日蓮正宗改革愛好家氏の邪義を斬る

浅井流戒壇論の瑕疵

また日蓮正宗改革愛好家氏から反論が来たので、それに対する回答を書かせて頂く。

その前に閲覧されている方々に於いては目まぐるしく変化する内容に何が何だか分からなくなっているのではないかと思う。それに関して述べたい。

ストローマン論法

先ずはネットで「ストローマン論法」と検索してほしい。すると以下のような結果が出て来る。

ストローマン論法(藁人形論法)とは、相手の主張を意図的に歪曲・極端化・単純化して「架空の弱い反論対象(藁人形)」を作り上げ、その偽の主張を攻撃することで相手を論破したように見せる、論点のすり替え(詭弁)である。本来の議論とは異なる、より攻撃しやすい相手を作り出しているため、本質的な議論から逸脱する。 

AIによる概要

より詳しい内容を知りたい方は、リンクされているサイトに飛べば具体的な事例や対応策に関しても知ることが出来るだろう。ちなみに私は以下のサイトを参考にした。

 https://globis.jp/article/dic_vzpbo0_lzy/

これを読めば最近の顕正会員とのやり取りを言い当てていることに誰しも気づくことであろう。また、妙信講が破門になってからの昭衞氏の言動が、このストローマン論法の考え方に沿ったものであったことに気付かれる方も少なくはあるまい。

妙信講破門の原因

妙信講は「死罪に等しい解散処分」を受けただけでは無い。死罪そのものである「除名処分」を浅井昭衞氏はじめ33名が昭和49年に受けて事実上の「破門」になっているのだ。

顕正会ではこの事実を隠し続けて半世紀以上も論点をすり替えながら生き延び続けてきた。

そもそも破門理由は「破和合僧」であり、戒壇論ではない。これは昭和47年に日達上人から浅井氏へ送った手紙で確認できる。

このように御法主上人から直々の指導があったにもかかわらず、昭衞氏はそれを無視して破和合僧の行為を続けたがゆえに昭和49年に通告書を受けるに至る。これは顕正会書籍「御遺命守護の戦い」174㌻にて確認できる。そこには、

これらのことは宗門の秩序と統制を乱す破和合僧の行為であり、宗務院よりの再三再四にわたる冷静なる話し合いの勧告、説得、制止、勧告にもかかわらず、あえてこれを無視して行われたことであります。

御遺命守護の戦い 174㌻

と、ハッキリと書かれているのである。しかしながら破門後は論点を戒壇論にすり替え攻撃を激化してきた。

将来的に宗門に戻って信心をしたいならば先ずはこの破和合僧に関して反省懺悔が必要である。しかしながら逆に血脈否定、ニセ本尊作成、日顯上人・日達上人への誹謗と罪業を新たに積み重ねてきた。これをもって昭衞氏には戻る気が一切無かったことが理解できる。

それでは現会長の城衞氏に関してはどうだろうか。昨年初頭より御当代である御法主日如上人猊下に対する無礼極まりない攻撃を開始した。罪の上に罪を重ねているのである。彼もまた戻る気は一切無いというのが本音であろう。

本気で帰りたいならば、先ずは己の罪を懺悔するところから始めるべきだ。

平金吾に申すべき様は、去ぬる文永の御勘気の時、乃聖人の仰せ忘れ給ふか。其の殃わざわい)未だ畢(おわ)らざるに重ねて十羅刹女の罰を招き取るかと、最後に申しつけよ。

御書1405㌻

この御金言を城衞氏はじめ顕正会員は心に刻むべきだろう。

純粋なる顕正会の皆さんへ

そうは言っても大多数の顕正会員さんは昭衞氏が除名処分を受けていたことも、破門事由が破和合僧であったことも、現在拝んでいる会館の本尊がニセモノであることも知らなかったことだろう。ただ、知らなかったとはいえ、自らが積んだ罪業は必ず自身へ報いとなって返ってくる。御本尊様はどんなに小さな罪に対してもしっかりとケジメをつけに来る。

相当に顕正会で業を積んでしまった者は別としても、多くの方に於いては残りの人生を大聖人の御意に叶う信心に徹することによって、それらは清算され成仏という結果を得ることは可能である。

xでの顕正会教学部と思われる人たちとの対論等をいくら読んでも、彼らの論はこのストローマン論法を駆使したものであるがゆえ非常に理解しづらくなっている。本当に心から大聖人の仏法を求めている顕正会の方に於かれては是非私どもに連絡を頂きたい。実際にお会いしてもっと簡単に理解しやすくお話しさせて頂く所存である。

私に連絡するのが怖いという方も多いと耳にしているので、そのような方は以下のメールフォームにてご連絡して頂ければ物腰の柔らかい方から優しく御返答させて頂く。ぜひ勇気を出して御一報いただけたらと思う。

対論の経緯

前項においては昭衞氏が為したストローマン論法をあげたが、最近の顕正会員との対論でもこの論法は駆使されている。

そもそも最初の切っ掛けは日相上人の御講聞書における立て分けが「法体に約しての立て分け」であり、広布以前の大御本尊様御在所を「事の戒壇」とされており、これを広布後の立て分けであると断定した昭衞氏の解釈は誤りであるとした私の記事への反論から始まっている。

顕正次郎氏のすり替え

先ずは顕正次郎氏が

しかしトチロ〜氏いわく 【「義」というのは「道理」である。「義」だけがあって「事」は広宣流布まであり得ないというのは、理屈だけ存在して実態が存在しないということであり、広宣流布以前の衆生はすべからく成仏出来ないという結論に陥ってしまうのです。】

との批判を為したが、私の原文は

ここで顕正会の皆さんは「いや違う!広宣流布以前の戒壇の大御本尊様所住の処は『義の戒壇』に配置すべきだ。」と思うことでしょう。しかし、それは誤った認識です。

仮に顕正会の皆さんが主張するように広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の御在所を「義の戒壇」に振り分けたとしましょう。するとこの報恩抄文段の開合の相は「本尊所住の処」の義理という物差しで「事」「義」を判ずるものになり、また嫡々書写の本尊安置の処を比較対象の場に取り上げる必要もまたなくなるのです。

また、もう一つの矛盾は顕正会流開き方をしたとき、広宣流布以降は「事の戒壇」も「義の戒壇」も成立しますが、広宣流布以前は「義の戒壇」の部分しか存在しなくなります。「義」というのは「道理」である。「義」だけがあって「事」は広宣流布まであり得ないというのは、理屈だけ存在して実態が存在しないということであり、広宣流布以前の衆生はすべからく成仏出来ないという結論に陥ってしまうのです。

どうでしょうか、自分たちの論がいかに支離滅裂なものかが少しは理解できますでしょうか?

となっている。前後の文を切り取らずに読めば、氏が引用した部分は顕正会の解釈を批判した部分にあたるのは誰しもご理解できることだろう。

しかし氏は敢えて切り文し、この黄色のマーカー部分を私の主張のように小細工して批判を為したのである。これまさに典型的なストローマン論法である。そして、

トチロ〜氏の主張は教学的一貫性を損ない、完璧に粉砕され、細井管長が独自に述べた定義に日相上人の聞書は無効となる。 なぜ勝手な解釈で、細井管長の独自定義(現時事の戒壇)を強引に正当化できると思ったのか、理解に苦しみます。

として、以前の氏に宛てた私の記事に於ける日寛上人御指南中の法体に約しての立て分けを完全無視したうえで、法体に約しての立て分けは日達上人独自の定義であると論点をすり替えていったのである。

ふよう氏のすり替え

顕正次郎氏と相呼応するかのように「ふよう氏」からも攻撃があった。

ふよう氏は日相上人聞書の「ノ」と「之」の存在から「富士山戒壇」は御遺命の戒壇を指すものであると解釈した。それ自体は私も否定はしない。しかしながらこれは義の戒壇である「在々処々本尊」に対する表現であり「富士山戒壇ノ」とは御遺命の戒壇そのものを指すのではなく、「戒壇に安置し奉る大御本尊」を特定するための表現であることを述べたのである。それは以下のように記事内にて書かせて頂いた。

御戒壇説法に触れることのできない顕正会員にその要点だけを述べるならば、「広宣流布の暁には御遺命の戒壇が建立される、その御遺命の戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊いま眼前にましますゆえに、たとえ未だ御遺命の戒壇は建てられていなくとも、その功徳においては御遺命の戒壇にもうでるのと全く同じである。」ということを常に御法主上人は御指南下される。

これと同様の表現は昭衞氏の書籍にも存在する。氏は教学に自信がおありのようであるから秒でそれを探し出すことだろう。是非とも氏の先生である昭衞氏の言葉を何度も拝読してみるべきである。

この私の返信に対して氏は

「以上、ふよう氏の妄想的邪義を破した」 と締めくくられましたが、全く破されてませんよ。 私が述べてない事を「〜と解釈したようである」など、数箇所にわたりストローマン論法が多用されているので、私への反論としては却下します

と、こちらの返信に対する更なる回答ではなく、逃げを打って論点を逸らしにかかった。

そして釈迦に説法レベルの講釈を私に為してきた。ゆえに私は氏の言葉を借りてその一部に関して質問した。

●「義(理)の戒壇」→嫡々書写御安置の処及び広宣流布以前の戒壇の大御本尊様御安置の処。

と、このように貴女は申されているが、この「嫡々書写御安置の処」を「義」とする物指しは何なのか、更に「広宣流布以前の戒壇の大御本尊様御安置の処」を「義」とする物指しは何なのかを説明せよ。更に其々の指し示す「事」とは何かを明らかにせよ。

この単純極まる質問の回答に窮したのか氏は返答せずに噛みついてきた。

私の主張を完全に理解したとおっしゃるなら、素直に回答したら宜しいのでは? 質問返しで逃げるおつもりですか?

そしてストローマン論法の定石通りに私の文意とは逆のレッテル張りを為してきた。

「富士山戒壇の、この御本尊御在所は事の戒なり」となる。ここにおける「富士山戒壇」とは三大秘法鈔・一期弘法附属書における「御遺命の戒壇」のことを指していることは異論のないところである。』 と素直に誤読を認めました

この後の氏の返事を見れば一目瞭然であるが、氏は自身の世紀の発見である「ノ」と「之」に執着し、どうしてもこれをこちらに納得せしめたいようである。しかしながら既にこちらはその件に関して正論を述べさせていただき、氏の誤りを指摘済みなのである。

その上で今回ふよう氏が指摘された冒頭の「富士山戒壇ノ」を再度考察すれば、ここで日蓮正宗僧俗にはある一つの御説法が誰しも頭に浮かんで来るものであろう。

それは御虫払法会や御大会において御法主上人が述べられる「御戒壇説法」である。この御説法に於ける表現が当にこの開合の相をそのまま仰せになっているものである。

御戒壇説法に触れることのできない顕正会員にその要点だけを述べるならば、「広宣流布の暁には御遺命の戒壇が建立される、その御遺命の戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊いま眼前にましますゆえに、たとえ未だ御遺命の戒壇は建てられていなくとも、その功徳においては御遺命の戒壇にもうでるのと全く同じである。」ということを常に御法主上人は御指南下される。

この内容そのままが日相上人聞書における「事の戒壇」のお言葉なのである。

すなわちふよう氏は「富士山戒壇」を既に建立された堂宇として捉えたがこれは誤りであり、日相上人の本意は「将来建立される御遺命の戒壇に安置されるべき御本尊」として「富士山戒壇」との表現を為されたのである

この私の返答に対して更なる返しが出来てこその対論である。要は氏は回答不能であるがゆえに同じところをグルグル回って「やってるフリ」をしているに過ぎない。そこで私は更なる質問を氏に課した。

1 日寛上人は「「所住之処、皆応起塔」は本門の戒壇なり。中に於て「所住之処」は義の戒壇なり、「皆応起塔」は事の戒壇なり。」と捌いている。日相上人の開合の相には皆応起塔の表現は無い。それに対して貴殿は「富士山戒壇ノ」が御遺命の戒壇そのものだと主張するが、先ずはそのような表現をした歴代の御指南を提示せよ。

2 与えて論じて貴殿の主張のように「富士山戒壇ノ」が御遺命の戒壇を指すのだとしたら、その後の「之御本尊御在所」との表現は日寛上人の捌きと矛盾する。自己の主張を正当化するならば、御遺命の戒壇(堂宇)そのものと戒壇の大御本尊の御在所を併記した上で「事の戒壇」と指南遊ばされた文証を挙げよ。

3 ●「義(理)の戒壇」→嫡々書写御安置の処及び広宣流布以前の戒壇の大御本尊様御安置の処。

と、このように貴殿は申されているが、この「嫡々書写御安置の処」を「義」とする物指しは何なのか、更に「広宣流布以前の戒壇の大御本尊様御安置の処」を「義」とする物指しは何なのかを説明せよ。更に其々の指し示す「事」とは何かを明らかにせよ。

4 意味不明の質問「そもそも「法体に約した…」と言いますが、法体の事・理というのは「文底下種・独一本門事の一念三千」と「文上脱益・迹門理の一念三千」のことですから、戒壇の事・理とは、次元を異にするものです。」を理解できるように説明せよ。

5 日相上人開合の相における「事の戒」とは具体的に何を指すのか。「戒壇」か「戒法」か、それとも全く別の義がそこにはあるのか。誰にでも分かるように説明頂きたい。なお、くれぐれもご自身の感想文ではなく、御書ならびに御歴代の御指南をもって論証せよ。

なお、今まで散々申し上げたきたが、全ての回答には御書ならびに歴代御法主上人の文証をもって自身の主張を裏付けて頂きたい。それが出来ない場合は貴殿の己義であると断じるものである。

これに対してまたしても氏は回答を拒否し、言い訳をダラダラと続けた。

トチローさん、物事には順序があります。 あなたのブログには、誤読が多々あります。 私の主張を完全に理解したとおっしゃってますが、またも私の主張してない事を創り出した上で、あたかもそれを論破したかのように見せています。 読解力が無いのか、「ストローマン論法」を使い詭弁を弄しているのか

誤読を認めたのですから、物事の順序として「ノ」と「之」を見落とし、その誤読を基に解説を為した、ブログ記事の訂正をするのか否かが先です。 あなたは、人の上に立つ方です。 誤った解説をする人、間違えを間違えとして潔く訂正する誠実さがない人、そんな人の理屈には信憑性など有りませんよね?

このように私の文意とは全く別の結論を勝手に導き出し、それに対して攻撃しているのである。印象操作もよいところである。

私の質問に対する答えはどうしましたか? ストローマン論法を駆使している貴女の回答への説明は無いのですか?

>浅井先生の教学に基づき論じております。

昭衞氏が間違えてれば貴女も間違うということです。 ストローマン論法はお腹一杯なので、早く御歴代の御指南で裏付けた回答をして下さい

と、先の私の質問への回答を促しても針の飛んだレコードのように同じことを繰り返すのみであった。既に氏の敗北は決定的なのだが、最後に興味深いことを言っていた。

トチローさん、質問宜しいですか? 「法体に約した立て分け」は、宗門の公式ですか? あなたの創作ですか? 細井管長は「法体に約した事の戒壇」は定義しましたが「法体に約した事・義の立て分け」の指南もしたんですか?

全く持って小賢しいお人である。

要は私の論じる「法体に約しての立て分け」を法義的に論破することが不可能と感じたがゆえに、今度はこの「法体に約しての立て分け」自体が私の作り出した己義であり、私を任命下さった方々の責任を問うといった戦法に切り替えたいのであろう。

氏の悪知恵に共感した愛好家氏もその後同様の戦法でかかってきたが、おのれの力量を自覚もせず幼稚園児レベルの批判に終始するが故、自ら大きな墓穴を掘ってしまったのだ。まぁ、この記事を読み終える頃には御自身の非力を嫌と言うほど味わうことであろう。

日蓮正宗改革愛好家氏の主張1

前置きが長くなったが、愛好家氏の反論とやらを確認したい。

破折1

それでは一つずつ破折していく。なお、そこにおいて発生した新たな氏への問いかけは最後に質問事項としてまとめたい。

まず赤字部分 日蓮正宗の正統教学を根本から読み違えた、極めて浅薄で危険な拡大解釈。 この一文は三大秘法開合の相の核心を正確に示しているが、決して「何処でも事の戒壇」という広布以前の現時において事の戒壇が完全に成立しているという細井・阿部の曲解を後押しするものではない。むしろ、その逆だ。

当に顕正会の常套手段である「すり替え」である。日達上人も日顯上人も御遺命の戒壇と広布以前の戒壇の大御本尊所住の処とは区別して説かれている。それが「現時に於ける事の戒壇」であり「本門根源事の戒壇」である。当時より今日に至るまで御宗門では御遺命の戒壇建立に向けて弘教しているのである。

開かずの門が未だその扉を開けずに大石寺境内にたたずんでいるのを貴殿はどう解釈するのであろうか。

御遺命が既に成就したと御宗門が主張していると強弁するならば、その証拠を出すべきである。

観心本尊抄文段

日寛上人は『観心本尊抄文段』で決定的に断じている 「所居の虚空は即ち自受用所居の寂光を表すなり」 ここに「皆応起塔」の表現は一切ない。しかし、この文段こそが本門戒壇の大御本尊の在所(所住の処)が自受用所居の寂光土 ——つまり事相の戒壇として顕現する本質を明示している。広布の相においてこそ究竟に顕現する寂光土を指し、広布前限定などという矮小化は微塵もない。「皆応起塔」の有無で広布前か否かを判定するなど、大聖人の教学の核心を無視した言葉遊びだ

「皆応起塔」の表現が無いのは当たり前の話である。

かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。(乃至)彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。

南条殿御返事 御書 1569㌻

今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。

三大秘法稟承事 御書 1595㌻

これらの御金言と同じく仏様所住の処は常寂光土であるとするのが氏の引用部分の趣意であり、ここに「法身の四処に塔を起つべき」という意までを含んでいないのは当然のことである。何をもってこれを以て論証できたと氏が判断したのかが不明である。

なお、氏の引用した観心本尊抄文段の一節の最終部分には

問う、当門流に於ては総体・別体の名目、之を立つべからざるや。答う、若し其の名を借りて以て其の義を明かさば、本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり。

文段 243㌻

として法体に約しての立て分けを日寛上人は言及されている。自身に都合の良いところだけを切り取って論を構築するのは顕正会の専売特許だろうが、いい加減に姑息なことは止めるべきだろう。

日淳上人御指南

日淳上人(第65世)の断じも極めて明確: 「此の大御本尊様を御安置申上げるところを、本門の戒壇と申上げるのであります。」(日淳上人全集) ここにも「皆応起塔」の表現はない。広布前の限定もない。安置する処そのものが本門の戒壇と断じている。君のように「皆応起塔」の不在を広布前限定の根拠とするのは、日淳上人の言葉を恣意的に制限した邪義でしかない。

これまた的が外れた引用である。

氏が引用した部分の直前には以下のお言葉が存在する。

即ち本門寿量の大戒を大戒壇と名づくと仰せられるのであります。然らば何故かように相成りますかと申すに、大聖人の仏法におかせられては本門の大本尊を受持し奉ることが大戒でありますから此れを御本尊の安置の上からは戒檀になるのであります。衆生が受持し奉る方は本円戒、三大秘法の御本尊の方からは戒壇であります。而して此れは受持と受持されるの関係でありまして一つであります。それ故に三大秘法鈔に於かれて戒壇建立をお指し遊ばされて「事の戒法と申すは之れなり」と仰せられたのであります。

日淳上人全集 1027㌻

この赤字の部分のまとめとして述べられたのが氏の引用した箇所である。氏の引用部分の前後の文迄を拝するとそれはより明確に分かる。

既にかくの如く戒壇とは御本尊の受持にありますが、御本尊と申しますれば前に述べました如く、弘安二年の一切衆生に総与の御本尊が三大秘法の至極の御本尊でましますので、此の大御本尊を御安置申し上げるところを本門の戒壇と申上げるのであります。

日淳上人全集 1027㌻

この氏の引用部分の直前と先の御指南を合わせ拝するならば、日淳上人のこのマーカー部分は受持即持戒の観点から本尊所住の処は義理に於いて戒壇になるとの御指南であり、御遺命の戒壇は一切考慮に入っていないのである。

そして次の段落に於いて「次に三大秘法鈔並に御付嘱状等上掲の御文に~」として御遺命の戒壇に関して述べていくのである。

つまり氏の引用した部分は三学の上からの戒壇に関して述べているがゆえ、皆応起塔の表現が無いのは当然のことなのである。これを知った上で氏が引用したのなら悪意ある行為であり、知らなかったのならば相当な初学者であると断ぜざるを得ないものである。

なお、氏の引用した箇所の9ページ前には以下のようにお述べになっている。

此等の御本尊は御授けなされた弟子や信徒の方々を御導き遊ばされるための御本尊でありますから一機一縁の御本尊と申し上げるのであります。即ち一人一人へ御授け遊ばされた御本尊という意であります。

大聖人御在世の御弟子や信徒の方々は直接大聖人から御本尊を頂戴することができますが御滅後には頂戴することはできないのであります。しかし大聖人は末法万年の御化導を遊ばされるのが御本意であらせられます。此に一切衆生を御導き遊ばされる御本尊が建立せられなければならないのでありまして此のための御本尊を弘安二年十月に建立遊ばされ玉ふたのであります。此の御本尊はそれ故に一切衆生総与の御本尊と申し上げるのであります。

而して此の一切衆生へ御授けの御本尊は本門戒壇堂安置の御本尊として建立遊ばされたのであります。本門の戒壇堂は仏の常住し給ふ霊鷲山であって仏法の根本道場であり、一切の衆生の信仰の中枢の場所であるからであります。

かような次第でありますから大聖人の御在世と御滅後を通じ根本の御本尊は此の一切衆生総与の戒壇の大御本尊にましますのであります。一機一縁の御本尊はどこまでも一機一縁の御本尊であらせられるのであります。

日淳上人全集 1018~1019㌻

と、このように法体に約した立て分けについても触れられている。近視眼的な見方では道を踏み外すという典型的な例であろう。

法華取要抄文段

日寛上人の六巻抄全体を見ても、本門の本尊所住の処を義理として事の戒壇に当たると説く際、「皆応起塔」を毎回付加しているわけではない。法華取要抄文段の「本門の本尊の所住の処は即ちこれ義理、事の戒壇に当るなり。故に当山は本門戒壇の霊地なり。」にも「皆応起塔」はないが、これは広布以前の現時において道理として事の戒壇に当たることを示すものであり、事相の戒壇の本質が広布成就の時に顕現するという立場を否定していない。

これもまた上記日淳上人のお言葉と同じ過ちを氏は犯している。赤字で抜いた部分は三学の上からの戒壇を示し、その後に根源と枝流として法体に約した「事」「義」を明かし、その後に「次に、正しく事の戒壇とは」として御遺命の戒壇を説かれるのが日寛上人の論法である。

すなわち氏が引用した部分は三学の上からの戒壇であり、ここにおいて事相の戒壇への考慮は一切入っていないのである。

以上、氏の一通目の的外れな回答に対する正論を述べた。

日蓮正宗改革愛好家氏の主張2

上記愛好家氏の1通目の返答を受けて、私は更なる返答には時間を頂戴したい旨を伝え、それに対して氏は以下のように返事をされた。ここで前項のふよう氏と同様の戦術を愛好家氏は見せた。

このようにお返事した直後に氏は一気に豹変し、一気にたたみ込んできた。

と、まぁ非常に長ったらしい文章で滅茶苦茶なことを一方的にまくしたててきた。要点だけをかいつまむと、「日達上人は大御本尊様が事の一念三千であるがゆえ、事の戒壇と呼称したが、嫡々書写の御本尊も事の一念三千の本尊であるが故にその在所もまた事の戒壇となる。これが日達上人の仰せなのであって、私の立て分けた戒壇の大御本尊所住の処は事の戒壇で、嫡々書写の本尊安置の処を義の戒壇とする立て分けは述べられていない。したがって私の法体に約しての解釈は正宗の教義に無い己義である。」ということである。

馬鹿もほどほどにせよ、といったところである。日寛上人は法華取要抄文段に於いて

当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ則ち事中の事理にして述門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。

と仰せのように法体に約しての「事」「義」とは、氏の主張した双方とも事の一念三千の法体を前提にして、その中で事中の事理として捌いたものである。ゆえに「理の戒壇」ではなく「義の戒壇」と名づけると寛師は仰せなのだ。

この一言で氏の詭弁は全て打ち破られる。寛師の言葉を借りれば愛好家氏は

その名に迷う痴れ者

にほかならない。

と、ここまで書いてきて愛好家氏より一報が届いた。

日蓮正宗改革愛好家氏からの撤退宣言

前回の投稿より8日後に以下の願い出が氏より送られてきた。

前回までの鼻息の荒さとは180度違う腰の低さで正直面食らった…が、心の中は手に取るように理解できた。要は氏が引用した日顯上人の平成16年の御講義中に取り上げられている昭和45年4月27日の日達上人御指南の原文をようやく読んだのであろう。さすれば今後の展開は容易に予想が付く…。

だったら逃げるしか無い…。

こんな気持ちだったのだろう。

種明かしをすれば、昭和45年4月27日の日達上人御指南には「各自、各寺院の御本尊は…それぞれ安置し奉るところは義の戒壇」「この(戒壇)御本尊の在すところは事の戒壇」(趣意)と、日達上人は法体に約しての立て分けとして在々所処の御本尊安置の処を「義」とし、戒壇の大御本尊所住の処を「事」と御指南されているのである。

それを1週間かかったものの原文を確認したがゆえに自身の論がスタートから崩されるのを恐れて逃げを打ったのであろう。

そしてこともあろうか、この責任を言い出しっぺのふよう氏に押しつけて自分は逃げた…。日本男児の風上にも置けない体たらくである。

逃げ出した相手の背中を斬りつけるのは私の信条に反するが故これ以上の深追いはせぬが、顕正会内部にてそれ相応の責任を担うものであるならば、ふよう氏に対してそれなりのアフターケアをしておくべきだろう。しかしながら、昨夜のふよう氏の投稿を見るとそれさえもしていないようである。女子供をバカにしている組織が顕正会なのだと私はこの一件で更に確信が深まったものである。

昭和45年4月27日の御指南について

ふよう氏も愛好家氏も揃いもそろって昭和45年4月27日の御指南を読むことが出来なかったのには実は訳がある。

古い顕正会員なら持っているはずである「学会・宗門」抗争の根本原因という昭衞氏の書籍100ページにそのヒントがある。そこには

しかしこの説法記録は、当時、学会の目を憚ってか「大日蓮」には掲載されず、また学会および法華講連合会の機関紙には趣旨が変えて載せられている。そして翌五月、宗務院から全国住職にだけ、別刷りにした説法の全文が内密に送附されてきたのであった。その送文には「御虫払法要の御説法については、すでに学会並びに法華講連合会関係の機関誌に掲載されております。これは猊下の情況を考慮してありますが、今回送附する分は全くそのままの記録であります。これは教師にのみ送附するものであるから、他に示すことは御遠慮ください。」「教師各位には、御法主上人の御説法の意を深く体されるよう熟読を願いたい。」と書かれてあった。

「学会・宗門」抗争の根本原因100㌻

と書いてあるのだが、この別刷りにした説法の全文には御虫払法要だけではなく、その後の4月22日の時局懇談会ならびに4月27日の教師補任式の御説法もまた含めて送付されたのである。つまり、この3つの御指南は基本的にネット上には転がっていないのである。

だから私はそれらの御指南を基にして御講義された日顯上人のお言葉を利用した愛好家氏の反論に対して「4月22日の時局懇談会ならびに4月27日の教師補任式の御説法」は読んだのか否かとしつこく問いただしたのである。

先に申し上げたように4月27日の御説法では法体に約しての立て分けをそのものずばり説かれているのであるから、愛好家氏が上記のような主張をするということは、氏はこれらを読んでいるはずはないのである。それなのにさも日達上人は一切法体に約しての立て分けを説いていないかのような印象操作を始めた…。

偉そうにしている顕正会の幹部も実態はこの程度なのですよ。ということを閲覧者の皆様が知って頂けたらとおもい、敢えて彼が自力でそれを見つけ出すのを待っていたのである。

そして彼はこの4月27日の御指南を見つけ、その中に法体に約しての立て分けを日達上人がお述べになっているのを確認した。そしてなぜ私が執拗に日達上人の原文に当ったかを確認していたのかも理解されたのであろう。そして、これ以上の対論は負けはあっても勝ち目はゼロだと悟ったのであろう。非常にクレバーである。けれどもその醜態をネット上に晒してしまったことを今後は大いに後悔していくことだろう。

純粋な顕正会員の皆さんへ

ここからは顕正会に未練のある方は読まずに飛ばして欲しい。本当に純粋に大聖人の御心に叶う信心をして一生成仏を遂げたいと心から願う人だけに読んでもらいたい。

法体に約しての立て分けとは大聖人の仏法の要である。どこまでいっても仏様のいらっしゃる処が信仰の中心であり、全てはここから始まるのであり、ゆえに正宗の信仰は「御法主上人への絶対の信ならびに戒壇の大御本尊への絶対の信」この二つを絶対に忘れてはならないと教えられるのである。

これは換言すれば三宝への信である。そして三宝への信があれば間違っても自分勝手に本尊作成など出来るわけがない。また血脈断絶などの戯言も口からは出まい。そもそも猊下の御指南が間違いだ!などとの思いさえ湧いてこないものである。

しかしながらこれら全てをやらかしてしまっているのが現在の顕正会なのである。貴方々は深いことを教えられていないが故にやらかしてしまったのかもしれないが、立派な謗法与同である。

先ずは顕正会でかけられてしまった色眼鏡を外して当時の日達上人のお気持ちになって全てを拝読していくことだと思う。

上記の表には出ていない三つの御指南は「広宣流布は未来のことであるが故、正本堂は御遺命の戒壇ではない。」「戒壇の大御本尊とは仏の当体であり、信仰の中心である。」「戒壇の大御本尊所住の処は事の戒壇、嫡々書写本尊安置の処は義の戒壇」ということを日達上人は御指南遊ばされている。

顕正会では教えられていなかったこと、または違った風に教えられていた事柄が詰まっており、当時の御宗門の考え方を理解するには非常に貴重な資料である。

本当に心から御本尊様を求めている人には是非とも目を通していただきたい一書である。しかしながら上記で述べたように基本的に外部には流さない文書でもある。非常に悩ましいところではあるが、正宗を取り巻く環境も当時とは変化してきている。本気で本物を求めている貴方のその心意気がこちらに伝われば、私が御住職に交渉して一部だけでも垣間見れないかどうか必死にかけあってみるつもりである。

本当にやる気のある人財を私たちは求めてる。少しでもその気持ちがある方は連絡してほしい。

ふよう氏へ

上記のように日蓮正宗改革愛好家氏から法体に約しての立て分けに関する対論は、以後ふよう氏へバトンタッチする旨の申し出があった。氏のポストを信用するならば、貴女もそれを快諾したとのことである。

それを受けて本日明け方に貴女のポストにリプを入れたのだが、まだお返事を頂けてない。

貴女の主張する論を覆す御指南は昭和45年4月27日の御説法の中にある。それを先ずは読んだうえでポストにも示した私への侮辱に対する謝罪を要求する。

さて、細井管長の定義説法ですが、昨夜調べましたけど、どこにも無い事が判明しました。 よって、トチローさんの創作と断定致します。

ならびに以前から回答を頂けてない5つの質問に対する返答も再度要求する。

これまで2通の返答記事を書かせて頂いたが、ふよう氏はそれらに対して文証を提示しての反論を為していない。氏よりの本日の反論に対してはお答えした。次はふよう氏が答える番である。以下の質問に誠意をもって返答せよ。

1 日寛上人は「「所住之処、皆応起塔」は本門の戒壇なり。中に於て「所住之処」は義の戒壇なり、「皆応起塔」は事の戒壇なり。」と捌いている。日相上人の開合の相には皆応起塔の表現は無い。それに対して貴殿は「富士山戒壇ノ」が御遺命の戒壇そのものだと主張するが、先ずはそのような表現をした歴代の御指南を提示せよ。

2 与えて論じて貴殿の主張のように「富士山戒壇ノ」が御遺命の戒壇を指すのだとしたら、その後の「之御本尊御在所」との表現は日寛上人の捌きと矛盾する。自己の主張を正当化するならば、御遺命の戒壇(堂宇)そのものと戒壇の大御本尊の御在所を併記した上で「事の戒壇」と指南遊ばされた文証を挙げよ。

3 ●「義(理)の戒壇」→嫡々書写御安置の処及び広宣流布以前の戒壇の大御本尊様御安置の処。

と、このように貴殿は申されているが、この「嫡々書写御安置の処」を「義」とする物指しは何なのか、更に「広宣流布以前の戒壇の大御本尊様御安置の処」を「義」とする物指しは何なのかを説明せよ。更に其々の指し示す「事」とは何かを明らかにせよ。

4 意味不明の質問「そもそも「法体に約した…」と言いますが、法体の事・理というのは「文底下種・独一本門事の一念三千」と「文上脱益・迹門理の一念三千」のことですから、戒壇の事・理とは、次元を異にするものです。」を理解できるように説明せよ。

5 日相上人開合の相における「事の戒」とは具体的に何を指すのか。「戒壇」か「戒法」か、それとも全く別の義がそこにはあるのか。誰にでも分かるように説明頂きたい。なお、くれぐれもご自身の感想文ではなく、御書ならびに御歴代の御指南をもって論証せよ。

なお、今まで散々申し上げたきたが、全ての回答には御書ならびに歴代御法主上人の文証をもって自身の主張を裏付けて頂きたい。それが出来ない場合は貴殿の己義であると断じるものである。

これら計6つの課題に対して真摯なる回答を為してから、新たな対論に入らせて頂く。それではふよう氏の回答をお待ちする。

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