塔婆供養

日蓮正宗の行事
昭和46年宗務院発行の書籍です。

日頃、私達はお彼岸・お盆・あるいは故人の命日などにお寺へ参詣し、塔婆を建てて追善供養を行っていますが、もし、なぜ塔婆を建てて供養をするのか、と聞かれた時に、はっきりと答えられる人は案外少ないのではないでしようか。たしかに何も知らずに塔婆を建てても、正しい宗教によって行われるなら、それは立派な追善供養を営むことになります。しかし一歩あやまって、まちがった教えによって行うならどうでしょう。亡くなった人のために善を修する行為が、反対に苦の因を作るばかりか、自分もその苦しみを味わうことになってしまいます。これではせっかくの尊い気持も台無しです。このように、宗教の正邪を知らないで塔婆供養をするということは、大変おそろしいことなのです。また、建てるように言われたからといって心のこもらない、形だけの塔婆供養であっては真の追善供養の意義からはずれてしまうのも当然のことです。

 
今、心から故人のことを考え、先祖のことを思うとき、私達は無関心や形式になずむだけでなく、はっきりとその由来や意義、あるいは正しい心得を知らなくてはなりません。そして、それを確信することにおいて始めて本当の追善回向が生きるのです。そこで塔婆建立のいかに大切な事かを知って頂きたいと思います。

 
塔婆は梵語でスツーパといい、これを訳すると、方墳・円塚・霊廟・大聚(功徳のあつまりの相)ということになります。

 
塔婆の歴史は随分古く、はっきりと形に現わされはじめたのは釈尊が亡くなってから二百年余り後の阿育王の時代からです。その種類もさまぎまで大きいのはピラミッドのようなものから、五重の塔・五輪塔婆・角塔婆・板塔婆・石塔婆・経木塔婆等に至るまで二十七・八種類にもなります。

 
もともと塔婆は、丸や角の形を積み重ねて一つの体をあらわしています。下から方形(四角)・円形・三角形・半円形・如意宝珠の順序で五輪の塔に組立てるのが基本的な形で、これは地水火風空の五大、すなわち妙法蓮華経の五字をあらわすことになります。

 
この五大をあらわす順序の中で、方形というのは地輪、円形は水輪、三角形は火輪、半円形は風輪、如意宝珠は空輸になります。一番下の方形は地輪で地面を意味し、水は地面の上に溜るので地の上になり、火は水より高く空中に昇る性質があるので水輪の上になり、風は火よりも上に昇ることが出来るので火輪の上になり、空は最も上にあるので一番上に載せるわけです。そして地輪は四角に表現し、水輪は円く、火輪は三角に、風輪は半月型に、空輪は珠型に形造るのです。このように形造られた五大は妙法蓮華経の真理のあらわれと見られます。

 
御義口伝に「我等が頭は妙なり、喉は法なり、胸は蓮なり、胎は華なり、足は経なり。此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり」(新編一七二八㌻)と説かれています。さらに総勘文抄に「五行とは地水火風空なり。乃至是則ち妙法蓮華経の五字なり」(新編一四一八㌻)と仰せられています。

 
このようなことから考えますと五輪の塔婆は妙法蓮華経という仏様の体を表現したものであるという事になります。

 
塔婆にお題目を書き「此中已有如来全身」と経文を書くのは、この塔婆は、もう仏様のお体であり、この仏様のお心のなかに亡くなった人が一緒におられるということを示すのです。

 
塔婆を建てるのは、建てる人の信心と追善の願力とによって、亡くなった人の霊を仏身にあらわすのであり、御本尊を通じてお題目を供養する故に、その功力を得て、亡魂も、また回向する人も大功徳をうけることになりますそこで、塔婆を供養するにあたって、まず考えなくてはならないことに、人間の死後の 問題があります。これは大変むずかしいことで、その解明は世界の中で最高の哲学であります。

 
大聖人は前に引用したように、私達人間の身体も、また宇宙や一切の森羅万象もすべて地水火風空の五大の元素から構成されていると仰せです。この五大は分解してはまた集まり、集まってはまた分解するというように、常に離合をくりかえしています。人間も一たび死ぬと、もとの元素に戻ります。この時人間を形作っている肉体が分解され、無に帰したように見えますが、その生命の業(因縁因果による色心の状態)は、永遠に宇宙の中に生きていくのです。しかも、生前中から死ぬ時に至る善悪の果報をそのまま死後の世界までもちつづけますから、苦しみ悩み、あるいは間違った教えにまどわされて死んで行けば死後の世界でも苦を感ずるわけです。

 
そして、もし先祖や親戚・知人で亡くなった人の中に死後の世界で苦しんでいる人があれば、生きている遺族の側にも其の苦しみや悩みが影響してきます。ですから、遺族の人達の強い信心と御本尊の功力によって亡くなった人が成仏の境界にならないと生きている人も、此の社会もほんとうの幸せにはならないということになります。このことを仏教では「三世の益に欠けるが故に五濁悪世となる」といわれています。したがって塔婆供養・先祖回向ということが必要になってくるのです。

 
前にも記したように五輪の塔婆に題目をしたためて戒名や俗名を書けば、それは、亡くなった人の体をあらわしています。そして御本尊にお経をあげ、お題目を唱えるとその塔婆は仏界を現じ、御本尊のお力によって亡くなった人の生命に感応するのです。この感応妙というのは、御義口伝に「衆生に此の機有って仏を感ずる、故に名づけて因と為す。仏機を承けて而も応ず、故に名づけて縁となす」(新編一七二八㌻)と説かれているように、衆生の善根が仏を感じて発動する時、その衆生の性欲に応じて仏様が慈悲を垂れることで、仏様の心と衆生の心が融け合うことによって仏果を成熟させるのです。「成仏したい、成仏させたい」というこちらの一念心を仏様がお感じになるということで、塔婆供養の場合は、回向する者の一念心が大切な因となります。これはまことに難解なことですが、塔婆供養はこの感応妙の原理によって死者が成仏の境界に進むのです。

 
草木成仏口決に「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(新編五二二㌻)と仰せられています。生きている者が大御本尊にしっかりとお題目を唱えると成仏できて幸せになるように、塔婆供養の原理は自分で意志表示の出来ない亡者や、非情の草木が御本尊の慈悲、お題目の力によって成仏できるのです。

 
塔婆を立てると亡くなった人はもちろん、供養した人もまた、大きな功徳をうけることができます。その功徳の大きさは量り知れないとたくさんの経文に説かれています。「昔印度に波斯匿という王様がありました。ある時仏様の所へ行って『私は占い師にみてもらったところ、あと七日しか寿命がないといわれたので大変苦しんでいます。どうかこの苦しみを救って下さい』といいました。これを聞いた仏様は『王様よ、そんなに苦しむことはありません。あなたが命を延ばして幸せになりたいのでしたら塔婆を立てなさい。塔婆をたてるその功徳はとても大きくて量り知れない程です。塔婆建立のことはあらゆる仏様がほめたたえています』と申され、また次のような因縁話をされました。『大昔ある牧場に一人の子供がいました。そこへ占い師が来て、その子供はあと七日すれば死ぬであろうといいました。ところがその子供は他の子供とママゴト遊びをしながら自分の背の高さ位の塔婆を建てました。するとその子供は、其の塔婆を建てた功徳によって七年も長生きしたといわれています』。この話を聞いた波斯匿王も発心して盛んにたくさんの塔婆を立てたところ、仏様のお言葉通り、大功徳を受け、寿命も長く延ばすことができて、王の家は栄え、体も健康になり一生幸せな生活を送ることができました。」このようなことが仏説造塔功徳経に説かれています。

 
また法華経方便品に「土を積んで仏廟を成し乃至童子の戯れに沙を聚めて仏塔と為せる、是の如き諸人等皆已に仏道を成じき」と説かれ、大聖人も「丈六のそとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、乃至過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ち」(新編一四三四㌻)と仰せになっています。

 
このほかたくさんの経文に塔婆供養の功徳が説かれています。たとえば塔婆供養をすると寿命を延ばせる、大きな福運が積める、常に仏様のお慈悲をうけることが出来るなど、仏法上、とくに大聖人の教えから見ると、塔婆建立の意義はまことに深いものがあります。

 
亡くなった人に追善回向をするには塔婆供養が最上の方法で、亡くなった方は塔婆供養を待ちこがれています。

 

 

御本尊をはなれた塔婆回向は真の供養とはいえません。私達はまず第一に御本尊を信じ、御本尊を生命をかけて護り、御本尊を中心に一所懸命信心修行して功徳を積み、その功徳善根をもって亡くなった人に塔婆回向をしなくてはなりません。

 
私達の毎日の生活の中に報恩の心、追善の気持を忘れることなく、そして正しい塔婆供養の意義を理解して、故人の成仏をご祈念いたしましょう。

 

 

(日蓮正宗の行事 86~95ページ)

 

 

コメント

  1. 暖楽鳥 より:

    いつも、勉強になる内容のブログで、有難いです。
    塔婆についても、全く無知で、お寺で聞いた時も、塔婆って単語すら解りませんでした。

    盂蘭盆の指導と合わせて、先祖供養の大切さが心に収まり、先祖供養をしながら、生きてる私達まで功徳を積めるなんて、凄いな~、有難い!って思いました。
    実家の塔婆も立てられるみたいなので、来月からは、嫁ぎ先と、実家と、塔婆を立てて先祖供養をしていこうと思います。
    ( ^-^)ノ∠※。.:*:・’°☆

  2. トチロ~ より:

    暖楽鳥さんへ

    この記事は元々宗務院で発行されていた書籍のコピーなんです。現在は販売されていないみたいなのですが、日蓮正宗の行事に関して色々と書かれてありますので、また機会があるたびに紹介していきますね。

    今は見ること聞くことが新鮮で楽しくてしょうがない時かと思います。その歓喜を未だ顕正会にこだわり続ける人達にぜひとも伝えていってあげてください。

    これからもお互いに頑張りましょうね。

  3. […] […]

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