戒壇の立て分けは2つある

国立戒壇について

いよいよ戒壇の立て分けの核心に迫っていきたいと思います。

 

元顕正会員さん達もこの部分が一番の関心事でもありますので、それぞれがその答えを日々模索しているようですね。

 

404 Not Found | このページは存在しないか、すでに削除されています

 

このSOPHさんのブログのコメント欄でも先日話題になっておりました。(55および56)

 

今回はその部分に焦点を当ててみましょう。

 

顕正会の誤りは事相のみで考えるところにある

 

以前も触れましたが、顕正会員さんは戒壇の事と義を論ずる場合いきなり事相に約して立て分けをしようと致します。

 

戒壇の大御本尊様の御在所のみを論じるのであればこれはこれで矛盾なく説明がつくわけではありますが、ここに嫡々書写の御本尊の御在所が混じってくるといきなり説明がつかなくなるわけです。

 

 

(折伏理論書 改訂版 127)

 

  本門戒壇の事と義について

 

近年、創価学会が正本堂を御遺命の戒壇と彫ったことから、正系門家の中で本門戒壇の事と義について法義上の混乱が見られるので、重ねてここに附言する。

まず戒壇の事と義とはどういう意味かといえば、事とは事相(事実の姿)、義とは義理(道理としてその意義がある)の意である。

すなわち、大聖人が三大秘法抄等に御遺命された本門戒壇は、広宣流布の時が至って始めて”事実の姿”として建立される。ゆえにこの御遺命の戒壇を事(事相)の戒壇というのである。

では、広宣流布以前において本門戒壇の意義はないのかといえば、そうではない。たとえ広布の時至らず未だ事の戒壇の建立はなくとも、事の戒壇に安置し奉るべき「本門戒壇の大御本尊」まします上は、その所は義として本門戒壇に当る。ゆえに日寛上人は「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊存する上は其の住処は戒壇なり」(寿量品談義)と仰せられている。これが義の戒壇である。また日興上人以下嫡々歴代書写の御本尊安置の道場も、遠くは枝葉として義の戒壇の意味を持つ。――以上が冨士大石寺伝統の、本門戒壇の事と義についての定義である。

 

(折伏理論書 改訂版 127)

 

これは以前の顕正会員の教科書でもある折伏理論書の戒壇部分の説明であるが、赤字の部分を読めば「義の戒壇」とは「道理としてその意義がある」の意味であることが分かると思います。

 

されば後段の黄色のマーカー部分の「嫡々書写の御本尊安置の場所」が「義の戒壇」とされるわけですが、その「義の戒壇」たる「道理としての意義」とは一体全体なんなのでしょうか?

 

浅井さんは「枝葉として意義が存在する」としていますが、そうすると枝葉に相対する物はなんなのでしょうか?

 

それこそがこの「嫡々書写の御本尊安置の場所は義の戒壇」に対する「事の戒壇」なんですね。

 

もう皆さんお分かりですよね。

 

日寛上人は法華取要抄文段で以下のように言ってます。

 

広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。

 

そうですね、戒壇の大御本尊様の御在所こそが枝葉に相対する「根源」であり、それこそが法体に約した「事の戒壇」なのです。

 

顕正会では上記のように事相からの開き方しか教えていません。ゆえに黄色マーカー部分の「義の戒壇」の説明が全く出来なくて当たり前なのです。

 

これこそが顕正会流戒壇論の弱点なのです。

 

この法華取要抄文段においては事相に約しての立て分けを表としつつも、法体に約しての立て分けもまた文中に織り込まれているのです。顕正会員さんはそのことに気づかなくてはなりません。

 

 

「事」と「義」は比較相対の表現

 

 

ここまで懇切丁寧に説明してあげても浅井教学しか学んでこなかった者においては「事とは事相(事実の姿)」という物差しに固執することでしょう。

 

第二は、本宗の伝統法義の上からは、広布以前に戒壇の大御本尊まします所を「事の戒壇」とは絶対に云えないのである。

まず本宗伝統の法義を示そう。本門戒壇における事(じ)と義(ぎ)とは、事とは事相(じそう)(事実の姿)の意、義とは義理・道理の意である。すなわち、三大秘法抄に定められた条件が整った時に事実の姿として建立される戒壇を「事の戒壇」といい、それ以前に本門戒壇の大御本尊のまします所を「義の戒壇」と申し上げるのである。

 

(正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む 179ページ)

 

「正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む」にも上記のように主張していますしね…。

 

 

しかしながら日蓮正宗における「事」「義」の使い方というのはそのように固定化したものではないのです。

 

ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。

 

仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を 含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。

 

(本門事の戒壇の本義)

 

と日顕上人猊下が仰せのように「相対的な表現」なのですね。ゆえに日寛上人も文底秘沈抄において

 

 

最勝の地を論ずるに有り、有り。謂く、富山の最勝は即ち事に約するなり、身延山の最勝は是れ義に約するなり。

 

(顕正会版六巻抄 64、65)

 

と仰せになっておりますが、果たしてこの「事」は浅井さんの言うような「時の流れ」が物差しになっているのでしょうか?

 

違いますよね。

 

改めて顕正会の皆さんには「私たちは浅井さんから間違った戒壇論しか教えられていなかったんだ!」ということを自覚してほしいと思います。

 

報恩抄文段における立て分け

 

 

報恩抄文段

 

 

ここまでは顕正会の誤った戒壇の捌き方について述べてきたわけですが、それでは日蓮正宗においてはどうやって戒壇を開いて理解していくのか…。

 

実はこのことは日寛上人の御指南を注意深く見ていけば自ずと理解できるようになっているのです。

 

 

一、二つには本門の戒壇。〔一〇三六〕

 

本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、道理なり。亦義の戒壇と名づけん。謂わく、戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり。「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」等云云

 

次に事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。外の十六四十一に御相承を引いて云わく「日蓮一期の弘法、白蓮阿閣梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と云ふは是なり」〔一六七五〕云云

 

重々の道理あり。予が文底秘沈抄の如し。

 

(報恩抄文段 下末) (御書文段 469)

 

 

上記は報恩抄文段における日寛上人の御指南ですが、ここでは法体に約しての立て分けを表として論じておられます。

 

一見すると「次に事の戒壇とは即ち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり。」の表現を見てこれは「事相に約して」 だと早とちりをする方もいるかもしれませんが、そもそも戒壇の大御本尊様をご安置する戒壇は広宣流布の暁でなければ実現しないわけであり、直ちに広布後の戒壇の表現をされたとしても何ら不思議はないのです。

 

肝心なのはここでの「義の戒壇」と「事の戒壇」を立て分ける物差しが何を基準にしているか?

 

ここなのです。

 

どうでしょうか?

 

前段では「義の戒壇」として嫡々書写の御本尊の御在所を説き、後段では「事の戒壇」として戒壇の大御本尊の御在所を示しておられます。まさしく「法体」の違いを物差しにしておりますよね。

 

 

正しくこれこそが法体に約しての事・義の立て分けなのですね。そして心静めて考えて頂きたいのは日寛上人は先ず法体に約しての立て分けを為した後に事相に約しての言及をされてます。神力品の「所以者何。當知是処。即是道場。」(所以は何ん。當に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。)の文を以て「本尊所住の処、義は戒壇にあたる。」という道理を根拠に一旦は「事の戒壇」に立て分けた広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の御在所であっても、時が来たならば「正しく事の戒壇とは…」との御遺命の戒壇建立をもって正真正銘の「事の戒壇」となるわけであり、この「事の戒壇」の中で更に「事中の事」と「事中の義」に立て分けられるわけです。

 

つまりこの報恩抄文段の文章の中には2つの物差しが織り込まれているということです。それが最後の赤線で示した「重々の道理あり。予が文底秘沈抄の如し。」というお言葉なのです。

 

この考え方というのは古来から存在し、信徒にもそのように教えられていたものと思われます。それが垣間見えるのが以下の書籍です。

 

 

仏教てほどき

 

 

これは昭和初期に当時の信徒さんが書かれた書籍ですが、戒壇のページには以下のようにあります。

 

本門の戒壇とは本門の本尊を安置し奉る道場でありまして、之に義の戒壇と事の戒壇との二つがあります。

 

義の戒壇と申ますは、一閻浮提第一の大御本尊の御写しを安置し奉る道場でありまして各末寺教会並に在家の道場が夫(それ)であります。

 

事の戒壇と申ますは、之ぞ一閻浮提第一の大御本尊を安置し奉る道場を申すのでありますが、之は未だ何れの処にも実在してはありません。夫はなぜかと申ますと、此事の戒壇と申まするは、中々容易ならぬ道場でありまして、愈々此大聖人御弘通の事行の南無妙法蓮華経が世界中に広宣流布して所謂一天四海皆帰妙法の暁、王法と仏法と冥合して一と成り、其時の主権者が戒壇堂を御建立せられ、 茲に初めて本門の大御本尊を安置し奉るの道場、之が即ち事の戒壇でありますから、大法広布の暁に至らざれば実現せぬ道場であります。夫迄は此大御本尊は富士大石寺の御宝蔵に秘蔵し奉りて、其時を俟たせ給ふのであります。

 

(仏教手保登記 198~199)

 

これを見ても分かるように、先ずは法体に約して「義」と「事」を立て分け、そのうえで戒壇の大御本尊様の一か所を取り上げて事相に約して説いていくわけですね。

 

この考え方をすれば、一切の矛盾は生じずに「法体に約しての事・義」も「事相に約しての事・義」も全てが整然と立ち並ぶわけです。

 

 

法華取要抄文段

 

最後に法華取要抄文段を見ていきましょう。

 

なお、後程の説明の便を考え段落に番号をふらせて頂きました。

 

 

 

   第五 本門の戒壇を明かす

 

① 凡そ本門の戒壇とは、一閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり。言う所の「戒」とは防止を義と為す。謂わく、無始の罪障を防ぎ、三業の悪を止むる故なり。宗祖の云わく「此の砌に臨まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜんのみ」〔一五六九〕云云。豈非を防ぎ悪を止むるに非ずや。

 

② 当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ則ち事中の事理にして述門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。

 

③ 初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。経に云わく「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台の云わく「仏其の中に住す、即ち是れ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。

 

④ 亦復当に知るべし、広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。

 

⑤ 然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。

 

⑥ 妙楽の云わく「像未の四依、仏法を弘宣す。化を受け教を稟け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」〔一〇三六〕等云云

 

⑦ 凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く源遠きに非ずや。故に天台の云わく「本極法身は微妙深遠なり」等云云

 

⑧ 次に正しく事の戒壇とは、秘法抄十五三十一に云わく「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁世の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」〔一五九五〕等云云。

 

(法華取要抄文段) (御書文段 542~543)

 

 

この法華取要抄文段では報恩抄文段とは反対に事相に約しての立て分けを表としています。

 

まず③の段で「事相に約しての義の戒壇」を説きます。

 

その後に「法体に約しての義の戒壇」を④に示します。そのうえで⑤⑥⑦と「法体に約しての事の戒壇」の説明があるわけです。

 

これらが根本にあった上で、③で未だ広布前であるがゆえ名目上「義理の戒壇とは」と呼称された広布前の戒壇の大御本尊様の御在所に相対する「事の戒壇(御遺命の戒壇)」が⑦において示されるわけですね。

 

このように法華取要抄文段においても事相に約しての立て分けを表としつつも、その中には法体に約しての立て分けを織り込んでいるのです。

 

 

どうでしょうか?

 

法体に約しての立て分けというのは昔から存在していたことがこれで少しはご理解いただけたでしょうか?

 

日達上人が初めて言い出された己義…。

 

このような戯言を平然と言ってのける顕正会員さんは己の無知を先ずは恥ずべきかと思います。

 

 

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コメント

  1. 化石で未活動からの元顕へ より:

    トチローさんこんばんは。

    いろいろとありがとうございます。
    勉強になります。

    最近顕正会員と対峙して、
    『国立戒壇』だの『事の戒壇』だのとうるさいので少々教学もそっち方向に転換してます。

    六巻抄の三重秘伝抄や依義判文抄などを拝読すれば、
    法体の義の戒壇より開いて、事の戒壇にいたり、事の戒壇にも事と義の二義がある事が示されているように思います。

    そもそも義の戒壇については、
    依義判文抄には「題目修行の処」と「本門の本尊所在の処」
    文底秘沈抄には「本門の本尊所住の処」

    事の戒壇については、
    文底秘沈抄で「一閻浮提の人懺悔滅罪の処なり」として戒壇の大御本尊様の所在を明かされています。
    そして「但然るのみに非ず」として「梵天・帝釈云々」と三大秘法抄における事相の戒壇を明示されいるのではないでしょうか。

    三大秘法抄は一読すると事相の戒壇のみをお示しされてるようではありますが、因と果、事と義も御教示されているように感じます。

    って、拝しているのですが大丈夫ですかね・・・

    三大秘法義に書かれているんですけど。

    mなんとかさんは、教学達者なようで顕正会の教学ですね。

    ありがとうございます。また勉強させていただきます。

    • mtakiz より:

      化石さん

      私は、教学をひけらかす類いではありません。

      教学研鑽の為に、真摯に議論をして行く所存です。

      • 化石で未活動からの元顕へ より:

        mtakiz さんこんばんは。

        是非 教学研鑽のため三大秘法義を拝読する事をお勧めします。

        偏見を捨てて拝読をすれば必ず理解できるものと思います。

  2. トチロ~ より:

    三大秘法義に書いてあるならそれ以上の解釈はあり得ないと思います。

    それ以上の踏み込んだ会通をしたら「それは己義だ、馬鹿野郎!」と鉄拳が御住職様より飛んでくるのは間違いないと思いますよ。

  3. 匿名 より:

    私は現役の顕正会員ですが、ある方から聞いた話ですが、すないしさんという法華講の方が、脳溢血で急死したのです普通人間は急死しませんまさしく罰が当たったのです根本的理由は今現在日蓮正宗はイヤ日顕宗は日蓮大聖人様を裏切っているからです‼️それは御ゆういめいを曲げ破壊したからです‼️

    • トチロ~ より:

      匿名様

      はじめまして。

      人の命というものは儚く、かつどのように臨終を迎えるかなどは凡夫の我々には知り得ぬことです。

      どんな人間であっても100%臨終の日を迎えます。それが早いか遅いか…、また病気で亡くなるのか老衰なのか…、それとも何かしら事故等によるものなのかはその人の過去の業因に左右されるわけで、それだけをもってその人の生前の信仰の正邪を判断するのは非常に短絡的であり、かつ品位を疑われるものでありましょう。

      世間でも自身の為した行為は将来自らに返ってくるものであると認識されております。つまり人の臨終をあれやこれや悪口を言うのは構いませんが、その報いは将来必ず貴方自身に返ってくるということであります。

      最近は日達上人の御遷化の様子や法華講員さん達の臨終を顕正会の総幹部会などで口を極めて罵っておりますが、それらの報いは必ず顕正会の皆さんに返ってくるのです。これは何も私が罰を与えるのではありません。大聖人様の仏法の道理において皆さん自らが招き出だす罰の現証そのものであります。

      悪いことは言いませんから、日達上人をはじめ法華講員に対する臨終を誹謗中傷するのはおやめなさい。

      これ以上の誹謗を重ねると本当に大変なことになりますよ。

      「これだけのことを言い出した浅井昭衞さんの臨終は必ず誤る。」

      これは私がここ数か月の彼らの言動を見ていて確信するものでございます。

  4. MIRAI より:

    不可解な解釈について一言だけ。

    顕正会にいる時もそうでしたが、最近の顕正会員でSNS上にいらっしゃる方々、登壇されている内容など、人の死に対して、もう少し常識を持って考えられないのかと、心が痛みます。
    罰当たりな人は死んで当たり前…みたいな風潮は以前からあって、そこに慈悲は無いのかと不思議な感覚でした。
    何がそうさせるのか、悲しいことです。

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