浅井昭衞氏が亡くなって七七日(49日)が経ちました。顕正会の皆さんもようやく昭衞氏の死を冷静に受け止めるとこが出来つつあるのではないでしょうか。
顕正会の皆様の心情をかんがみて今まで昭衞さんに関して直接書くことを控えておりましたが、私の方も少しずつお話をしていきたいと思っています。
浅井昭衛氏は顕正会においては偉大なる指導者であったかと思いますが、日蓮正宗僧俗においては歴代の御法主上人を誹謗し、血脈を否定し、あろうことか御本尊を偽造するという大謗法を犯した人物と大多数には捉えられております。
大聖人の仏法を信仰する者としてこれは致命的であり、決して許されざる問題であります。しかしながら当事者である昭衞氏が亡くなった現在、これらの謗法も含めて彼の辿った足跡を客観的に見つめなおし今後の我々の信仰の糧とすることもまた大事なことかと私は思います。そのような訳でしばらくは彼の足跡を追っていきたいと思います。
戒壇建立の御遺命と共に生きた人生
浅井昭衞氏の人生を一言で表現するならば表題のようなものになるかと存じます。大聖人様の遺された戒壇建立の御遺命が非常に重要であり大事なものであるという認識は現在の日蓮正宗僧俗においても同じです。
この大事の御遺命に関わり続けてきた人生が昭衞氏の一生だったと私は思います。破門以前は宗内に於て学会という巨大な権力と戦い、破門以降はこの御遺命の大事を多くの人々に植え付けてまいりました。
不幸にも昭衞氏の存命中にはお山に帰ることは許されなかったわけですが、より多くの人たちに戒壇建立の御遺命の大事を伝えてきたという点においては素直に評価してもよろしいのではないかと思います。
戒壇問題の終幕
昭衛氏の死去の一か月後に後を追うようにして、戒壇問題のもう一方の当事者である池田氏が死去されました。
半世紀に渡る戒壇問題もいよいよ終幕を迎えるという御仏意であると私は素直に感じました。
先日も記事にしましたが、日蓮正宗においては戒壇建立の御遺命は生き続けております。
昭衞氏存命中はトップが除名されているがゆえに皆様一人一人が正宗に帰伏するという選択肢は考えもしなかったでしょうが、もうその鎖は断ち切られました。今こそ冷静にそして客観的にこの戒壇問題を各人が心静めて考え、そして大聖人様が望まれる本当の幸せに向かってそれぞれが歩まれていくことを念願致します。
コメント