浅井城衞会長、内部向けパフォーマンスは止めよ!

エッセイ

顕正会では御法主日如上人への諫訴と称して1月度総幹部会ならびに2月度総幹部会と立て続けに浅井城衞会長による猊下批判を行ったようである。

それを受けて顕正会の跳ねっかえりどもは2/9の御講日の夕方に大石寺に押しかけ迷惑行為を行い、同じく御誕生会の日には東京の寺院前でも迷惑行為を行っていたようである。

しかしながら2/9の御講日の夕方というのが何とも言えない趣を感じるものである。これがお昼前後や、せめて御開扉終了直後であったならば何百という法華講員に囲まれて吊るしあげられたところであろう。それが御講参詣者がほぼ全員帰宅して御僧侶以外はいなくなってから侵入してくるのだから、どれだけ自分たちの論に自信が無いかという心の顕われ以外の何ものでもないだろう。

話は戻るが今回の城衞会長のパフォーマンスは、20年間法華講員として顕正会を見続けてきた私にとっては「またか…。」との思いしかない。

昭衞前会長における平成17年の対決申し入れ書も、その後の日如上人への「建白書」も全ては顕正会内部へ向けてのパフォーマンスであった。

三度にわたる対決申し入れ書の破折書にはまともに反論できず、建白書においては返事すら御宗門から頂けないほどの体たらくであった。

そして今回の「諫訴」とやらは以前にも増して浅井会長の本気を微塵も感じられないものであった。

純粋な顕正会員は浅井城衞会長が心を込めて御宗門に訴えていると思っているようだが、事実は違うのである。

これは3/5号の2面にある文章だが、御法主上人ならびに末寺への顕正新聞郵送がこの時だけ行われたのであれば、城衞さんのやる気も爪の先ほどは感じるのだが、さにあらずなのである…。

これらは私が顕正会をやめて法華講員になった当時から20数年変わらず続いている毎月の恒例行事なのである。こんなことは法華講員であれば誰でも知っていることである。

つまり城衞さんは総幹部会で御法主上人批判だけすればそれが「諫訴」として取り上げられるだけなのである。結局彼は目新しい行動は何もしていないのだ。顕正会の皆さんはそれを知ってるのだろうか?せめて文章の一つでも改めて書いて、それを郵送してくれば立派なものである。そして「期日までに返答せよ。」と迫れば御宗門としても何かしらアクションは起こさねばならんだろう。しかしながら彼はそれをしなかった。

なぜしなかったのか分かるだろうか?

それをやったらコテンパンに叩き潰されてしまって城衞会長の資質が今度は問題視されてしまうからである。

っていうか「優秀班」で顕正新聞に城衞会長の名前が載っているのを見た覚えがないという元会員さんで報恩坊は一杯なんですが…。

昭衞さんが亡くなって一年半、ここまで持ちこたえさせたのは立派である。しかしここまでだな。これ以上は城衞さんの器では無理だと思う。されば御法主上人に弓を引くのもここまでにして早く懺悔しなければ一生かかっても消せないほどの業を積むことになると思うぞ。

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