内拝とは…

旧ブログ記事

平成21年1月30日

前回の日記で“でんじさん”からご意見を頂きました。簡単にはコメント覧でお返事をさせて頂いたのですが、こちらの方で少しばかり詳しく説明させて頂きたいと思います。当初は時系列に並べて展開していこうかと考えていたのですが、折角話題が出ましたもので脱線しながらその時その時に合わせた話をしていきたいと思います。まとまりが無くなるかとは思いますが、以前削除した私のブログから引き続いている傾向ですので、読まれる方々の方で適当に整理していってください…。

2つのポイント

実は前回ご紹介致しました日達上人の御講義の中には顕正会員にとって認識すべき二つの大事なことが含まれております。

 


1.広宣流布の暁に御遺命の戒壇は建立されること。

 



2.広宣流布以前はあくまでも内拝であり、その内拝を説明する表現方法と、広宣流布以後の姿の表現方法の違い。

 



この二つです。1番目は問題ないと思います。昭和40年に第一回正本堂建設委員会での日達上人のお言葉があり、その後の宗内の雰囲気や諸々があってこの1番目の物差しについて色々な解釈がでてきました。

 

 

妙信講(顕正会)の争点は当にここに尽きるのであり、どのような経過で、どの立場の方々はどのように主張していたか、そして現在はどうなのか…、それらを丁寧に追っていくことが必要ではありますが、最終的にはどんなに頑迷な顕正会員の方でも納得はされると思います。それを今回書いていこうと思ってた訳です。

広宣流布前後の表現の違い

…で、今回のでんじさんのコメントに付随して説明申しあげようと思うのが次の2番目の問題です。まずは前回の日達上人の御講義の中から以下の文章に注目して下さい。

 



「だから広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立戒旦の大御本尊を安置し奉って事の戒旦建立ということになるのでございます。それまでは戒旦御本尊をたゞおしまい申し、固く護る先師方が客殿の後の奥深くに戒旦の御本尊をお護り申すということを仰せられて居ります。我が本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後に奥深く戒旦の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁迄はしまっておくということになる。」

 



「だから今度はその戒旦の御本尊をお出まし願って、はじめて、そこに本門寺の戒旦建立ということが出来上るのでございます。お出ましは先程から申すところの謂ゆる広宣流布の暁である。」

 



「その若し一時にしても到着した時に、はじめてあの御本尊をお出し申して戒旦建立をしてこそ、はじめて富士山に本門寺の戒旦建立ということが来上するのでございます。」

 




つまり広宣流布以前の現在の内拝という形は

 



「戒旦御本尊をたゞおしまい申し、固く護る…客殿の後の奥深くに戒旦の御本尊をお護り申す」

 


であり、

 



「客殿の後に奥深く戒旦の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁迄はしまっておく」

 



という表現になるわけです。しかしながら、広宣流布以後はそこから一歩進展した形になってきます。

 



「今度はその戒旦の御本尊をお出まし願って…お出ましは…広宣流布の暁である。」

 



「広宣流布が到着する…到着した時に、はじめてあの御本尊をお出し申して戒旦建立」

 



この使い分けがあることをハッキリと認識して下さい。つまりこれらの「戒旦の御本尊をお出まし願って」、「お出ましは」、「はじめてあの御本尊をお出し申して戒旦建立」、という言葉を出すということは、直接的には「広宣流布達成!御遺命の戒壇建立!」という言葉では無くても、間接的に“広宣流布は成就し御遺命の戒壇を建立するのだ。”ということを意味しているのです。

昭和40年の妙信講は広宣流布後の表現をしていた

そして、この表現はあろうことか昭和40年5月25日の総幹部会の浅井会長の講演によって為されているわけです。そして正本堂の御供養を妙信講員につのったのです。ですから近年になって「当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。…もちろん妙信講は、正本堂を、国立戒壇建立までの戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇、すなわち大御宝蔵・大奉安殿の意と理解して、御供養を申しあげんとしたのである。」との後日談は苦しい言い訳にしかならないのです。

 



これらの表現の違いから間接的に何を意味するのかということは日蓮正宗の僧俗であれば、特に意識はしなくても理解してしまうものです。ですから青年僧侶邪義破折班の「“最後に申すべき事”を砕破す」においては当然の事ながら浅井会長は知っていながら隠している…、浅井会長は確信犯だ!と認識して単刀直入に斬り捨てにいったのだと思います。

 



ただ…、顕正会員にはそこまでは理解出来んのです…。いわゆる温度差というやつです…。

 



その温度差を埋めれば顕正会員への折伏の決着率は格段に高まることは間違いないと思います。

 



話が逸れてしまいましたが、次回はその浅井会長の講演を検証してみます。

 

 

 

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コメント

  1. 雲羽百三 より:

    おはようございます。

    御開扉の際、御法主上人様の御説法に、「【前略】遠ごん各地より深信の登山(当参?)【中略】願い出により、本門戒檀之大御本尊御開扉奉り……」とありますが、信徒らの願い出があったから御開扉したということですね。
    つまり、それが無ければ御開扉しなかったということになるので、この御言葉が内拝に関して大きなミソのような気がしますね。

    • トチロ~ より:

      そうなんですよ。

      内拝を許すも許さないも猊下様の胸先三寸なんですよね。「彼は信心があるから御開扉を許そう。こいつは信心が無いから御開扉は許さん。」と猊下様のお気持ち一つで御開扉を受けられるか否かは決まるのであって、「御開扉を許されないから暴れちゃうぞ。」なんて輩は首を斬られて当然なんですよ。

      御開扉を許さない猊下様を恨むより前に自分の信心を見つめなおしなさいということですね。

      • 雲羽百三 より:

        こんなロクに折伏もできず、教学もナッシングな奴に御開扉を許して下さるなんて、有り難い限りですね。
        ていうか、浅井会長達はこんなロクデナシ以下というわけですかw

        • トチロ~ より:

          折伏が出来るかどうか、教学があるか無いかなんてもんは枝葉なんですよ。

          一番大事なのは「誠実さがあるかどうか」だと私は思います。心の奥底にあるピュアな想いを大聖人様は御照覧くださっているでしょうし、当然のことながら猊下様の御眼にも見えていらっしゃるのだと思います。

          モモさんの信心は立派なもんですよ。自信をもって今後も頑張っていってください。

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