【本尊所住の処は義理に於いて戒壇となる】ことは顕正会の皆様もご存知かと思います。
しかしながら、それがどういった理由によるものか説明できる方はなかなかいらっしゃらないのではないかと思います。
それに関して今回はお話ししようと思いますが、文証を追っていくよりも道理の上から考えていった方が分かりやすいかと思うので、先ずは【戒壇建立の御遺命】からお話し致しましょう。
戒壇建立の御遺命
顕正会員さんに於いては片時も忘れることの無い【戒壇建立の御遺命】ですが、実はこれこそが戒壇の立て分けに於ける最大のポイントとなるのです。
皆様もご承知の通り【御遺命の戒壇】は三大秘法抄・一期弘法附嘱書の条件が整った時に建立されるものです。
つまり、それまでは戒壇の大御本尊を御安置する堂宇(戒壇)は理論上存在しません。
しかしながら、これでは広宣流布以前には三大秘法は成立せず、広布前の衆生は誰も成仏出来得ぬ道理となってしまいます。
ゆえに日寛上人は【たとえ堂宇が無くとも本尊所住の処は戒壇なり】との御指南をされ、その根拠を法華経より導かれて六巻抄や文段に書き残されたのです。
ここは非常に重要なところです。今後戒壇を立て分ける際に、複雑になり頭が混乱してくるかもしれませんが、その時は必ずこの基本に立ち返って再考されることをお薦め致します。
全てはこの【戒壇(建物)が有るや無しや】で捌かれ、その際の日寛上人は発せられる語句に於いても繊細に使い分けておられます。
その最重要事項を表に出して主張していた浅井昭衞氏ではありましたが、その実は表面的には分かっているようで、道理の上からの理解迄には至っていなかったのではないかと今になってはつくづく感じるものです。
三学
さて広布前に三大秘法を成立させるとはどういうことかを考えてみましょう。
これに関しては【三学】という概念を知らなければなりません。
以前にそれに関して触れた記事があるので、先ずはそれを読んでみて下さい。
上記二つの記事を読んで頂ければ御理解頂けたかと思いますが、広布前に三学を成り立たせる為に【戒壇の大御本尊所住の処】を本門の戒壇としているわけです。
すなわち【本尊所住の処】という義理は戒壇の大御本尊に宛てて設けられたものであることがこれで理解出来ますね。
浅井昭衞氏の誤りの根本は、この大御本尊への物指しを嫡々書写の御本尊へも当てはめて論を展開していくところにあるのです。
戒壇の大御本尊のみを取り上げて、広布前広布後の立て分けをするならば、これで用は足りるのですが、そこに嫡々書写の御本尊という存在が入ってきて、それら全てを捌くような応用問題になると途端に混乱するのです。
その端的な証拠が日相上人の御講聞書に関する解釈なのですね。
これを理解するには【戒壇と戒法の区別】が付いてないと難しい訳ですが、それは次回の記事に致します。
戒壇の大御本尊のみの立て分け
前項に於いて触れましたが、【本尊所住の処は義の戒壇】という道理は、総じては全ての御本尊に当てはまるものの、別しては戒壇の大御本尊を三学の上から捌いたものです。
ゆえに日寛上人におかれても、戒壇の大御本尊のみを取り上げて、事相の上から「事」「義」を立て分ける際には、広布後は事の戒壇、広布前は義の戒壇とされているのです。
その分かりやすい例が
未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊存する上はその住処は即ち戒壇なり、その本尊に打ち向かい戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱うれば即ち本門の題目なり。志あらん人は登山して拝し給え。
歴代法主全書四巻 145㌻ (寿量演説抄)
との寛師のお言葉なんですね。
しかしながら、これはあくまでも戒壇の大御本尊のみを取り上げての立て分けですから、ここに嫡々書写の御本尊が入ってくるとまた違った表現になってくるのです。
それこそが日達上人・日顕上人が御指南されていた【根源と枝流】という義理に於ける捌きなのです。
つまり浅井昭衞氏は【事相に約しての事義】の道理を【法体に約しての事義】に当てはめて論を構築したがゆえに、最終的に間違った結論に至ったものであることを本日は腹に落とし込んで頂けたらと思います。





コメント