顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会が主張する「御遺命の破壊」はあったのか?

さて時代を遡ってみてきたわけですが、確かに昭和40年~昭和45年は広宣流布甚だ近しという雰囲気が宗内にはあり、正本堂が御遺命の戒壇にあたる旨の認識が僧俗共に存在していたのは間違いありません。 それに伴う種々の発言があるわけですが、それらは昭...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「昭和40年~昭和45年」の真実

さて最後に昭和40年から昭和45年についてです。 この時期は確かに正本堂が御遺命の戒壇と認識される危険性の一番あった時期です。 浅井さんの発言を見ると、既にそれ以前から学会では正本堂を御遺命の戒壇にしようとの魂胆があったと書いておられますが...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「昭和45年~昭和47年」の真実

昭和45年4月6日御虫払いの御説法において日達上人は、 「『三大秘法抄』の戒壇は御本仏のお言葉であるから、私は未来の大理想として信じ奉る」(趣意)として、広宣流布は未来のことであり正本堂は御遺命の戒壇とはいえないとの公式見解をお示しになりま...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「昭和47年~破門(昭和49年)」の真実

昭和47年4月28日に有名な訓諭が出されました。 訓諭 さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はこゝに五箇年を経て、その壮大なる勇姿を顕わし、本年十月落成慶讃の大...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員の知らない「破門~平成3年」の真実

今まで確認してきた時代は比較的単純なのですが、ここからは少し複雑になってまいります。 平成3年からはハッキリと「正本堂は御遺命の戒壇では無い…、しかも将来的にも御遺命の戒壇にはならない。」と仰せになられ、それが今日まで続いているのですから、...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

現代の顕正会員さんが知らない「平成3年の御指南」

前回は現時点での御宗門における正本堂に対する認識を確認いたしました。 しかしながら、この平成16年の御講義はその直前に発刊配布された諌暁書(日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ)を受けて、いま一度正本堂の意義というものについて宗内に御指南くださっ...
顕正会(妙信講)破門後の正本堂の意義づけ

顕正会員最大の誤解「正本堂=御遺命の戒壇」は完全否定されているのだ!

顕正会(妙信講)が破門された理由が単なる破和合僧であり、御遺命を護ったがゆえでないことは今まで見てきました。 しかしながら、その暴走を誘発したのは「正本堂が将来御遺命の戒壇に昇格する可能性がある。」といった一点であり、“御遺命の戒壇を広宣流...