顕正会流「事」「義」の立て分けを斬る

顕正会論客を論破する

先日の投稿を受けて日蓮正宗改革愛好家氏より反論を頂戴した。

なお私が提示した二点に関しては返答しない旨の意思表示も頂いた。そもそも妙信講の破門理由ならびにその後の許されざる謗法行為は上記二点であり、顕正会員が晴れて大石寺に参詣を許されるためには避けては通れない問題であるがゆえに回答を求めたのであるが、現時点ではどうにも触れたくないようである。

戒壇論が妙信講破門に関係ないことは日達上人の以下の手紙で理解できる。けれども昭衞さんが半世紀もの時間をかけて戒壇論が破門理由だと多くの顕正会員を洗脳してきたがゆえに、先ずは顕正会流戒壇論を破折し尽くすことが肝要かと思い、とりあえず顕正会の謗法行為は一旦棚に上げて彼らの金看板を徹底的に論破することとする。

日蓮正宗改革愛好家氏よりの反論

先ずは日蓮正宗改革愛好家氏よりの反論を紹介する。

まぁ読むのも嫌になってしまうくらい長いのだが、とりあえずこちらは誠意を見せるために全文読ませて頂いた…。しかしながら氏の質問事項が今一つ理解できないがゆえにそこを明確にするために質問させて頂いた。その回答が以下である。

とにかく長いのだが、つまるところ氏の言わんとしていることは法華取要抄文段における日寛上人の御指南には法体に約しての立て分けは説かれていない。ゆえに日寛上人のお言葉をもって私が主張するところの「広宣流布以前の戒壇の大御本尊御在所を事の戒壇とする」ことを証明せよ。ということのようである。

それでは要望にお応えするが、氏のこれまでの投稿を見る限り戒壇の「事」「義」を捌く基準というものが腹に落とし込めていないように感ずる。

「事」と「義」

日蓮正宗改革愛好家氏の教学レベルを確認するために質問するが、

最勝の地を論ずるに有り、有り。謂わく、富山の最勝は即ち事に約するなり、延山の最勝は是れ義に約するなり。

(文底秘沈抄 六巻抄 64㌻)(顕正会版六巻抄 64㌻)

上記の「事」および「義」を立て分ける物差しは何かをお答えいただきたい。これはまたその後の法華取要抄文段の「亦復当に知るべし~本極法身は微妙深遠なり等云云」の解釈にも深く関わってくる問題である。よくよく考えた上で回答をお願いする。

昭衞氏が隠した解釈

昭衞氏は折伏理論書(改訂版128㌻)において法華取要抄文段の戒壇を論じる御指南の解説をしているが、サクッと削除している箇所が存在する。それが当に今回日蓮正宗改革愛好家氏が指摘してきた箇所なのである。

私はその箇所こそが「法体に約した立て分け」であり、そこにおいて日寛上人は法体に約して戒壇の大御本尊の御在所を「事の戒壇」とし、嫡々書写の御本尊を「義の戒壇」としていると述べたわけだが、それを日寛上人の御指南をもって証明せよと氏より要望があった。

以下にそれを論述する。

その前に再度どの箇所かを確認したい。

④ 亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。

⑤ 然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。

⑥ 妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云。

⑦ 凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く源遠きに非ずや。故に天台の云わく「本極法身は微妙深遠なり」等云云。

該当部分は上記である。

根源と枝流の一節に関して

さて「根源と枝流」の一節に関してであるが、ここから些か複雑になってくるので頭を柔らかくして聞いて頂きたい。氏に対して私は「この法華取要抄文段にも事相に約しての「義」と法体に約しての「義」が織り込まれている。つまり「二重の義理」、「二つの物差し」が併行して説かれていると述べた。しかしながら氏の主張は大多数の顕正会員さんが陥る「事相に約しての義理」しか目に入っていない。よって最終的に矛盾もまた生じるのである。ざっと考えただけでも氏の物差しでこの御指南を拝すると以下3点の疑問が出てくる。

顕正会流解釈における3つの矛盾点

  • なにゆえ「広宣流布の時至れば」として広布後の根源と枝流を比較するのか?
  • 事相に約しての「事」「義」しか存在しないのであれば、「 亦復当に知るべし、~ 「本極法身は微妙深遠なり」等云云。」までの部分は必要ない。要はこの部分を削除しても意味は通じる。(文底秘沈抄の如し)
  • 「 広宣流布の時至れば 」として広布後の話をしているにもかかわらず、後段においては「今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。 」と現代の話にすり替わっておられる…。これ如何。

これらの矛盾点を氏はどのように会通しているのだろうか?そもそも日寛上人ほどの方が必要ないことを文中に差し挟むとは到底考えられない。そこには必ず意味を含んでいるはずである。これに関しては氏への宿題とし、万人が納得する回答を待ってみたい。

義の戒壇における二つの義理

日寛上人の御指南の特徴の一つに「義理」とあげた直後にその「義理の意味」を必ず述べるということがある。

1. 「事」「義」というのは比較相対の表現であること。

2. 日寛上人は「義」との表現を多用されるが、その「義」とは何を比較の物差しとした「義」であるかをその都度明らかにすること。

これらの情報を日寛上人は「義理」と述べた直後に必ず説明されているのである。これから触れる箇所の「義理の戒壇」の後には「根源」と「枝流」という比較をもって法体の相違を説き、御遺命の戒壇建立の地はいずこかの比較をするのである。そして嫡々書写の本尊はその場所ではない。なぜならば法身の四処ではないからである。さればここでの嫡々書写の本尊安置の処「義の戒壇」とする意味はなんであろうか。それは「題目修行のところ義の戒壇」の「義」である。と述べておられるのである。それでは詳しく見ていこう。

該当箇所の解釈

日蓮正宗改革愛好家氏は御存じなかったようだが、この箇所は癡山日饒の邪義に対する破折の論法がそのまま法体の立て分けに関するものであるがゆえ、そのまま文段に流用されたのである。

詳しくは文底秘沈抄(六巻抄65~70㌻ 顕正会版六巻抄64~71㌻)に書いてある。先ほど宿題を出しておいていきなり答えを教えてあげる私は本当にお人好しだが、それを理解するレベルに日蓮正宗改革愛好家氏があって欲しいと願うものである。

とりあえずこの癡山日饒の邪義なるものを理解してからでないとこの後の私の話は理解できないだろうから、先ずはよくよく文底秘沈抄を読み込んでいただきたい。

題目修行の場という義理

亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。

ここでいきなり上記の矛盾点の一つが出てきた。なぜ「広宣流布の時」に限定して「事」「義」を論じる必要性があろうか。

実はここでの「根源と枝流」の話は上記で取り上げた文底秘沈抄の「 問う、癡山日饒が記に云わく…」の邪義を受け、法体の立て分けに迷う者に対して、法体の根源と枝流のけじめをつける御指南をそのまま流用して法体に約しての「事」と「義」に言及されている。」 ということなのである。

そしてここでの「皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」の「義理」とは氏の主張する「本門の本尊所住の処」の意ではなく、もう一つの義理である「本門の題目修行の処」を意味しているのである。

文底秘沈抄では「御遺命の戒壇は本門流布の地であればどこに建立しても良いのである。」(趣意)という癡山日饒の邪義に対し「経に云わく「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても是の中皆応に塔を起てて供養すべし。(乃至)故に此の文意は本門の本尊所住の処に応に本門の戒壇を起つべし。所以は何、当に知るべし、是の処は法身の四処の故なりと云云。明文白義宛も日月の如し、何ぞ曲げて私情に会せんや是四。」として戒壇の大御本尊所住の処は法身の四処であり、そこに御遺命の戒壇を建立すべきである旨を説かれている。すなわち「本尊所住の処、義の戒壇」とは、別しては戒壇の大御本尊様所住のところを指すのである。

したがって「嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」の「義理の戒壇」とは「題目修行の処であるが故に義理は戒壇。」と拝すべきである。なお、ここにおいて「広宣流布の時至れば」と仰せなのは、上記癡山日饒の邪義が「御遺命の戒壇建立の地」を論ずるがゆえにこの語が挿入されたとみるべきであろう。したがって広宣流布以前以後を問わず法体の相違を比較しているのがこの部分であり、そのように拝していくならば上記3点の疑問のうち

  • なにゆえ「広宣流布の時至れば」として広布後の根源と枝流を比較するのか?
  • 「 広宣流布の時至れば 」として広布後の話をしているにもかかわらず、後段においては「今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。 」と現代の話にすり替わっておられる…。これ如何。

以上の2点が矛盾なく解決するのである。

癡山日饒の邪義とは「本門流布の地皆是れ富士山本門寺の戒壇なり。故に百六箇に云わく、何の在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべきなり云云。経に云わく、当知是処即是道場とは是れなり」として嫡々書写の本尊安置の処も御遺命の戒壇が建立されても良いのであるという邪説である。これに対して日寛上人は当宗の本尊には根源と枝流のけじめがあり、戒壇の大御本尊所住の処が全ての根源であると説かれる。

戒壇の大御本尊と嫡々書写の本尊の意義による立て分けとは以下の観心本尊抄文段を見れば分かりやすい。

問う、当門流に於ては総体・別体の名目、之を立つべからざるや。答う、若し其の名を借りて以て其の義を明かさば、本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり。

(御書文段 243)

このように一閻浮提総与の御本尊と嫡々書写の御本尊には自ずとその目的が存するのであり、両者には明らかなる性格の違いがまた存在していることをここで明かされるのである。

そしてここでの一節で戒壇の大御本尊所住の処こそ根源の事の戒壇であり、ここにおいてのみ御遺命の戒壇が建立されるのであると癡山日饒の如くの邪義を斬り捨てられるのである。

昭衞氏が隠した一節

ここからの2段は普通の顕正会員さんは目にしたことが無いはずだ。折伏理論書(折伏理論書改訂版 128) でもこの部分はサクッと省略されている。なぜ昭衞氏がこの一節を隠したのかと言えば、この部分こそ「法身の四処であり広布の暁には御遺命の戒壇を建立すべき現時に於ける事の戒壇」を言い切っておられる箇所だからである。それでは見ていこう。

妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云。

この黄色のマーカーで示したところは文底秘沈抄にも全く同じ引用があられる。

又云わく「何ぞ必ずしも富士山を以て体と為し、本山と為さんや」と云云。

 今謂わく、鳴呼我慢偏執抑何の益有りや、富士山を以て本山と仰ぐべきこと文理明白なり。

 一には富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり、故に本門寺根源と云うなり。弘の一の本十五に云わく「像末の四依、仏化を弘宣す、化を受け教を稟く、須く根源を討ぬべし、若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」云云。宗祖の云わく「本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」等云云。既に是れ広布の根源の所住なり、蓋ぞ本山と仰がざらんや。

(六巻抄 68~69 顕正会版 69~70)

文段では一節の引用のみではあるが、その意味は文底秘沈抄に詳しく述べておられる。戒壇の大御本尊は広宣流布の根源であり、その所住の大石寺こそ本山と仰ぐべきであり、志ある人々は登山参詣すべきであると仰せである。まさしくこれは日寛上人の有名なお言葉

未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しと雖も、すでに本門戒壇の御本尊存する上はその住処は即ち戒壇なり、その本尊に打ち向かい戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱うれば即ち本門の題目なり。志あらん人は登山して拝し給え。(歴代法主全書 4-145)

そのものなのである。また赤字で示した「 今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。」との一節もこれと同義をなすものであろう。 この広宣流布の根源を現時に於ける事の戒壇と拝して信行に励むのが、正しく大聖人様の仏法を信行する者のつとめなのである

凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く源遠きに非ずや。故に天台の云わく「本極法身は微妙深遠なり」等云云。

最後に日寛上人はこの戒壇の大御本尊は御本仏大聖人そのものであるがゆえ根源であると結論付けられている。ここまでの段で戒壇の大御本尊所住の処は、その意義の上からも嫡々書写の本尊安置の処とは違うのであり、法体に約した事の戒壇であることを仰せなのである。

御遺命の戒壇

次に正しく事の戒壇とは、秘法抄十五三十一に云わく「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁世の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」〔一五九五〕等云云。

最後に日寛上人は御遺命の戒壇をあげられる。そしてこの戒壇をもって「正しく事の戒壇」とされる。

顕正会員さんはこの部分をサラッと素通りしてしまうのだが、この「正しく」という三文字が実に大きな意味をなすのである。

「正しく」ということはそれ以前に「それに準じた」同様の「事の戒壇」を日寛上人は説いたということである。

いったいそれは何を指すのか?

どんなに愚鈍な者でも理解できるであろう。前段までに説いた「根源」とされる「戒壇の大御本尊所住の処」こそが「御遺命の戒壇に準じた事の戒壇」である。これは日達上人の一連の御指南と全く相違しないものだ。

すなわち日寛上人は、同じ文章中に広宣流布以前における戒壇の大御本尊所住の処を「義の戒壇」と述べた箇所があると、その後御遺命の戒壇を説かれる際には必ず「正しく」との一言を入れるのである。これは文底秘沈抄においても然りである。逆に報恩抄文段では「戒壇の大御本尊所住の処、義の戒壇」とはしていないので「正しく」の文字は入れていないのである。

これで最後の疑問「事相に約しての「事」「義」しか存在しないのであれば、「 亦復当に知るべし、~ 「本極法身は微妙深遠なり」等云云。」までの部分は必要ない。要はこの部分を削除しても意味は通じる。(文底秘沈抄の如し)」の答えが導かれるのである。

日寛上人は戒壇の大御本尊と嫡々書写の御本尊という法体に約しての立て分けを論じるために癡山日饒の邪義の話を間に挿入したうえで、嫡々書写の御本尊の在所を「義」とし、戒壇の大御本尊所住の処を「事」に立て分け、その上で「正しく事の戒壇」としての事相に約しての究極の事の戒壇を最後に説かれた次第である。

つまり、日寛上人はこの法華取要抄文段において二重の「事の戒壇」を説かれているのである。

以上、この法華取要抄文段においても事相に約しての立て分けと法体に約しての立て分けを併行して述べられていることを証明した。また根源と枝流とは顕正会流の義理の戒壇に分類した中での立て分けではないことや、根源とは「現時に於ける事の戒壇」と日寛上人は認識していることもまた論証してみた。

日蓮正宗改革愛好家氏からの私への課題に対する回答は以上であるが、今度は日蓮正宗改革愛好家氏が上記の私の論証を日寛上人の御指南をもって切り捨てる番である。

どこまで出来るかお手並みを拝見したく思う。

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