「考えるな、感じろ」との有名なセリフはブルース・リーの映画で知っている方も多いことでしょう。このセリフの解釈は色々とあるようですが、私は「現証として顕われた事象を客観的に理屈で考えるのではなく、それを産み出した心の状態やそれに応じた体の自然な動きに気持ちの焦点を合わせろ。」と言っているのではないかと解釈しております。(図らずも本日はブルース・リー氏の祥月命日だったようですね。)
これは大聖人様の仏法を実践する上に於いては非常に大事なことだと私は思います。今から16年前になりますが、正月の猊下様へのお目通りの際にその時の御指南がツボに入ってしまい思わず滂沱たる涙が溢れて止まらなくなってしまった私に、隣に座っておられた現在の富士地方部長さんが「猊下様はね『常に自分の心に向き合いなさい。』と御指南下されるんですよ。」(趣意)と教えてくださいました。
御本尊様と境智冥合するのはこの信仰の大事な部分ですが、その境智冥合した際に自身の心の状態がどうなっているのか、そしてそこから発せられる言動がどう変化するのか、その縁に触れた者がどのように影響を受け環境が変わっていくのかを感じ取れるか否かは非常に重要なことだと思います。
それを上手く言語化できるならばそれは立派な折伏になるわけです。また、この信仰に入る際においてもこの「感じる」という行為は無くてはならない重要な要件となってくるものと私は思います。本日はそのような観点から少しお話をしてみたく思います。
以信得入
「以信得入」とは信を以て入ることを得たりという意味です。この信仰に入るためには「信」が必要なのですが、その「信」とは仏様の境界への「信」であり、その境界を宿す三宝への「信」なのです。これは日寛上人の当流行事抄に説かれております.
しかしながら、その信じる根拠が提示出来ないのであれば、それは単なる「盲信」だと揶揄されても仕方ありません。ゆえに多くの方は根拠を探すために様々な文献にあたっていくのでありましょう。けれども思索を重ねれば重ねるほどに理解は出来なくなっていくのではないでしょうか。そして最後には全否定して信仰とは離れていってしまう…。これは誠に残念なことだと思います。
五感を研ぎ澄ませ
私達には五感というものがあります。頭だけではないのです。自分の眼で見て、耳で聞いて、その肌に伝わる温度を感じて…、それが正しいのか邪なのかを感じ取る生まれながらして持ち合わせている野生の勘というものがあるのです。それをフルに発動して正邪を判別するべきだと私は思います。それが全てのスタートであり、それを裏付ける活字の文証はその後に丁寧に調べていけば御仏智により必ず探し出せるものだと確信しております。
実際に私はそうしてきました。
何も信仰を持たない人々が大石寺の地を訪れた時、その感想を聞くと「清々しい空気で素晴らしい。」との感想を多く耳に致します。信仰を持たない人においてもそうなのですから、何かしら大聖人の仏法に関わっている方ならもっとリアルなものを感じることでありましょう。
大聖人の仏法には興味はある…、しかし何が本物なのかが分からない…。
そのような方は是非とも大石寺の地をその足で踏みその空気に触れてください。必ず何かを掴めると思います。そしてその第六感は決して間違ってはいないと確信いたします。
お世話役
ご報告が遅れましたが、昨年(令和7年11月15日)私は大石寺塔中である報恩坊の講頭職を御法主日如上人猊下より拝命致しました。
講頭職というと何だか偉そうな響きがありますが、実質はより多くの方を戒壇の大御本尊様の元にお連れして成仏の境界を得られる臨終の夕べまでその面倒をみる「お世話係」でございます。公式にそれをご命令された以上、私は残りの人生全てををそれに費やす覚悟を決め、謹んでその任をお受けいたしました。
もし少しでも大石寺に伝わる大聖人様の仏法に興味のあられる方はお気軽にご相談ください。誠心誠意貴方様の夢をかなえるためにお手伝いさせて頂きます。



コメント