本門心底抄(巖虎独白より)

エッセイ

巖虎さんのブログの本日の記事に以下のような記述があった。

 

 

沖浦氏の斬り返しはなかなか鋭いものがあって、不勉強の人には対応困難かもしれない。かく言うわたくしも不勉強であり、ひじょうに困ったことになった。

重須学頭・三位日順『本門心底抄』貞和5年に以下の記述があります。

「行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し・戒壇の方面は地形に随ふべし、国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず。」
(富士宗学要宗第2巻34ページ)

重須学頭である三位日順ですが、日興さんに学頭職を譲られた日順が「本門の戒壇」について述べています。

「仏像を安置すること」

について述べていますが、「本門の戒壇」に安置すべき本尊として戒壇本尊が当時存在しているなら、このような発言が出てくること自体が不自然ですね。

更に知行に従うとか、最後には今決めておくと本当に建てる時に困ると言っています。

日興さん門下の秀逸の日順が書いていますので、日興さんにも確たる本門戒壇構想はありません。

これについて正確を期すと、本門戒壇構想はあった、しかし、その内容には疑問符が付く、ということになるだろう。平たく言うと、日蓮正宗が主張する戒壇義とは異なっている、これはいったいどういうことなのか、といった感じである。

当然、これには日蓮正宗側の公式見解のようなものがあるはずだが、わたくしは不勉強なものだからそういうことすら知らないのである。そこでワガママを言わせてもらうと、法華講の諸氏でこの問題に詳しい人がいらっしゃればぜひとも教えていただきたい。とは言え、日蓮正宗の戒壇論をデタラメ呼ばわりしているわたくしに助け舟を出してくれる法華講員がいるとも思えないので、最後は自力で何とかしないといけないのだろう。

以上、この件に関しては宿題ということでよろしくお願いしたい。

 

早速私も御宗門においての公式見解というものがあるのかどうか調べてみたが、残念ながら現段階では発見できなかった…。気になる箇所(「仏像を安置することは本尊の図の如し」の解釈)はあるので、今後継続して調べてみるつもりではあるが…。

 

ただ、それ以外は日蓮正宗の教義ならびに顕正会の知識で特に問題なかろうかと思うものである。

 

まずここにおける「定」とは「本門の本尊」であり、「慧」とは「本門の題目」のことであり、法華経の行者たる大聖人が既に出現され「本尊」と「題目」はお残しになった。あとは「戒」であるがこれは広宣流布の暁に建てよと遺命されている。

 

このように読めばこの後の「仏像云々」は三大秘法における「本門の本尊」でないことは理解できると思うのだ。

 

じゃあ、「仏像云々」は何なのか説明せよ!と迫られれば今の私には即答できない…。

 

これが沖浦氏との対論回避の偽らざる理由ではある…。

 

戒壇の方面は地形に随ふべし、国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず。」

 

に関しては日達上人が昭和45年6月28日のお言葉で以下のようにお言葉を残されている。

 

 次に、日興上人滅後十六年、三位日順が『本門心底抄』に、

戒壇の方面は地形に随ふべし、国主信伏し造立の時に至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし、兼日の治定後難を招くあり寸尺高下注記するに能へず。(富要二―三四)

これですね。これが「戒壇の方面は」これはふたとおり考えられます。簡単に「地形によれ」、天母山みたいなああいう地形によれというように簡単に考えてしまっては困る。方面と地形、方面というのは、「それについて」という意味がとれます。普通は「それについて」「戒壇については地形によれ」とこう解釈できます。もう一つあります、それは「戒壇の方面」ということは「四角」という意味です。四角あるいは六角でもいい、そういう形を言っておる。地形(ちけい)は地形(ちぎょう)である、地形(ちぎょう)と言いますね、今、地形(ちぎょう)とも読める、地形(ちぎょう)です。こう土地をならしたりどうとかする、そういう地形によらなきゃならん、こういうふうにもとれる。そういう場合には全部智臣、大徳寄って相談せよ。だから「寸尺高下」と言ったわけですね。段をいくだんにしろとか、あるいは低くしろ、高くしろ、そういうことは注記できない。「兼日の治定」前々もってそういうことを相談するということは、定めることは、後難があるから、そういうことは言えない。と、こうもとれる。

 

この御指南で誰しも十分理解はできると思う。

 

はてさて問題の「仏像を安置することは本尊の図の如し」ではあるが、結論から言ってしまえば御遺命の戒壇は本門寺の本堂となるわけで、戒壇の大御本尊様をご安置する本堂(御遺命の戒壇)を中心として諸菩薩を御本尊様の相貌のように配置せよという意ではないかと思う。

 

こういうことを述べると「それでは造仏を肯定するのか?」との疑難を吹っ掛けられるかもしれんが、さにあらず…。

 

現在の大石寺内をそういった観点から見直してみると面白いことがわかる。

 

すでに現時点でも御影堂ならびに奉安堂を中心にして「塔中」と呼ばれる僧坊が20数か所配置されている。私にはこの配置図が御本尊様の相貌にみえて仕方が無いのである。

 

つまり、仏像の代わりに御本尊様を各所に配置して大石寺という大きなスケールで御本尊様の相貌と同じ形を作っているのではあるまいか…。

 

そもそも「塔中」というのは法華経の説法で釈迦仏と多宝仏とが併座せられた多宝塔の中という意味だ。つまり戒壇の大御本尊様を奉安している大石寺の境内は取りも直さず「塔中」ということであり、御本尊の中に存在する諸菩薩等々にみたてた僧坊が「塔中坊」と現在も呼ばれているのにはこういった意味合いがあるのではないかと個人的には考えるものである。

 

これが的を射ているのか否かは後日御住職様に正式にお伺いしてみたく思う。

 

本日はここまでにしたい。

 

 

 

 

また寛師会に関して書けなかった…、次は頑張ろう!

 

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9月23日追記

 

化石さんより私が分からなかった部分が日蓮正宗要義に記載されているとのご指摘を受け、その該当部分を以下に記載する。

 

巌虎氏が読んでくれれば良いのだが…。

 

 

 戒壇論については、迹門の戒壇に対する本門寺の戒壇を翹望している。その願望の文は一・二に止まらないが、その中よりあえて問題の文を挙げれば、本門心底抄に

「久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し・戒壇の方面は地形に随ふべし」(富要二―三四)

と示されるのがそれである。これについて、他門では随分見当違いの見をもって本宗を非難するが、ことごとく誤りというべきである。日順がここに仏像の語をもってしたのは、一往の義として比叡山の戒壇院において、和尚釈迦牟尼仏、教授阿闍梨文殊菩薩、羯摩阿闍梨弥勒菩薩の三師の仏像を安置する大乗戒の法式が思考中にあったためであろう。ところが、いうところの「本尊の図」とはいかなるものとなるかを考えなければならない。

もし十界の図とすれば、地獄・餓鬼等、三悪道・四悪趣の形像が戒師的意味をもって羅列することになる。観心の談道は別として、事相においては不統一・不体裁の責めを免れない。しかるに釈尊と本化四菩薩の木絵の像とすれば、各処に見える日順の本尊観にも違反する。故に本尊の図のごとき仏像とは、釈尊に四士を加えるごとき像でなく、法に具わる人本尊として大聖人の御影を指すのである。故に日順を釈迦仏像造立論者ということは早計である。

(日蓮正宗要義 266ページ)

 

 

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9月25日追記

 

仏像造立に関してもう一つ参考資料をあげておきたい。

 

次に本門の戒壇に関して、大漫荼羅ないし御影か、一尊四士造像かの論議について一言する。

たびたび述べるが、かの富木常忍の大聖人への質問に対する返事としての四菩薩造立抄のポイントは

「地涌の菩薩やがて出でさせ給はんずらん。先づ其の程に四菩薩を建立し奉るべし。尤も今は然るべき時なり」
(新編一三六九)

の文をいかにとるべきかにある。富木常忍がともかく今すぐの造立は時機が早いのだと思ったことは間違いなく、それが仏像造立可否の問題について、門下で次第に論じ合うようになる因をなしたことは想像にかたくない。

もっとも明らかなことは右文がその時点においての仏像造立を禁止する意味であるということであるが、その先が二つの解釈に分かれる。つまり当面の制止の真意は全面禁止にあると達解することと、将来のある時期、すなわち四菩薩造立抄の文における地涌の菩薩の出現を広布の達成と見て、その時に造立を許すとの解釈である。この二面は相反するようであるが、日興上人は前者を真意とし後者を一往の対機の表現とされ、いわゆる権実の意味をもって裁かれたのである。日興跡条々事に弘安二年の大本尊の授与を示され、また富士一跡門徒存知事に

「聖人御立ての法門に於ては全く絵像木像の仏菩薩を以て本尊と為さず」(新編一八七一)

といわれる文から、正意においては、いかなる時も仏像造立の意志などあるはずがない。しかしまた一体仏造立執者のために四菩薩の添加を一往示されたのも日興上人で、追加八箇条の

「日興が義を盗み取って四脇士を造り副ふ」(新編一八七五)

等の文や、五人所破抄の

「執する者は尚強いて帰依を致さんと欲せば、須く四菩薩を加ふべし、敢えて一仏を用ふること勿れ」(新編一八七九)

と示される立場が、一往存したことに注意しなければならない。もちろん日興上人の真意は当時の造像制止にあった。その真意が判らず、あちらこちらで四菩薩の造像が始まったが、興師門下だけは厳として宗祖の正意が守られた。しかるに日尊が、京開教の晩年において、釈迦像と十大弟子を刻んだ。これに対する後嗣日尹の疑問は西山日代への質問となり、その回答が日代の返状となって現われている。

「仏像造立の事、本門寺建立の時なり、未だ勅裁無し、国主御帰依の時、三ケの大事一度に成就せしめ給ふべきの由御本意なり、御本尊図は其れが為なり」(日宗全二―二三四)

本門寺建立時の造像論であるが、これはもちろん日代の真意ではない。日興上人の前述の対機表現の意味を用い、当時の造像を制止したのである。仏像の言は使いながらも、いよいよ現実問題となれば仏像とは大聖人の御影なりと、文底下種の法義を示す意味と用意があったことは、御影を「仏」ないし「仏聖人」といわれた日興上人の高弟として、充分な薫陶を受けた日代において、思い半ばに過ぎるのである。日順の本門心底抄に

「行者既に出現し久成の定慧・広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し・戒壇の方面は地形に随ふべし」(富要二―三四)

 

とある文もまた同様である。日順の各文に明らかな大漫荼羅即日蓮大聖人の信仰観と、

「聖人は造仏の為の出世には無し本尊を顕んが為なり」(富要二―九二)

と観心本尊抄見聞にいう信解からすれば、広布の時こそ大聖人の正意の大漫荼羅本尊でなければならないし、また仏像の言もその意味を持っている。すなわち仏像とは御影のことである。この意味から日寛上人が右二書の文献について

「是れ当時の造立を制せんが為に且く事を広布の時に寄するか」(末法相応抄・六巻抄一五八)

といわれたのは権巧の言として、簡にしてまさに要を得たものというべきである。故に日興上人の思想は本門の戒壇すなわち本門寺建立の時においても、釈尊の仏像安置を志すものでなく、大漫荼羅本尊であったことは明白である。

 

(日蓮正宗要義 249~251)

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. 化石で未活動からの元顕へ より:

    トチローさんこんばんは。

    本門心底抄については、
    日蓮正宗要義 P266 をご覧下さい。

    同じく本門心底抄には、
    「一閻浮提の内・未曾有の大曼荼羅(中略)本尊総体の日蓮聖人」
    との御文もあるので、
    「十界の図」は御本尊様の相貌とは言い難いのではと思うところです。

    御住職様にお伺いするとの事なので、もしブログにて書けそうなら自分にも教えて下さい。

    多分ご存知の上での記事だと思います。
    余計なお節介申し訳ないです。

  2. トチロ~ より:

    化石さん、ありがとうございます。

    日蓮正宗要義に書いてあるとは知りませんでした。早速確認してみますね。

  3. トチロ~ より:

    アハハ!そのものズバリでしたね。

    私の勉強不足を思い知らされました。

    さっそく該当部分を追記しておきました。いちおう、御住職様には私の考察も確認してみますので、御回答がありましたら、個人的にメールしますね。

  4. 化石で未活動からの元顕へ より:

    トチローさん
    ありがとうございます。
    難しいところですので、自分も興味があります。
    よろしくお願いいたします。

  5. トチロ~ より:

    かしこまりました!

  6. 石山巌虎 より:

    拝見しました。日蓮正宗要義はどなたの執筆であるか存じませんが、ひじょうに理路整然とした文章ですね。わたくしが言うのは甚だ失敬ながらもあえて言いますと、これはさすがに初心者には難し過ぎると思います。上級者向けでしょう。ともかく参考になりました。御礼申し上げます。

    • トチロ~ より:

      巖虎さんへ

      日蓮正宗要義は私の持っているのは平成11年発行の改訂版ですが、初版は昭和53年のようです。発行元は宗務院ですので、中に書かれていることは現時における御宗門の公式見解と捉えて良いのではないかと思います。

      書店でも取り寄せできるみたいなので、一冊手元に置いておくと便利だと思いますよ。価格も2000円以内で買えますし…。

      http://www.dainichiren.com/index.php?id=3

      最後に…、確かに内容は結構難しいと思います。大体が「日蓮正宗入門」という書籍もありますが、あれだって結構なハードルの高さで、「こんなもん入門でもなんでもねえじゃん!」と突っ込みを入れたくなります…。

      世間との温度差を今一つ理解しきれていないのが御僧侶の世界なのかもしれませんね…。(笑)

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