顕正会主張「不敬の御開扉」を斬る!

最初に知って頂きたいこと

現在顕正会では「安倍政権断末魔特集号」なる奇妙な新聞を精力的に配布しているようですね。

 

いかにも「私たちは宗教勧誘しているんじゃないですよ♪」ってなノリで配布できるわけですから、会員さんにとってはそりゃあ配りやすいでしょうよ。けど、ひとたび紙面を開けばそれは宗教以外の何ものでもないわけで…。

 

まぁ、一般人には受け入れられないでしょうね…。

 

まぁ、これに敏感に反応するのは法華講員くらいのものかもしれません。ってなわけで、この新聞の一番の突っ込みどころ、「不敬の御開扉」に関して本日は書いてみましょうね。

 

 

 

「断末魔特集号」の記載

 

昭衞さんはこの新聞において何と言っているかを確認してみましょう。

 

 

要約すれば、

 

日興上人、日目上人等の上古の時代には「御開扉」という制度は無かった。ゆえに信徒は戒壇の大御本尊様にお目通りをするということ自体があり得なかったのである。

 

時代が流れて後に現在の「内拝」という制度が出来たが、厳格な儀式ゆえに安易なお目通りは許されていなかった。

 

といったところでしょうか?

 

現在の御開扉が安易なものであるかどうかは自分たちの目で確認すればよかろう。誰がどう見ても「安易」なものでは無いことはだれでも理解できるはずだ。

 

今回はこれに関して論ずるつもりはないので次の機会に譲るとして、

 

上古の時代に「御開扉などは全く無かった。」という点について述べたい。

 

 

あたぼうよ!

 

(注)「あたぼう」とは「あたりめぇだ!べらぼうめ!」の略語です。顕正会員の皆さんも眉間にしわを寄せて数字ばかり追いかけていないで、たまには落語の一つも聞きましょうね心が少しばかり豊かになりますよ

 

そりゃあ、「御開扉」なんて言葉が出てこなくて当然なんですよ、はい…。

 

だって大聖人様、日興上人の時代には

 

御宝蔵に秘蔵厳護されてなかったんですから!

 

その当時は本堂に戒壇の大御本尊様は御安置されており、参拝しにきた信徒はだれでも直接に戒壇の大御本尊様を拝めたのですね。

 

ゆえに「御開扉」なんて言葉は存在しなくて当然なんです。

 

それをそのような言葉が当時の記録として残っていないことをいいことに、昭衞さんは上古においては戒壇の大御本尊様を拝める機会は無かったのであると話を飛躍させてしまっているのですよ。

 

顕正会員の皆様、どうですか?

 

あなた方の主張が根底から崩壊していく音が聞こえてきませんか?

 

「トチロ~てめぇ適当なこと吹いてんじゃねえよ!」

 

といった声があちこちから聞こえてきそうですので、一つずつ確認してみましょうね。

 

 

第一回正本堂建設委員会の砌り

 

正本堂問題で真っ先に取り上げられるのがこの「第一回正本堂建設委員会の砌り」ですから、顕正会の皆さんも過去におそらく目を通したことはあるかと思います。

 

私が手を加えたとかスットンキョウな言いがかりをつけてくる人もいるかもしれないので、原本をスキャンしてみました。

 

 

 

この御指南を拝すると、上古の時代は地理的な関係もあるのでしょうが、信徒でなければお参りに来ることもなかったわけで、ごくごく自然な形で戒壇の大御本尊様にお目通りがかなっていたわけですね。

 

当然のことながら、そのような状況ですから「御開扉」だとか、「内拝」だとかの言葉が文献に残ることは無かったわけです。

 

次に日興上人が大石寺に移られた時代を確認してみましょう。

 

 

大石寺においても昔は本堂にご安置

 

身延離山をして日興上人は大石寺を建立されましたが、その時も戒壇の大御本尊様は本堂にご安置されたと伝えられています。

 

その後戒壇の大御本尊様は御宝蔵に移られますが、それまでの間は現在の諸行事が執り行われる御影堂と共に戒壇の大御本尊様がいらっしゃる「本堂」が存在していたわけです。

 

とりあえず確認できるものとしては以下の大石寺の地図があります。

 

 

第14世日主上人の書かれた地図ですが、上部に「御影堂」と「本堂」が並んでいるのが確認できますね。

 

少なくともこの当時までは本堂に戒壇の大御本尊様はいらっしゃったわけです。当然のことながら「内拝」などの言葉が出てこなくても当然のことではないでしょうか?

 

このように上古においては日達上人の御指南のように戒壇の大御本尊様にお目通りが出来ていたと推察できるわけです。

 

それでは現在のような蔵の中で「内拝」させて頂くという形態はいつの時代から始まったのでしょうか?

 

御宝蔵への御遷座は日精上人時代から

 

その後第17世日精上人の時代に現在の御影堂が建立され、御影堂に戒壇の大御本尊様は御安置されました。そして御隠尊となられた日精上人が現在の御影堂の御本尊様を造立され、それと同時に戒壇の大御本尊様は御宝蔵へ御遷座されたとされています。

 

この時から日寛上人が御登座されるまでは約40年ありますが、日寛上人の記録には御開扉の記述はあまた散見されますので、当然のことながら御宝蔵へ御遷座された直後から同じように「御開扉」は為されていたと思われます。

 

そして現代においても御開扉を受けるには所属寺院の御住職様より「この人物は我が寺院の信徒であるから内拝を賜ることをお許しいただきたい。」旨の証明書を発行していただき、それをお山に提出し、それを御法主上人猊下がお認めになってはじめて「御開扉」をお受けすることが出来るのです。

 

なんら日寛上人の時代と変わるものではありませんよね。

 

当に厳粛な儀式として「御開扉」は執り行われているのです。

 

 

結論

 

身延の頃より現代に至るまでの御開扉の流れを大急ぎで見ていったわけですが、どうでしょうか?

 

昭衞さんが言われるように「昔は戒壇の大御本尊様にお目通りは叶わなかった。」なんてことは微塵も存在しないことがご理解いただけたでしょうか?

 

「御在世の信心にかえる。」

 

なんていうのは、登山(戒壇の大御本尊様にお目通り)が出来ない、御本尊様を御下附いただけないという今の自分たちの状況を無理やりに肯定化するための詭弁でしかないのです。

 

「戒壇の大御本尊様にお参りするべきではない、御本尊様をお持ちしなくても良い。」ということが大聖人様の御意であるならば顕正会員の立場のままでも構わないのでしょうが、日興上人をはじめとする御歴代の御法主上人猊下の「御開扉観」を上記のように拝するならば、それは全くの正反対だということがご理解いただけるのではないかと思います。

 

大聖人様も、霊山におられる御歴代の御法主上人も、顕正会員の皆様が本物の大石寺にお参りされ、戒壇の大御本尊様の御前で懺悔滅罪されることを心の底より願っていらっしゃるものと思います。

 

「安倍政権がどうのこうの…。」なんて、あさっての方向に銃をぶっ放すようなバカなことをいつまでもやっていないで、求道心が微塵でも残っているならばすぐに大石寺にお越しください。

 

それが唯一の広宣流布への道であり、皆さんが成仏できるか否かの分かれ目なのです。

 

 

ご質問お問い合わせはお気軽にこちらまで

 

 

顕正会版日寛上人御本尊をお持ちの方へ

 

 

顕正会版日寛上人本尊は本物とは紙質が相違します。

 

顕正会版は現代の製法で作成される紙を使用しています。

 

昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。

 

 

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コメント

  1. 雲羽百三 より:

    こんにちは。今頃は大石寺ですかね。

    いっそのこと、私のブログで御開扉の模様を再現してみましょうか?
    うちの主人公、作者の私と違って離壇してないんで、支部総登山に参加したという体にして。

    ……ああ、そうですか。
    「公式マンガ“となりの沖田くん”でも御開扉の厳粛な模様は再現してねーのに、離壇者のオメーが勝手なことするんじゃねぇ!」
    ですか。
    失礼致しました。
    ところで、“となりの沖田くん”の新刊、第8巻は出版されましたでしょうか?
    もし出てたら、それの購入の為に大石寺まで行きますよ。
    ええ、観賞用、布教用、保存用、護身用、そして冥土の土産用に5冊は欲しいですねw

    • 桜梅桃李(トチロ~) より:

      あんなペラペラの本で護身用になるかは疑問ですが…、

      一緒に「なかみせ」のカレーでも食いましょう。奢りますよ。

    • トチロ~ より:

      それと、フィクションですから、何でもアリで良いかと私は思います。

  2. トチロ~ より:

    ついでに、護身用でしたら御書の方が役にたつと思います。

    睡眠導入剤としても御書は効き目があります…。

  3. 雲羽百三 より:

    御開扉中の投稿、恐れ入ります。
    レスありがとうございました。

    因みに護身用というのは、もしも顕正会に限らず、「邪教」の勧誘を受けた際の「護身用」という意味です。
    まさか一般人があの本を持っているとは思わないでしょう。
    つまり、あの本を持っている時点で先方からは関係者扱いされるというわけですw

    御書の場合は……そうですね。
    顕正会員の血圧を急上昇させるか、急降下させる効果があるでしょうwww

    あと真面目な話……。
    宝物殿を一般公開すると、山内折伏がとてもやり易くなると思いますよ。

    • トチロ~ より:

      宝物殿は一般の方でも見学出来るんですよ。

      受付で記帳すれば基本的に大丈夫だったはずです。当然のことながら法華講員が保護者で付いていれば「即OK」ですが、一般の方だけでも見学出来ると思います。

      ただ、それだと監視兼ガイドさんとして御僧侶が付きそうですが…。当然「折伏つき」だと思います。ウザいのが嫌ならトロい法華講員に付き添いして貰うのが一番ですね。

      メールフォームで申し込んで頂ければトロい私が付き添います。

      • 雲羽百三 より:

         こんばんは。御登山お疲れさまです。

         私は会社の飲み会の帰りです。
         こんな時間になったもんで、私の方はブログの更新をお休みさせて頂きますw

         それはさておき、一般の方もOKですか。
         それは最近になってからですか?
         それとも前々から?
         法道院さんにいた時に1度だけ行ったのですが、その時は何か「ワッペンを着けていない人はダメ」みたいな感じでした。
         なもんで、ワッペンを手に入れることのできない信徒以外はダメなものだと思っていました。

        >メールフォームで申し込んで頂ければトロい私が付き添います。

         ま、私にはメールフォームでなくても、直アドがありますから……w
         でも、気が向いたらよろしくお願いします。

        • トチロ~ より:

          最初からですよ…。

          確かに御開扉のワッペンをつけている人はそのままスルー出来ますが、御開扉を受けない方や一般の方は受付で記帳すれば宝物殿内で首にかけるワッペンを貸してもらえたはずです。

          ちなみにモモさんが法道院に入った頃に、私は顕正会員の女性二人を宝物殿にご案内して、そのまま報恩坊で御受戒に至ったこともありました。

          • トチロ~ より:

            ヤバッ…。

            トロい私と言っておきながら、その戦法でご婦人を導いてしまったことを話してしまった…。

            羊の皮を被った狼だと誤解されないか…。

            実物は「羊の皮を被ったヤギ」ですから、皆さま安心して下さい。

          • 雲羽百三 より:

             トチロ〜さん、山羊はキリスト教では“七つの大罪”の1つ、「色欲」を司る悪魔アスモデウスと比肩する動物とされているんですよ。
             なるほど……それで女性2人をねぇ……。
             手下の悪魔サキュバスやインキュバスの角が山羊のそれとそっくりなのも、それが理由だそうです。

             それにしても、キリスト教は楽でいいですね。
             人間の大罪が7つしか無いんですもの。
             仏教は2倍(十四誹謗)ですからねw

          • トチロ~ より:

            先ほどはメールありがとうございます。

            「七つの大罪」って、漫画しか知らん…。今度勉強してみますね。

            ところで、もう一個のブログにも同類が出現しましたよ。

            http://houonbou.seesaa.net/article/458638619.html#comments

            こいつの所属と正体はほぼ確定しましたね。法を下げるしょうもない輩が多くてあきれ返りますよ。

            あまりに度が過ぎれば正規のルートでクレーム入れるしかないでしょうね。それが原因で除籍になったとしても自業自得でしょう…。

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