浅井流戒壇論の瑕疵

顕正会論客を論破する

遅くなりましたが日蓮正宗改革愛好家氏への御返事を書かせて頂きます。

氏が一生懸命知恵を振り絞って書かれているのは理解できるのですが、難解な単語を並べているだけであり実質的なことは何ら理解できていないように受け取りました。

これまで法体に約しての立て分けを論じてきたわけですが、これを腹に落とし込むには先日の氏との対話に於ける【御内証】への理解が無ければ叶いません。 故に突発的ではあったものの【御内証】に関して時間を割いた訳でございます。

しかしながら法体に約しての立て分けとは別の物差しにて事相に約しての立て分けは成り立ちます。その辺りの整理がついているかを確認する為に 「私がお聞きしたかったのは、広布前の戒壇の大御本尊様の御在処を「義」とする根拠が、嫡々書写の御本尊を「義」とする根拠と同一のものと認識されているのか否かということだったのです。お手数ですがそれだけお教え頂ければ幸いです。」 と質問させて頂きました。

氏からの返答は 「根拠は同一である。日寛上人は一貫して定義されています。広宣流布前の戒壇の大御本尊の御在処(大石寺)を「義の戒壇」とする根拠と、嫡々書写の御本尊を「義の戒壇」とする根拠は、日寛上人において同一であると断言します。」 とのことでした。

非常に残念ですがこれでは戒壇論の最初の一歩から間違った方向に向かっております。その誤りがどこから発生しているのかを時間をかけて考えましたが、やはりこれは浅井昭衞氏自身の戒壇に関する認識の瑕疵から始まっているとの結論に至りました。 このスタートの誤りが、日達上人・日顯上人御指南の【本門根源事の戒壇】への理解不能へと繋がり、引いては日相上人聞書に於ける開合の相を【広宣流布後】の立て分けであるとの正反対の結論を導き出してしまう根本的原因と断じるものです。 したがいまして【法体に約して】の立て分けを論じる前に【事相に約して】の立て分けを含め戒壇論の基礎的教学を一から説明していきたいと思います。

浅井流戒壇論の瑕疵とは、 結論から申し上げますと【戒壇を立て分ける方程式の未知数を混同している】ということと、【戒壇と戒法の区別が出来ていない】の二つでありましょう。本日は一番目の【戒壇を立て分ける方程式の未知数を混同している】ことについてお話し致しましょう。

戒壇立て分けの方程式

方程式というと中学生の数学を思い出しますが、そんなに難しくは無いのでしばしお付き合いくださいませ。

事相に約しての立て分けの方程式は以下のようになります。

御遺命の戒壇 x = 事の戒壇

広布以前における戒壇大御本尊の御在所 x = 義の戒壇

ここに於ける未知数たる「x」は戒壇の大御本尊安置の本堂…、すなわち「建物」が有るか否かということになります。これは顕正会の教学書においても理解できるかと思います。次に法体に約しての立て分けの方程式は、

戒壇大御本尊の御在所 y = 事の戒壇

嫡々書写の御本尊安置の処 y = 義の戒壇

となります。ここでの未知数「y」は【根源と枝流】となります。しかしながら浅井流戒壇論はこの「y」に「x」を代入して結論を導くという間違いを犯してしまっているのです。

賢明な方はもうお気付きになったでしょうが、この【未知数】というのは【義理の戒壇】の【義理】(意味合い)にあたる部分です。

日寛上人は文段に於いてこれを【道理】とも表現されています。

すなわちxとyは全く別物の【道理】に基づくものであり、これをハッキリと区別して開合の相を拝していかなければ正しく日寛上人の戒壇論を理解することは出来ないのです。

今回日蓮正宗改革愛好家氏が法体に約しての立て分けに迷いを生じているのも、浅井昭衞氏のスタートからの認識の瑕疵によるものだと結論づけさせて頂きます。

本尊所住の処は戒壇

さて上記方程式のxに関してですが、これを確実に理解出来ると歴代御法主上人の御指南が全て辻褄を合わせてきます。

それだけ根本で大事な道理なのですが、それを完全に理解出来ている人は殆どいらっしゃらないのではないでしょうか。

それも致し方無いのかもしれません。これを理解するには三学、理戒に対する事戒、戒壇建立の御遺命等々の基礎的知識があってこそはじめて具体化した形として現れてくるものだからです。

長くなるので、ここから先は次の記事にてお話ししたいと思います。

取り敢えず過去にこの前提となる文章を書いてありますので、お時間のある方は是非ともお読み下さると幸いです。

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