顕正会浅井会長の「守護付嘱」に関する誤り

守護付嘱について

御生骨に続き守護付嘱を昭衞さんは出してきました。

 

御生骨を特別に見せて頂いた(と、会員には思わせて)、守護付嘱により大聖人様の仏法を護るのは在家のみであり、とりわけその付嘱は顕正会代表の昭衞さんになされている(と、会員に刷り込むのでしょう)。

 

とりあえずここまでのステップは表に出してきましたね、

 

今後どのように会員への洗脳を進めていくのかは分かりませんが、現時点までの誑惑は順次斬っておきましょう。

 

平成28年8月度総幹部会での浅井会長発言

 

まずは問題の昭衞さんの発言を見ていきましょう。

 

守護付嘱

 

もしこの重大意義がわかったら、日本国の国主および国民は、この大法を命かけて守護し奉らんとの決意に立つに違いない。

 

そもそも仏法有縁の国土の国主・万民は、仏法を守護する義務があるのです。これを守護付嘱という。

 

ゆえに大聖人様は立正安国論に、仁王経・涅槃経を引いて、守護付嘱を次のごとく御教示下されている。

 

仏、波斯匿王に告げたまわく、是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず、何を以ての故に、王のごとき威力無ければなり

 

今、無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。正法を謗る者をば、大臣・四部の衆当に苦治すべし」と。

 

このように、仏法の守護だけは僧侶には付嘱せず、国王ならびに力ある在家に付嘱されているのです。なぜか。僧侶には仏法を守護する実力がない。ゆえに国主ならびに力ある在家にこれを付嘱するということです。

 

国立戒壇建立というのは、まさしくこの守護付嘱に、国主・国民が応え奉る姿なのです。

 

ですから、国立戒壇の建立は、政治権力が宗教を利用するということでも、宗教が政治権力を利用することでもない。そのような低劣そして卑しいものではない。

 

正法堅持の貫首上人も不惜身命、仏法を守護する国主・国民も不惜身命、ともに貫くは大聖人様に対し奉る大忠誠のみ。

 

かくて一国に戒壇の大御本尊を守護し奉らんとの大気運が満ちたとき、国立戒壇は建てられるのであります。

 

(顕正新聞 平成28年9月5日号 4ページ)

 

この黄色のマーカー部分が問題なのですね。

しかしながらこの発言を受けて顕正会内では今まで以上に僧侶軽視、御宗門軽視の雰囲気が流れ出している様な気配を感じます。

 

現役顕正会員のコメント

 

これは以前にご紹介した法華講員さんのブログに寄せられたコメントです、SOPHさんのブログ

 

班長会に出てきました 最上位総部長が、 守護付属は在家になされたとセンセイがご指導されました、経文にとかれた在家を率いる唯一のお方Aセンセイに師事できた我が身の宿縁… みたい話をしてたんで、耐えられなくて班長会の席から飛び出ました 幹部はなにも知らない最近の入信者だから何の疑問も待たず、宿縁?に感激していました

 

そして数日前にも最近のコメントが寄せられました。

 

 

大々幹部が、先生はただ御一人で、おうわくを打ち砕かれた 憲法問題を正しく語れるご見識 とか 会長自らは、大聖人さまは僧侶に付属せず、在家に付属された とか 同じく、顕正会は大聖人様の唯一血の通った仏弟子集団 とか 昨今もまた、好き勝手言ってます~

 

これらの幹部連中の発言はとりもなおさず上記浅井会長の講演を受けてのものです。

 

浅井さんの守護付嘱への認識が正しいものであるならば何ら問題は無いのですが、浅井さんの解釈は相当に歪んだ自分勝手で間違ったものであるのです。

 

それを素直に信じて宗門誹謗に拍車をかける顕正会員さんのことが実に気の毒に思えてなりません。

 

心ある顕正会員の皆様におかれては、守護付嘱の本当の意味を正しく理解して、これ以上自身の罪業を積まないようお願いしたく思うものです。

 

 

四部の衆は在家のみではない

 

まず簡単なところから浅井さんの間違いを認識して下さい。

 

表題の通りに浅井さんが引用した立正安国論の一節、「今、無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。正法を謗る者をば、大臣・四部の衆当に苦治すべし」に書かれている「四部の衆」とは、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷のことなんです。優婆塞・優婆夷とは在家の男女のこと、「比丘・比丘尼」とはまさに僧侶のことなんですね…。

 

これは日寛上人の撰時抄愚記を見れば四部の衆に比丘・比丘尼が含まれるのは理解できます。

 

三には守護付嘱。謂く、国主・檀越等、如来一代所有の仏法を時に随い、機に随い、能く之を守護して、法をして久住せしむるなり。

涅槃経第三・十一に云く「如来今、無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付嘱す。是れ諸の国王及び四部の衆、応当に諸の学人等を勧励して、戒定慧を増長することを得せしむべし」等云云。

(文段 315ページ)

 

 

つまり、別しては国王に付属された守護付嘱ではありますが、総じては国民にも御僧侶にもその付嘱はなされていると解釈できますよね。

 

必要以上に僧侶を陥れようとする浅井さんの了見がこのような凡ミスを招いたのだと私は思います。

 

顕正会の皆さん、まずは上長に「四部の衆には僧侶も含まれるんじゃないですか?」と質問して下さい。これに真っ当に返答できる幹部はおそらくいないことでしょう。もちろん浅井さん御本人もね…。

 

 

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昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。

 

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コメント

  1. SOPH... より:

    いつもお世話になっております。
    やはりそうですよね!
    私もこの”在家に”という部分が間違いなく違うな、と新聞を読んだ時に思いました。
    詳しく御説明頂き本当に有難うございます!!
    本当に浅井会長は邪師ですね・・・
    また大幹部も気づかないのでしょうか・・・

    • 桜梅桃李 より:

      コメント有難うございます。

      実は浅井さんの発言の黄色マーカー部分にはトリックが仕込まれています。伝持付嘱・弘宣付嘱と比較相対して守護付嘱を考えるならば、浅井さんの言いすぎの部分はあるにせよ大きな視点としては間違ってはいないともいえるかと思います。

      ただ、守護付嘱に関して細かくその本質を見ていくならば、ここで比丘・比丘尼を外すのは間違った解釈になりかねないと思うのです。

      これは今後の話で触れたいと思いますが、最終的には三大秘法抄の有徳王・覚徳比丘の関係がまさにこの三種の付嘱の本質的意義になるかと私は思っております。

      小難しくなってしまわないように書いていきたいと思いますが、またコメント頂けると嬉しいです。

      今後ともよろしくお願い致します。

  2. セロリ より:

    顕正会発行の立正安国論謹講181~182ページにすら、

    「いま無上の正法を、諸王・大臣・宰相・および僧尼・在家に付属する。もし正法を破らんとする者あれば、大臣・四部の衆(僧尼・在家)はこれを厳しく対治すべきである」

    と涅槃経の“四部の衆”の部分を通釈しているのに、

    「僧侶には付嘱せず」

    とは明らかにおかしいですよね(^^;

    • 桜梅桃李 より:

      コメント有難うございます。

      「立正安国論謹講」をチェックするのは頭にはありませんでした…。盲点を教えて下さり感謝しております。

      さて、早速ですが手元にある当該書籍を確認してみました。確かにセロリさんが仰るように「通釈」においては比丘・比丘尼に対する記述はあるのに、その後の「講義」の部分では省略されておりますね…。「講義」の内容は現在の浅井さんの講演内容とほぼ同じかと見受けられました。

      弘宣付嘱・伝持付嘱・守護付嘱の三つの付嘱との関係性から見るならば、浅井さんの論は大きく外れてはいないと思いますが、仮に浅井さんの言いたいことだけを説くならば、最初に出て来た「仁王経」だけでこと足りるはずなんです。それを大聖人様はあえて「涅槃経」を付け加えられた…。ここに守護付嘱のもう一歩踏み込んだ解釈の仕方が出てくると思うのです。

      それに関しては御隠尊猊下の御講義においてはやはりそこまで説かれているのですよね…。ここに顕正会と本家本元の日蓮正宗の違いが大きく出ていると思います。

      またお気づきの点がありましたら、ぜひとも教えてくださいませ。

      今後ともよろしくお願い致します。

  3. タカチョー より:

    たいへん勉強になりました!

    顕正会時代にこの講演を聞いたら頭の中に「?」が大量発生しつつも「アサイーせんせーが言うんだから間違いないんだろうな」と納得していた事でしょうね。

    これからも更新を楽しみにしています!

    • 桜梅桃李 より:

      タカチョーさん、ありがとうございます。

      セロリさんのコメントを受けて顕正会の「立正安国論謹講」を改めて読んでみたのですが、通釈ではさすがに無視することが出来ずに僧侶のことにも触れていますが、解釈ではガン無視してるんですよね…。

      仁王教と涅槃教の相反する内容をどのように解釈するべきかを浅井さん自身が理解出来なかったのだと思います。

      ただ、セロリさんのお返事にも書きましたが、御隠尊日顕上人猊下のご講義ではそこまで言及されているんですよ。

      やはりこの仏法は相伝が無ければ理解出来ないのだと改めて感じいった次第です。

  4. たんぽぽ より:

    いつもお世話になっています。
    またこちらの記事もたんぽぽブログで紹介をさせて
    いただきました。
    いつもすみませんm(__)m

  5. 桜梅桃李 より:

    たんぽぽさん、いつもありがとうございます。

    先程「つづき」の記事をアップしましたので、お時間のある時にでも目を通してくださると嬉しいです。

    かなり簡単に書いたつもりなのですが、またマニアックになってしまった気が少しします…。

  6. 元顕正会員 より:

    御生骨を見たことのある法華講員さんに、「光り輝いてました?お肉が巻いてきているんでしょう?」とお尋ねしましたら、「いいえ、黒いものが少し付いてただけです。」って言われてショックでした。

    • 桜梅桃李 より:

      元顕正会員様

      コメントありがとうございます。

      印象は人それぞれかと思います。なにせ一人が拝観出来る時間は数秒ですし、それも歩きながらですから…。

      私にはピンク色の物体がそこにある…。くらいにしか認識出来ませんでした。

      これは浅井さんが拝観した日淳上人の御代替りの時もそう変わらなかったようです。それに関しては後日アップしてみますね。

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