顕正会主張の本質

戒壇論

王仏冥合による戒壇建立の御遺命の意義が日蓮正宗内から消失すること…。これを顕正会は「御遺命破壊」と呼んでいます。「国立戒壇」という呼称や事の戒壇の定義の相違などは彼らにとっては枝葉であり、本質的な部分は当にここにあるのです。

このポイントを外して口から泡を飛ばして論破しようとしても、彼らにとってはカエルの面にしょんべんであり何の痛痒も感じません。むしろこちらがしゃべり過ぎることによって相手に更なる突っ込みどころを与えてしまう結果となります。

 

前回はこの「王仏冥合」が「政教分離」の考え方に真っ向から反する問題が生じるというところまでお話ししました。

 

今回は昭和45年5月の日達上人の御指南以降を振り返り現実はどうだったのかを書いてみたいと思います。

共産党質問主意書

昨日Twitterにて

「共産党をはじめ評論家・マスコミ等が一斉に、学会がそれまで主張していた「国立戒壇」を取り上げて、「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」と批判した。 」

との顕正会員さんの発言に対して

問題になったのは、御遺命の戒壇のことじゃなくて「国立」か?つまり「国費で建て国が運営するか?」ということです。 だから「国立では無い」という回答です。 何が問題なのですか?」

との反応をされていた法華講員さんがいらっしゃいました。

 

ここまで宗内の認識も落ちたか…、と絶望的な気持ちになってしまいました。

 

折しも二日後の四月八日、共産党・谷口善太郎代議士が国立戒壇につき質問主意書を国会に提出し、「国立戒壇は憲法違反であり、かつ宗教団体が、違憲の国立戒壇の実現を目的として政治活動を行うとすれば、その活動も憲法違反ではないか」として、政府に答弁を求めた。翌四月九日、答弁のため政府は東京都を通じて創価学会に対し、正式に国立戒壇について照会を発した。

(迷走する顕正会を斬る 130ページ)

四月二十二日、宗門は総本山大客殿で「臨時時局懇談会」を開催し、政府照会の回答に先立って国立戒壇放棄の宗内合意をはかった。

共産党の「質問主意書」のコピーが配られ、創価学会の辻武寿総務室長が登壇、「共産党の攻撃により、いま宗門は危急存亡の時を迎えている。国立戒壇をいえば宗門は潰される」と述べた。それに対して妙信講・浅井本部長が「なぜ潰されるのか、その法的根拠を示してほしい」と質問したが、辻室長は答えずに降壇した。

(迷走する顕正会を斬る 133~134ページ)

現実には上記のような事態が起きていたわけです。上記の法華講員さんはこの事実を知らなかったのでしょうか?知らないのなら顕正会員を破折するにおいては勉強不足でしょうし、知っていながら敢えて上の様に発言したのなら卑怯との謗りは免れないでしょう。そして一番の問題はそのような誤認識が多くの法華講員に共有され、それが公論となってしまう怖さです。そうなってしまったならば顕正会員さんを正法に導く際の大いなる妨げとなるのは目に見えて明らかなことです…。

 

Twitterごときの発言ですが、今回の論題と密接に関係してくる問題なので敢えて取り上げさせて頂きました。

 

国立戒壇の名称放棄

このような経緯をもって昭和45年5月3日創価学会第33回本部総会が開催され、その席上で日達上人より「本宗ではそういう名称を使用しない」と国立戒壇の名称不使用の宣言がされました。

 

「言葉は使用されなくなったが三大秘法抄・一期弘法付嘱書に述べられるところの御遺命の戒壇の意義は脈々と宗内に生き続けている。」というのが私の自論ですし多くの法華講員さんも共感される認識ではないかと思いますが、その根拠は後日述べさせていただくとして、表面的にはこの日を境に「王仏冥合を条件とする戒壇建立の御遺命」に関して表向きに日達上人が触れられることは無くなりました。この表層的な事実をもって顕正会は「宗門は御遺命を捨てた。」と結論付け「御遺命破壊」と謗るわけです。

 

そんな馬鹿な…、と思われる法華講員さんもいらっしゃるかと思いますので、是非とも昭和45年5月から御遷化までの日達上人のお言葉をしらみつぶしに当たってみてください。おそらくそのものズバリのお言葉は見つからないはずです。

 

逆説的に言うならば、後年平成16年に日顯上人が

 

そこで、四十五年四月六日の虫払大法会における『三大秘法抄』の戒壇についての御説法があるのですが、これは日達上人の御本意をお示しになったものだと、私は思うのであります。虫払大法会の説法ですから長い御説法でしたけれども、趣意は「『三大秘法抄』の戒壇は御本仏のお言葉であるから、私は未来の大理想として信じ奉る」ということをおっしゃっておるのです。要するに「未来の大理想」だから、御遺命の戒壇は未来のことだということです。

(大日蓮 平成16年12月号)

とのお言葉を述べられていますが、上記期間の日達上人のお言葉にはやはりその旨の内容は存在しないがゆえに時を遡れば昭和45年4月にまで行きついてしまったということでもあろうかと思います。

 

つまり戒壇建立の御遺命は蔵の中にしまわれ表からはそれを見ることが簡単には出来なくなってしまったというのが現実でありましょう。そしてこの日達上人の御決断を指して顕正会は「御遺命破壊」というのですが…、はたして本当にそうでしょうか?大聖人様の仏法の道理からみてそれは当然の決断であり、御法主上人が負われている責務と権限を行使した結果そのものではないでしょうか。

 

これに関しては次回にお話しさせて頂きたいと思います。

 

おまけ

今回も法華講員をいじってしまったもので、この後多くの女性法華講員さんから非難のメールが届くことかと思います…。

 

彼女たちの目には「インチキおじさん」というよりも「下品で逝かれたクソオヤジ」と映っているのでしょうね…。こんな風に…。

 

 

たしかにそういった一面もありますが、本来の私は「オヤジ」や「おっさん」というよりも「おじさま」といった雰囲気なんですよ…。

 

こんな感じで…。

 

 

 

 

 

そんなわけで私が折伏して入って来られる方は9割以上が女性なんです…。イメージ的にはこんな感じ…。(踊ってはくれませんが…。)

 

 

 

 

まぁ私は叩かれ慣れてますんで、この程度は屁とも思わないんですが、いちおう文句言われる前に少しだけ自己弁護しておこうかなということでした。

 

 

私はMではありません。どっちかというとドSか(笑)

それではまた…。

https://kenshokai.org/mail/

 

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