顕正会流「事の戒壇 義の戒壇」を破す1

国立戒壇について

戒壇の事と義について

正本堂を事の戒壇と呼んだ日達上人の御指南を指して顕正会では御遺命破壊だと言います。

はたしてそうでしょうか?

確かにそれ以前は広宣流布以降に建立される御遺命の戒壇を指して事の戒壇と言ってはおりましたが、事の戒壇というのはそれだけなのでしょうか?

事と義、その言葉は現代では世間的にも使用されることはありません。ゆえに現代に生きる我々にはなじみが薄く、そして最初に教えられたことが正論だと思い込んでしまうふしがあります。

顕正会問題を考える上ではやはりこれは避けては通れない最大の問題ですので、このページで取り上げてみたいと思います。以前にこれらを整理した文章がありますので、しばらくアップしてみたいと思います。何かの参考になれば幸いです。

まずはじめに、何故このような問題が発生したかということですが、顕正会では日達上人が学会を守るために己義を言い出した…、というようなニュアンスで教え込んでいますが、それはうがった見方でありましょう。

およそ御僧侶というのは、法を聴く衆生の機根を見たうえで話をされます。

聴く者の機根がその内容に耐えられない(むしろ誤解をするようなレベルということ)ものであれば、あえて深くは申されません。ゆえに正本堂の問題以前は深くは説かれていなかったのでしょう。しかしながら、正本堂の問題を契機として、衆生にこれを深く認識せしめる必要性が出てきたがゆえに日達上人は何度も噛み砕いて私たちに御指南くださったのだと私はとらえております。

「広宣流布したとき戒壇の大御本尊様がいらっしゃるところが事の戒壇である。それ以外はすべからく義の戒壇である。」

この定義は顕正会の折伏理論書に書いてある定義でして、全顕正会員はそのように認識しています。

そして、正本堂の問題が巻き起こる以前は、御登座前の御隠尊猊下をはじめ、宗内の御僧侶方も同じ認識だったようです。(これは日顕上人猊下の御講義で裏がとれます。)それまでは、その認識でも特段問題は無かったため、それでずっと過ごしてきたのだと思います。これをもって浅井会長はこのことを「宗門古来の定義」と名付けておりますが、はたしてそうでしょうか?

話を戻します。たしかに正本堂問題以前においてはそれらの認識が一般的だったのでしょう。しかしながら、正本堂の一件により、更に一歩進めた戒壇の拝し方を宗内僧俗は学ぶ必要が発生致したのです。

そこで日達上人は、御法主という立場から、我々の知らなかった部分までを色々な角度から御指南くださったのです。

今までの認識を打ち破る御指南は、聴く者に動執生疑を起こしめました。まさにお釈迦様が始成正覚を打ち破った時と同じ状況になってしまったわけです。そのまま退転していったのが浅井会長をはじめとする妙信講の人々なのです。

しかし、これは何もいい加減なことを述べられたのでは無く、本当の真実はそこにあるのですが、未だ時では無く、人々の機根も整わないがゆえに、そこまでを仰せにならなかっただけなのでしょう。

そして、正本堂の一件により、いよいよ一歩進めた戒壇の意義を開陳すべき時が来られたと判断されて、日達上人は我々に御指南くださったと私は思います。

話は戻りますが、折伏理論書の記述には、このように間違いでは無いが部分的な解釈しか述べられていないものや、ポイントがズレて記述されているものが多々あります。

それによってズレた解釈をしてしまっている顕正会員が非常に多いのです。

たとえば依正不二の解釈などは、「類は友を呼ぶ」との意だと思っている方々が殆どだと思います。しかし、一念三千の原理を正しく認識すると、それはピントがズレていることに気がつくのです。

長くなりましたが、そういった訳ですので、牛のような歩みになるかと思いますが、「戒壇の事と義」について一つずつ検証していきましょう。なお、あくまでも私が現時点で認識している内容を書いていきますので、それ自体が未だ足りない部分も多々あるかと思います。そういった部分は、是非とも各所属寺院の御住職様に御指導を仰がれて、私の言うことは鵜呑みにはしないで下さると助かります。

比較相対

まずは、「事」と「義」(または「事」と「理」)の意味から述べたいと思います。

御隠尊猊下は「本門事の戒壇の本義」において次のように述べられています。

「ここで少しく事理のたてわけについて一言しよう。仏教における事理の名目は多岐多端であるが、一般的には理論と実践、真理と事相、抽象と具体、心法と色法、教理と仏身その他を含む相対的法相・法義の意味を判じあらわすのである。」

難しい言葉で述べられていますが、思いっきり噛み砕けば、“何を基準にして、どちらがより真実、実態に近いことを言っているのか。”ということだと思います。

たとえば、ここに一個のミカンがあるとします。

「これは物体である。」

「これは食べ物である。」

両方とも当たっています。しかし、ミカンの実態をより詳しく述べているのは後者ですね。

「これは食べ物である。」

「これは果物である。」

これもまた両方とも間違いではありません。しかし、より的確に述べているのは後者です。

「これは果物である。」

「これはミカンである。」

くどいようですが、これもまた両方とも正解ではありますが、ピンポイントでミカンの説明をしているのは後者なのです。このように二つの物が並んだとき、どちらがより正確に表現しているかを見ていくのです。この考え方は五重相対と同じですね。

キリスト教と仏教を比較した場合、正しいのは仏教です。

仏教の中でも、小乗教と大乗教を比較した場合、正しいのは大乗教です。

大乗教の中でも、権教(42年間に説かれた爾前教)と実教(法華経)を比較すれば、正しいのは実教(法華経)です。

実教(法華経)のなかで、迹門と本門を比較すれば、本門。

本門の中で種脱相対すれば、文底下種仏法が正しい。

と、こうなるわけです。

つまり、何を物差しとして比較しているのか?

その上で、どちらがより真実を捉えており、どちらが意味合いはそこに通じているにすぎないものなのか?

これをもって「事」と「理」、もしくは「事」と「義」という立て分けがなされるのです。

質問

前項では「事」と「義」は比較相対の表現なんだという説明をしました。

すなわち、「事」というものがあれば、必ずそれに対する「義」(「理」)があるのです。その逆もまた言えるのです。「義」があれば、必ずそれを受ける「事」があるのです。

それでは質問です。

顕正会流の考え方で答えてみてください。

広宣流布の暁に建立される御遺命の戒壇は「事の戒壇」、広宣流布以前の御戒壇様がおわします処は「義の戒壇」。これはこれで相対しておりますね。

されば、広宣流布以前の在々所々の御本尊様安置の処(各寺院の御本尊様、各家庭の御本尊様安置の場所)は「義の戒壇」と申しますが、それではこれらの御本尊様の「事の戒壇」とは、果たしてどのようになった時、もしくはどこを指すのでしょうか?

「義」があるなら、それに対応する「事」が無いと成り立たないのです。

どうでしょうか?答えられますか?

二つの物差し

それでは質問の解答です。

一つ目の戒壇の大御本尊様の「事」と「義」の物差しは“戒壇という建物が有るか無いか”なのです。

戒壇の大御本尊様というのは、言うまでもなく広宣流布の暁に御遺命の戒壇を建立して、そこに御安置されるべき御本尊様です。ですから、広宣流布までは、正式な大御本尊様の為の戒壇堂では無く、蔵に御護りされている形なのです。

一方で、大聖人様の仏法に於いては戒壇堂という建物は無くても、御本尊様のいらっしゃる場所は即戒壇と捉えるのです。これは神力品に説かれています。

以上を通して考えていきますと、実際に広宣流布して建立された戒壇堂は、正真正銘の「事の戒壇」と言えます。

そして、広宣流布以前は戒壇堂は無いけれども、神力品の上からは御本尊様のいらっしゃるところは即戒壇と捉えるべきなので、そこは“義理(意味合い)の上からは戒壇といえる。”ということで、「義の戒壇」と呼ぶのです。

これは戒壇の大御本尊様のみにスポットをあてた捌き方であり、その立て分けの物差しは“事相に約して(時の流れを物差しにして)”ということなのです。

それでは問題の在々所々の御本尊様ですが、在々所々の御本尊様の御在所を「義の戒壇」とした場合、その「義」はどこから流れてきたのかと言えば、日寛上人は法華取要抄文段に「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。」と申され、その根源は戒壇の大御本尊様だとハッキリと仰せなのです。

つまり、戒壇の大御本尊様を「事」とし、その書写された御本尊様は「義」だということなんです。

ここに大きなポイントがあるのです。

ここでの物差しは“法体に約して(御本尊様の意義の違い。)”の立て分けがなされているのです。

要は、二つの物差しがあるのですね。

この二つの物差しの違いをしっかりと区別して論じていかなくてはいけないのです。

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コメント

  1. いおなずん より:

    おはようございます。
    そう言えば、前のブログでこの記事を見て御授戒の腹を決めたんだったよな。
    その時はミカンの例えすら意味が分からなかったのです。(分かりたくなかったのかな)

    これを理解するには相当苦労しました。

    「事中の事・理その名に迷うことなかれ」
    ここから答えを導き出したのですよね。

    単純にいえば、文の通りに解釈してはいけないと言っているのですから。

    まぁ、参考まで。

  2. 桜梅桃李 より:

    いおなずんさんコメント有難うございます。

    戒壇の事と義の問題は非常に単純なんです。「何を物差し(基準)として事と義を立て分けているか。」これだけなんですよ。

    専門用語では「約して」と表現されていますが、

    浅井さんが言っているのは事相に約して(広宣流布以前以後という時の流れを物差しとして)、広宣流布以後の戒壇を事とし、それ以前の戒壇を義とするものです。(ここにおいては戒壇の大御本尊様の御在所のみを取り上げていますので、その他の御本尊様の御在所は争点ではないのです。ここの整理がついていないから顕正会員さんたちは訳が分からなくなっているのですね。)

    別にこれは何の間違いもありません。現宗門においてもこの物差しで立て分けをするならば、戒壇の大御本尊様の御在所であっても「義の戒壇」となるのですよ。ただし、そこは「事中の事、義であって法体に約しての義とは違う。そこは間違えるな!」ということなんです。

    一方で日達上人が仰せになった「事の戒壇」は法体に約して(戒壇の大御本尊様とその他の御本尊様の関係性を物差しにしています。)戒壇の大御本尊様の御在所を事とし、その他の御本尊様の御在所を義としています。ここにおいては広宣流布以後であっても以前であってもこの関係性に変わりはありません。

    つまり、「戒壇の大御本尊様おわします処、いつでもどこでも事の戒壇。」となるのです。

    ここの整理が出来、腹に落とし込めたなら、顕正会問題に関しては全てが理解できてくるはずです。浅井さんがどうやってごまかしているかも見えてくると思います。

  3. 佐藤稔 より:

    ブログ拝見しました。
    創価学会においては、大石寺は謗法の場所となった故、大石寺には参詣できなくなって、独立できてよかったとか、
    しまいには、本門戒壇の大御本尊様まで信受の対象としないと
    言い放つまでになりました。

    ですが、
    富士大石寺顕正会においては、
    日蓮正宗から解散処分を受けても、今日まで、また これからも
    大石寺に、御安置されている
    本門戒壇の大御本尊へ恋慕渇仰の
    遥拝勤行に徹しております。

    顕正会で御遺命破壊と申しておりますのは、

    昭和30年代まで 広宣流布の暁に
    建立されるべき
    国立戒壇を唱えていた日蓮正宗が

    昭和40年代に入って、
    広宣流布とは関係ない
    舎衛の三億のたとえを持って

    時は広宣流布と同じと説き、

    正本堂を建立した事で
    (当初、正本堂は奉安殿の戒壇の延長線としての戒壇としての意義としての建立)

    訓諭を持って、国立戒壇を
    民衆立の戒壇(実際には学会立に近い戒壇)と
    日蓮大聖人の御遺命
    国立戒壇建立を捨ててしまった事を
    指すと拝します。

    大石寺や大石寺に秘蔵堅固されて
    おります、
    本門戒壇の大御本尊様への
    信はいささかも
    変わりありません。

    • トチロ~ より:

      佐藤稔様

      ご丁寧なコメントありがとうございます。

      私を含め多くの元顕正会員の方々は佐藤さんが書かれたような認識を顕正会員当時は持っていました。

      しかしながら、それらは破門された自身を肯定化するために昭衞さんが自らに都合よく微に入り細に入り操作していた情報だったのです。

      現実は御宗門における「正本堂を御遺命の戒壇とする認識」は昭和45年4月で消え失せました。しかしながら学会ではそれ以降も正本堂を御遺命の戒壇として宣伝していたわけです。

      つまり、昭和45年以降の「御遺命守護の戦い」とは、「対学会」の戦いであったわけです。

      それがエスカレートして暴力事件を起こし、自ら信徒としての地位を放棄してしまった。これが妙信講の当時の真実なんです。

      そこには御宗門の御遺命破壊も何も実際には存在いたしません。

      それを確認していただくために先ほど「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」をアップしてみました。

      https://kenshokai-hashaku.com/syohondo-ikeda/

      非常に長い文章ですが、これは昭衞さん自身の文章です。そこには当時の昭衞さんの偽らざる本音が記されています。

      ぜひとも熟読されて、そのうえでもう一度御遺命破壊の実態は何だったのかをお考え頂ければ幸いです。

      もし、更なる突っ込んだお話をご希望であれば、実際にお会いして当時の資料等を前にしてお話しさせて頂いても構いません。

      またお返事頂けると嬉しく思います。

      今後ともよろしくお願い申し上げます。

      https://kenshokai-hashaku.com/mail/

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