絵でみる 日蓮正宗の信仰

寺院参詣について

五、寺院参詣について 総本山の代々の御法主上人猊下は、仏様である日蓮大聖人から、そのお悟りを一滴もこぼすことなく、一つの器から器へと移すように伝えてきました。 これを「唯授一人の血脈」といいます。 その御法主上人猊下の...
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幸せになるために

四、幸せになるために まず、朝晩の勤行・唱題は欠かさないことです。 入信されたばかりの人は、なかなか大変だと思うかもしれません。 これは幸せになるための、あなた自身との戦いでもあるのです。 勤行・唱題によって、御...
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日蓮正宗こそ正しい宗教

三、日蓮正宗こそ正しい宗教 日蓮正宗が正しい宗教である証明として、あなたが寺院でご授戒を受け、信仰に励むことによって、あな たの悩みや苦しみが、それが病苦であろうと経済苦であろうと、あるいはその他の問題であろうとも、妙法の功徳によ...
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仏教について

二、仏教について お釈迦様が仏として法を説き始めたのは三十歳の時でした。 ところが、人々の仏法に対する理解力が非常に劣っていたため、真実の教えに導くのに色々なたとえ話や仮の教えなどを使って導くことにしました。 お釈迦様...
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いろいろな宗教があるけれど

一 、 いろいろな宗教があるけれど 世の中にはたくさんの宗教があります。 では、宗教なら何でもよいかといえば、けっしてそうではありません。“信仰する”ということは、拝む対象と一体になろうとする行為ですから、拝む対象が私達の生...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会が主張する「御遺命の破壊」はあったのか?

さて時代を遡ってみてきたわけですが、確かに昭和40年~昭和45年は広宣流布甚だ近しという雰囲気が宗内にはあり、正本堂が御遺命の戒壇にあたる旨の認識が僧俗共に存在していたのは間違いありません。 それに伴う種々の発言があるわけですが、...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「昭和40年~昭和45年」の真実

さて最後に昭和40年から昭和45年についてです。 この時期は確かに正本堂が御遺命の戒壇と認識される危険性の一番あった時期です。 浅井さんの発言を見ると、既にそれ以前から学会では正本堂を御遺命の戒壇にしようとの魂胆があったと書...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「昭和45年~昭和47年」の真実

昭和45年4月6日御虫払いの御説法において日達上人は、 「『三大秘法抄』の戒壇は御本仏のお言葉であるから、私は未来の大理想として信じ奉る」(趣意)として、広宣流布は未来のことであり正本堂は御遺命の戒壇とはいえないとの公式見解を...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「昭和47年~破門(昭和49年)」の真実

昭和47年4月28日に有名な訓諭が出されました。 訓諭 さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はこゝに五箇年を経て、その壮大なる勇姿を...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「破門~平成3年」の真実

今まで確認してきた時代は比較的単純なのですが、ここからは少し複雑になってまいります。 平成3年からはハッキリと「正本堂は御遺命の戒壇では無い…、しかも将来的にも御遺命の戒壇にはならない。」と仰せになられ、それが今日まで続いているのです...
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