顕正会の浅井昭衞さんが言うように「御生骨は本当にはっきり見えたのか?」

御生骨について

御生骨に関しての顕正会の反応に色々とイチャモンをつけている私ですが…、一番の疑問は表題に記した一点なのです。

浅井さんは今回の講演で以下のように話されました。

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お肉が盛り上がって歯の全体を包んでいるのか否か…。それを判別するにはそれ相応の距離でしかるべき時間をかけて拝さなければ判別はつかないことです。

それが可能か否か…。

答えは完全に不可能だ!

ということなんですね。冒頭の写真は平成18年の御生骨内拝の写真です。右手に合掌をした信徒さんたちの姿が確認できますが、ここには5000人の信徒さんたちがいらっしゃり、その方々が一列になって御生骨の前を移動しながら拝観していくというのが御生骨拝観のスタイルなのです。

イメージするとすれば…、私の年代以上の方々は記憶にあるかと思うのですが、上野動物園にパンダのランラン、カンカンが来たとき異常な大ブームになり、パンダを一目見ようと多くの方が上野動物園に押し寄せました。そしてそれを捌く為に取られたのがパンダの前を歩きながら観覧するという手法でした。

パンダと御生骨をならべて論じるのは失礼この上ないかもしれませんが、イメージとしてはこれに近いのです。

そしてこれは何も平成18年に初めて取られた方法ではなく、浅井さんが拝観されたとする昭和31年にも同様に行われており、その日は約10000人の方が御生骨の前を通り過ぎたのでございます。

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上記は当時の記録ですが、これを読むと13時40分から御生骨の内拝は行われ、18時に終了、その日の拝観延べ人数は約10000人となってます。

この延べ人数を内拝時間で割ってみれば、一人あたりが御生骨の正面を通り過ぎる時間は1.56秒にしかすぎません。これだけの短い時間のうちに冒頭の浅井さんの言葉のような検証が可能であったのか?

無理です…。

実際に私は平成18年の御生骨拝観において二度チャレンジ(講中代表として一回、その後の一般信徒さんの登山枠が空いたのでもう一回内拝させて頂きました。)してますが、そこまでの細かなことは確認できませんでした。

残念ながら、「そこに何かしら肌色っぽいものがある…。」これしか認識できませんでした。

これが御生骨拝観の現実なのですね。顕正会で御生骨に関してドラマティックに演出するのは勝手ですが、必要以上の脚色をすれば今回のような大暴走をする幹部が出てきてもおかしくありません。そしてそれを新聞紙上にまで載せて黙認していれば、やがてそれは時間と共に妄想が真実として語り継がれてしまいます。

受け取る側の真実を見極める目がこれからは必要になってくることでしょう。

見極めるためには御宗門の儀式が実際にはどのように行われているかを知らなくてはいけません。

次回から少しそのあたりもご紹介していきましょうね。

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コメント

  1. いおなずん より:

    さすが経験者。
    見るところが違いますね。

    一人当たり約2秒ですか・・・
    これでは感激湧かない人がいるのも無理はないですね。

    たくさんの人で混雑していただろうし。

    私の内拝のイメージとは違っていました。

    • 桜梅桃李 より:

      いおなずんさんへ

      御生骨内拝に関しては、その姿をはっきりと見させていただくというよりも、その背景にある“唯授一人の血脈が滞りなく御相承された”という証拠を私達僧俗が認識させて頂く為の儀式なのだと私は捉えています。

      ですから、浅井さんのように「はっきりと見えた!」とか、「広宣流布の暁には輝きだす。」というのは二次的なものであり、そこに感動の根拠を求めるのはまた少しばかり的外れになってくるのだということなんです。

      その点については後程書いてみますね。

  2. セロリ より:

    桜梅桃李さん、
    ご無沙汰しております。

    たいへん参考になりました!

    御生骨内拝は、動物園・美術館・展示会などで、動物や作品を間近にゆっくり見るのとはまったく違うのですね。

    入信5年の私ならば、3年前の御影堂大改修のときの、最後に御影様を近くで見させて頂いたやり方をイメージすれば良さそうですね。

    皆が1列か2列に並び、一人一人御影様に一礼しつつ、1秒程度だけ立ち止まって御影様を拝してから、横か後ろにはけていった記憶があります。

    その御影様よりはるかに小さな御生骨では、あそこまで具体的な姿を確認できるはずはありませんよね。
    ましてや浅井会長は若い頃から眼鏡をかけるほどの視力ですし。

    • 桜梅桃李 より:

      セロリさんへ

      コメント有難うございます。

      まさにその通りでして、御影様を拝された時のイメージを想像していただけると分かりやすいと思います。更に言えば、この記事の画像ではあえてカットしましたが、御生骨の向こう側では猊下様が合掌してこちらを向いて唱題されていますから、御生骨の方を向けば必然的に猊下様と目が合ってしまう事になってしまうわけです。

      信心強情な人ほどまじまじと御生骨を見ることは難しいということでもありますね…。(・・;)

  3. 雲羽百三 より:

     こんばんは。

     大昔の上野動物園のパンダと言っても、やっぱり私は生まれていないので分かりませんでした。
     また、平成18年の時点では、まだ私は顕正会員でしたので、御生骨を拝見する機会もありませんでした。
     3年前の御影堂の落慶法要式なら参加していたので、あれで何となく想像はついた気がします。

     これは私の勝手な想像ですが、浅井会長は、
    「本当の眼で見るんじゃない!『信心の目』で見るのだ!私は『信心の目』ではっきり見た!」
     と言いたかったのではないかと……。

     ま、だとしたら、尚さら、【お察しください】。

  4. 桜梅桃李 より:

    雲羽百三さんへ

    エぇ~~~~!!!!!!!

    ランランとカンカンは大昔になってしまうんですか???????

    パンダと言えばランラン、カンカンでしょ…?

    マジっすか!?まるで若い子とカラオケ行って青山テルマの「そばにいるね」を歌ったら、

    「懐メロ、いいっすね!」

    と言われた時のような大衝撃を受けますよ…。(私にとっては去年くらいに流行った感覚なんですが…。)

    そうそう、青山テルマと言えば御影堂の御影様は冬になると綿帽子をおかぶりになりますでしょ?以前にあれを「御影様はね、冬になると青山テルマみたいな帽子をかぶるんですよ。」と話したら、「君の表現は学会っぽい!」と御僧侶にお叱りを受けたことを昨日のことのように思い出します…。

    それはそうと浅井さんの件ですが、先はそう長くないのかもしれないですね…。「日淳上人からすべてを受け継いだ。」との伝説を娘を介して組織に浸透させようと試みたのは明白だと思います。これは逆に考えれば彼の死後の準備をいよいよ始めたのではないかとも推察されますね。

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