信徒として守るべきこと(顕正会 浅井昭衞さんの誤り)

顕正会の破門について

 

妙信講の破門直前の状況について少し書かせて頂いたわけですが、改めて当時のことを見てみると、浅井甚兵衛さんならびに浅井昭衛さんは何とも大変な時代に講中をけん引していく講頭や認証幹事を務められていたのだなぁと本当に気の毒に感じてしまいました。

 

実際に自分が当時の彼らの状況にいたとしたなら果たしてどのように行動していたか…。

 

考えるだけで胃に穴があきそうです…。

 

正直言って彼らには同情いたします。

 

しかし!

 

同情はしても賛同は出来ません。

 

そこには彼らの完全なる判断ミスが存在するからです。

 

信徒として絶対に踏み込んではいけない領域に彼らは踏み込んでしまっている…。

 

それゆえに解散、ひいては除名処分を受けたのですね。

 

 

確かに御遺命の戒壇について妙信講の主張していたことは正論です。

 

御遺命の戒壇を広宣流布以前に前もって建てておくなどということはあってはならないことです。

 

しかしながら、その主張をするために信徒として許される範囲を超える言動を為したならば、それは処分されても文句は言えないのです。

 

こ こから先は破門後の妙信講や顕正会しか経験の無い方にはピンとこないかもしれませんが、日蓮正宗というのは民主主義ではないのです。以前にこれにオブラートをかけて「日蓮正宗には多数決の論理は馴染まない。」と書いたら宗外にとどまらず宗内からもバッシングを受けましたが、彼らは何も分かってはいないのです。

 

日蓮正宗においては大聖人様が絶対であり、その血脈を継がれる御法主上人が唯一の「正」なのです。

 

そこから御法主上人が任命された御住職が私たちに法を教え導いてくだされるのであり、その縦の差別というものをしっかりと認識しなければ道を誤るのです。

 

ですから、あくまでもこの上下関係をわきまえることが大事中の大事であり、もし万が一そこに自身が理解できない事…、すなわち「これって間違いなんじゃないの?」と思われることがあったとしても、それをもって上を攻撃するなどは言語道断、それをすれば一瞬にして功徳を失ってしまうのです。

 

現に浅井さんがそうでしょう?

 

御遺命守護が大善中の大善ならば、最高の善因を彼は積んだわけです。それが半世紀近くも御戒壇様にお目通りが叶わぬのはなぜなのでしょうか?御法主上人が許さないからでしょうか?不思議の還御をされた大御本尊様のお力をもってすれば、それだけの大功労者を呼び戻さない道理はありませんよね?

 

未だ御戒壇様の御前に座ることが許されない…、これこそが浅井さんが法の上からの重大な過失を犯し、未だにそれへの反省懺悔が無いという厳然たる証拠なのです。

 

それではその過失とはなんなのか、彼はどうするべきだったのかを次回は書いていきましょうね。

 

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コメント

  1. 愛国 清澄 より:

    おはようございます!
    初めてコメントさせて頂きます。
    でも、日頃よりお世話になっております(^^♪

    記事を前後して拝読させて頂きました。
    最新の「浅井さんが正論と思って言っていても云々」は、ドキッとさせられました。
    私と被るような気がしまして(;^_^A

    でも、大聖人様や御法主上人猊下様に対して、私は誹謗中傷気は毛頭ありません。

    そこも、大聖人様は御覧頂けるでしょうか…(-_-;)

    それと…余計なお節介野郎ですから、修正されていたらごめんなさい
    この、「質問お問い合わせはこちら」というのが、問い合わせフォームへ飛ばないですが。他の記事では上手く飛んでるようです。

    まぁ、他の処からリンクできたら良いのでしょうか、完璧・及び素晴らしい発信力の桜梅桃李さんの、サイトですんで気になりました。
    不愉快な思いをされたらごめんなさい

    愛国 清澄 拝

  2. 愛国 清澄 より:

    連続投稿すみません

    「誹謗中傷する気は毛頭ありません」です。ごめんなさい

    それから、ご迷惑でなければ当方”世間を渡るってのは辛いねぇ”に、貴ブログをリンクさせて頂いても宜しいでしょうか?

    愛国 清澄 拝

  3. 桜梅桃李 より:

    清澄さんへ

    こんばんは。

    私も先程清澄さんのブログを見て「内容がシンクロしてる…。」とビックリしてしまいました。

    とりあえずこの記事は浅井さんの行動に対してのものですから、あまり深刻に受け止めないでください。

    その上でなのですが、宗内、宗外を問わず、この大聖人様の仏法というものは「争いは御法度!」ということを言っているのではないかと私は最近とみに感じるのです。

    実は先日ゆえあって刑事裁判の傍聴に行きました。ドラマさながらの検事と弁護士の応酬や、被告人や証人の憔悴しきった姿、そして表情一つ変えずにそれらを淡々と聞いている裁判官の姿等々を実際に目にして色々と考えさせられました…。

    特に二つのことに気づかされました。

    一つ目は「争い事は想定外の労力を使う。」ということ。

    二つ目は「しょせん人が人を裁いても、被害者がこうむった被害と100%同等の苦しみを加害者に与えることは難しい。」ということでした。

    一つ目に関しては、こちらが被害者の場合、たとえ何かしらの不利益をこうむっても「しょうがないか…。」とそこで諦めてしまってそれ以上やりかえすことを考えなければ、そこで話は終わってしまいます。もちろんその何かしらの被害を受けただけこちらが損をするわけですが、それ以上の時間的、金銭的、精神的ロスは発生しません。

    しかしながら、どこまでも徹底的に争って白黒はっきりつけてやる!と意気込むならば、上記の負担がそこからまた発生してくるわけです…。これって結構シンドイですよね。もちろん、最終的にこちらの言い分が認められて勝ったとなればそれなりに満足感は得られるのでしょうが、それまでに払った代償を考えるとそこまでする価値があるかどうか?

    むしろ、初めの段階で損切りしてしまって、争いごとに費やす時間と労力をもっと前向きなことに使っていく方があらゆる点で賢いと私は感じたのです。

    二つ目に関してですが、これはあくまでも私の個人的な感想ですが、現在の法律では被害者が受けた苦しみ(将来的に受ける苦しみも含む)と同等の苦しみを加害者に与えることは不可能だと思います。必ずそれ以下の刑罰しか与えられないのではないかと感じるのです。

    先日の障害者施設の殺人事件においてはあれだけの人数を殺傷したのですから間違いなく死刑は確定だと思います。しかし、私としては犯人に一回だけ死の苦しみを与えるだけで本当にチャラになるの?という思いの方が強いです。少なくとも彼は19人に死の苦しみを与えたのですから、彼もまた19回死の苦しみを受けるべきではないでしょうか?そうしてようやくプラスマイナス0になるのではないでしょうか。

    そこが世間法の限界なのだと思うんですよ。世間的には生命は今生一度限りですから死刑以上の重い刑罰は執行できない…。いくら被害者や被害者の家族がもっと思い刑罰を!と望んでもそれが限界なんですよね。

    けど、これが生命は永遠であるとする仏法上ではどうなるか…。因果応報の道理から彼が作った原因と同等の報いを受けるなら…。

    彼は19回生まれては殺されるという報いを受けるのではないでしょうか…。それが仏法の公平で、かつ怖いところだと私はつくづく思うのです。

    そういった見方からいくならば、一時の感情に任せて自分が裁く!という思いをぐっとこらえて、すべては仏様の御裁断にお任せいたします!と潔く身を引いてしまう方が余程怖い結果が待っているという事なのですよね。

    これこそがまさに法華経の兵法だと私は思うのです。

    まぁ、いずれにしても争わずに全てを仏様にお任せしてしまうというのが一番賢く、自らも罪業を積まない一番の方法なのだと思います。

    話は変わりますが、問い合わせ先のリンクは仰せの通りに間違って埋め込んでいました。おかげさまで正しくリセットすることが出来ました。また何かお気づきの点がありましたらまた教えてくださいませ。

    なお、このサイトをリンクしていただけるのは大変に有難いです。なにとぞよろしく願い致します。差し支えなければ清澄さんのブログもリンクさせて頂けると嬉しいのですが、よろしいでしょうか?

  4. 愛国 清澄 より:

    こんばんは!
    遅くにコメントごめんなさい

    私は今までなら、「他が裁かなければ自分が!」と思っていた処がありました。
    しかし、大聖人様の仏法に触れた今は、きっと仏様の御仏智(御仏意)で、現証が私に出るのか、相手に出るのか上層部達の指導はどうであれ、最終的には本門戒壇の大御本尊様の、お見通しではないか?
    因果応報の道理ではないか、そう思えるようになっています。

    リンクのお許し光栄の極みであります。
    私も教学試験がダメだったり、引き入れた母娘の驚愕の態度、いよいよ大詰めでFinalで締めくくりたいと考案中です。

    こんな不良信徒のでも良ければ、私のも貼って下されば重ねて幸甚に存じます。
    どうか今後とも善良なる交流を、宜しくお願い申し上げますm(__)m

    愛国 清澄 拝

  5. 桜梅桃李 より:

    清澄さんへ

    おはようございます。

    >最終的には本門戒壇の大御本尊様の、お見通しではないか?

    その通りなんですよ。これを「冥の照覧」と言います。

    http://blog.goo.ne.jp/shourinzi1972/e/5710b05c38b25d25e328dc448511c4f7

    上記は正林寺様のサイトですが、ここに詳しく解説されています。お手すきの時にでも読んでみて下さい。

    リンクの承認ありがとうございます。さっそく作業に取り掛かりますね。

    今後ともよろしくお願い致します。

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