宗の唯授一人血脈相承に対する邪誑の難を粉砕す 10 ~11 ページ)
どうでしょうか?顕正会の皆様も今まで法華講員から「真言見聞」を引かれて「謗法だ!」と散々やられたことがあると思いますが、おそらくピンとこなかったことと思いますが、要はこういうことなのです。
大聖人様を御本仏と信じている。
戒壇の大御本尊様を人法一箇の大御本尊と信じている。
けれども日達上人は間違っている!
これでは大聖人様の仰る「信」にはならんのです。御法主上人猊下に従えないというのは法を謗ること…、すなわち「謗法」になってしまうのです。
顕正会の皆さんは知らず知らずのうちに謗法を犯していたということなのですね。先ずはそこを自覚するべきかと思います。
御法主上人の御内証は一大事の秘法
それでは御内証とは何かといえば、日蓮大聖人が上行菩薩として教主釈尊から霊鷲山にて付嘱された法体のことなのです。
『南条殿御返事』に、
教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。(新編一五六九頁)
と御指南されるところと全く同じであり、日蓮大聖人の御胸中にまします一大事の秘法が、血脈相承によって第三十五世日穏上人の御胸中に承継されていることを示している。このように御歴代上人の御胸中、すなわち御内証には、日蓮大聖人と同じ一大事の秘法を「隠し持」たれていることを拝信しなければならない。(本宗の唯授一人血脈相承に対する邪誑の難を粉砕す26ページ)
これが正宗の信心なのです。大聖人様や戒壇の大御本尊様の御内証と而二不二(二つであって二つで無く一体ということ。)の御内証を胸中に持たれる御法主上人に刃を向けるということは、大聖人様や戒壇の大御本尊様に刃を向けることと同義になってしまうのです。
知らぬとはいえ、どれだけの恐ろしいことを顕正会の皆様はやってしまっているのか…、今一度冷静に考えてみてください。別に脅すつもりはありませんが、このまま行けば命を取られてしまうことも有り得ると思いますよ…。
コメント
どうもご無沙汰しております。
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
顕正会的には僧宝は、日興上人〜日淳上人までなんでしょうね…。
日達上人は日蓮正宗では「国立戒壇」の名称を使用しないとご指南されたから、顕正会は僧宝として認めないということなんでしょう。
顕正会は言わば、国立戒壇至上主義になっているんだと思います。
しかし、浅井昭衛氏は元々、国立戒壇にはそれほど執着していなかったと私は考えています。
昭衛氏にとって、国立戒壇は正本堂を否定するための手段であり、元々は達成すべき目的ではなかったと思います。
それゆえ、本門戒壇の大御本尊が御遷座され、正本堂の撤去が決まっただけで、「御遺命守護完結」を宣言したのだと思います。
こちらこそ今年もよろしくお願い致します。
「御遺命守護完結奉告式」は、多分あの時点では帰れるとたかをくくっていたのではないかと私は思います。
それが完全に可能性が断たれたがゆえに、その後は破れかぶれになったのだと…。
それからは顕正会が離れていなくてはならない理由づけに苦労しているようですが、昭衞さんが亡くなった現在では本当に目も当てられない程に無様ですよね。