戒壇建立は日本の国主が帰依したときだろうが!

エッセイ

最近Twitterで御遺命の戒壇建立は世界の広宣流布後だと強弁する法華講員が目に付く…

 

っていうか鼻につく…。

 

10年ほど前にもこのような法華講員が存在しており、私は散々にやりあった記憶があるのだが、また湧いてきたようだ…。

 

こんなんだから「アホッ華講員」と揶揄されてしまうのである。

 

一期弘法付嘱書には何と書いてある?

 

「国主此の法を立てらるれば」

 

であろうが。

 

世界のリーダーがここで言う国主なのか?

 

お前はNWOの信者か?

 

そもそも闇の勢力は宗教前面禁止だったのではなかろうか?(笑)

 

 

世界の広宣流布が御遺命の戒壇建立の条件だとはどこから湧いてきた理屈なのだろうか?

 

 

 

 

現役顕正会員よ、もっとしっかりせい!この程度の法華講員に手こずっているようではあまりにも情けないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. 雲羽百三 より:

     こんばんは。

     日本の広宣流布が手詰まりになってきたので、世界広宣流布と称して「移民政策」を進める為に湧いてきた発想ではないでしょうか?
     東京オリンピックを控えて、その機運を高めようとしているのではと思いました。
     実際はコロナ禍で外国人新願者は明らかに減ったでしょうに、それが仏様の答えだと気付かないのか、或いは気づかないフリをしているだけなのか……。

    • トチロ~ より:

      そんな小難しい代物じゃないんですよ。(笑)

      そもそも日蓮正宗は「世界広宣流布後の戒壇建立」など言っておりません。

      日本の国主が此の法を立てた時が戒壇建立の時期だというのは昔から現在に至るまで変わりません。

      それでは何故このようなトンチンカンなことを考える法華講員が出現したかというと、専制君主制の世の中であれば国主たる天皇陛下が帰依してこの法を立てればその時点で御遺命は成就するわけですが、現在の日本のような立憲君主制の下では国民が国の動向を左右する権限を担っているが故、国民に対するこの法への帰依が条件となってくるわけです。

      つまり日本国の広宣流布が御遺命の戒壇建立の条件となってくるのですね。

      ここでポイントとなってくるのが「広宣流布」という言葉です。本来は上記のような方程式が頭に入っていればここにおける広宣流布は日本国における広宣流布だと簡単に理解できるわけですが、そんな基本的な道理も理解できない輩は単に「広宣流布」という言葉のみに囚われて大聖人様の願いは一切衆生の救済すなわち一閻浮提広宣流布であるがゆえ、世界の広宣流布が戒壇建立の条件だと、全く別の定義を持ち出してきて御遺命の戒壇と結びつけてしまう愚かな行為をしてしまうのです。

      まぁ、要はこのようなトンチンカンな法華講員よりも顕正会員の言っていることの方が正論だということですね。(この部分に関してはという条件付きですが…。)

      • 雲羽百三 より:

         返信ありがとうございます。

         私のような傍観勢が勘違いしているだけならまだ痛みも少ないでしょうが、ガチ勢が勘違いしていると赤っ恥をかくので大変ですね。
         顕正会員に、「別の法華講員を折伏したら、『国立戒壇建立は世界広宣流布が達成したらだ』と言われたぞ!どういうことだ!?」なんて攻撃されて面倒なことになります。

        • トチロ~ より:

          そうなんです。

          既にそのようなやり取りは頻繁にありまして、巖虎さんが「宗門の戒壇論はメチャクチャである。」と言って憚らないのもこういった現状があるからなんです。

          このような印象を現役顕正会員さん達に与えてしまうと、それだけ彼らを帰依させるのに時間がかかってしまうのですよ。

          また、それなりに影響力のある法華講員がこのような間違った発言をすると、その間違った論法を正しいものと誤認してしまう初心者法華講員が多数発生します。その弊害というものは大変なものです…。

          この仏法は全てが矛盾なく円く収まるものだと私は思います。しかしながらどこかに間違いが存在すると最終的に矛盾が生じてきてガタガタになってきます。それをもってこの仏法の限界を見たと浅はかに結論付けた者たちが退転していくのです。

          そのような悲しい結末を私も今までに何件も見てきました。

          ゆえにどれだけ憎まれようとも間違いは間違いだと言わせて頂いているんですね。

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