X上にて「日蓮正宗改革 愛 好家」なる者に絡まれてしまった…。
たぶん前夜に私がつぶやいた以下の投稿が癇に障ったのかもしれない。
これによって、この者(背後にいる者も含む)がどこの誰かは確定したわけだが、これ以上苦しむ衆生を増やさないがために徹底的に論破させて頂く。
なお「日蓮正宗改革 愛 好家」という長ったらしい名前は打ち込むのに時間がかかるがゆえ、氏のことは「スピッツ」と呼ばせて頂く。氏も私のことを「一信徒」と呼称しているが、あえてアカウント名を正式に呼ばずに蔑むならば、こちらも弱い犬はよく吠えるの諺を踏襲して「スピッツ氏」とでも呼ぶのがバランスが取れて良かろう。それでは論破に入る。
その前に…。
質問
そもそも戒壇論は妙信講(顕正会)破門事由ではない。スピッツ氏は戒壇論が破門事由と思いこませたいが故にこの問題を提起しているのだろうが真実は破和合僧なのである。
しかしながら破和合僧ではその後の妙信講(顕正会)の組織を維持することは出来ない。ゆえに戒壇論に異議を申し立て組織を固める動きに出たのである。
つまり妙信講(顕正会)問題の終結を期するならば、戒壇論ではなく破和合僧に関して真実を明らかにする必要がある。したがって私の方からは以下の2点に関してスピッツ氏に回答を求める。
登山申請に関して
「ここに何ともわからぬことがおきてまいりました。妙信講は昨年より御登山を宗務院に願い出ておりました。ところが今回、宗務院より正式に「妙信講は国立戒壇を捨てよ。さもなければ登山はさせぬ。」と云ってまいりました。国立戒壇を捨てることを承知すればすぐに取り計らうのだそうであります。」(御遺命守護の戦い167ページ)
「御遷座の翌年五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。ところが宗務院の早瀬総監から伝えられた返事は、思いもよらぬものであった。「登山をしたければ、国立戒壇を捨ててほしい。これは猊下の御意向である。」と。何ということか。国立戒壇の放棄と正本堂の誑惑とは表裏一体ではないか。国立戒壇の御遺命を守るために正本堂の誑惑を訂正せしめた妙信講に「国立戒壇を捨てよ」とは何ごとであろうか。登山の願い出からこの返事まで一年もかかっていた。この間、宗門と学会は鳩首教義を続けていたに違いない。」(折伏理論書 改訂版 255ページ)
「御遷座の翌年(昭和四十八年)五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。ところが、宗務院の早瀬総監から伝えられた返事は、思いもよらぬものであった。「国立戒壇を捨てなければ登山は許されない。これは猊下の御意向である。」と。国立戒壇の御遺命を守るために正本堂の誑惑を訂正せしめた妙信講に対し、「国立戒壇を捨てよ」とは何ごとか。これが池田の意向であることは明らかである。」(基礎教学書 408ページ)
以上の登山申請却下の御宗門側からの返答の文証を出しなさい。
これが一つ目の質問である。
日布上人大幅御形木御本尊の出所を答えよ。
日蓮正宗においては御本尊は仏の当体であり御法主上人以外の者が勝手に作成することは御法度であることは今更説明するまでもないだろう。しかしながら顕正会の各会館参詣室に安置されている「日布上人大幅御形木本尊」なる素っ頓狂な本尊まがいの代物は日蓮正宗から下附した歴史的な事実は一切ない。
仮にこれが顕正会で勝手に作成されたニセ本尊ならば戒壇論もへったくれもないのである。
上記「日布上人大幅御形木御本尊」の正式な出所元を回答せよ。これ二つ目の質問とする。
スピッツ氏の稚拙な戒壇論に関しては木っ端みじんに粉砕するが、こちらの顕正会破門事由の争点に関して周知を納得させしめる回答が出来ない場合は自ずと宗教ビジネス顕正会という組織が崩壊することを自覚せよ。
寛師の御指南を正確に拝しなさい
スピッツ氏からの投げかけはかなりのボリュームがあるので直近の投稿から論破する。先ずは氏の投稿を確認されたい。


法華取要抄文段といっても文段を所持していない顕正会員さんが殆どであろうから、一応原文を紹介する。
第五 本門の戒壇を明かす
① 凡そ本門の戒壇とは、一閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり。言う所の「戒」とは防止を義と為す。謂わく、無始の罪障を防ぎ、三業の悪を止むる故なり。宗祖の云わく「此の砌に臨まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜんのみ」〔一五六九〕云云。豈非を防ぎ悪を止むるに非ずや。
② 当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ則ち事中の事理にして述門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。
③ 初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。経に云わく「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台の云わく「仏其の中に住す、即ち是れ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。
④ 亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。
⑤ 然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。
⑥ 妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云。
⑦ 凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く源遠きに非ずや。故に天台の云わく「本極法身は微妙深遠なり」等云云。
⑧ 次に正しく事の戒壇とは、秘法抄十五三十一に云わく「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁世の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」〔一五九五〕等云云。
(法華取要抄文段) (御書文段 542~543)
ここでは分かりやすく段落ごとに番号をふらせて頂いた。
全体をその意義ごとに大まかに分類すれば、①~③までは戒壇の大御本尊様のみのことを述べられている。すなわち戒壇の大御本尊様の一か所を取り上げ「事」と「義」を立て分ける「事相に約して」の「義の戒壇」を真っ先にあげられているのである。ここでいう所の「義理」とは事相に約しての「義理」である。注意しなければいけないのは、ここにおいての「義の戒壇」には嫡々書写の御本尊は一切考えに入っていないということである。
次に④~⑦までは戒壇の大御本尊様の御在所と嫡々書写の御本尊の御在所を比較相対して「義」とそれに相対する「事」を説く。いうまでもなくここで日寛上人の仰せの「皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」の「義理」とは法体に約しての義理であり、それに相対する「事」とは根源の法体である戒壇の大御本尊を指すのである。
最後に⑧において「正しく事の戒壇」として広宣流布の暁の御遺命の戒壇をもって究極の事の戒壇とされている。
ここでの氏の間違いは「本門の本尊」に嫡々書写の本尊を入れてしまって解釈しているところにある。ここでの「本門の本尊」とは戒壇の大御本尊のみを指しておられる。また、「本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。」として広宣流布以前の戒壇の大御本尊所住の処は「事の戒壇」に相当するというのが正しい解釈なのである。
すなわち法華取要抄文段における「義の戒壇」とは「皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」をもって「義の戒壇」とし、「本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。」をもって「義理、事の戒壇」とし、そのうえで事相をもって御遺命の戒壇を「正しく事の戒壇」と立て分けるべきなのである。
分かりやすく図解にすると以下のようになる。

要はスタートで捉え違いを起こしているがゆえにドンドン滅茶苦茶な論に成り下がっているのである。他の批判に関してはこの後一つずつ潰して差し上げるので、先ずはこの一点に関して弁明せよ。
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