顕正会の主張でも三大秘法は成り立つ

トチロ~

タイトルを書いただけなのですが、何だかこれ以上書くのが嫌になってきた…。何でこんな基本的なことが分からんの?

そりゃあ顕正会員が分からんのは理解できるよ。だって教えられてないもん…。

けどね、御書もあるし文段もある、御歴代上人の御指南も希望すればすぐに出してくれる、何より法の専門家である御住職様が家庭教師のように懇切丁寧に教えてくれるというこれ以上なく恵まれた環境なのに何でこんな単純なことが分からんの?

で、こういった素直なボヤキをかますと「十四誹謗」だの「破和合僧」だのと反発する…。アンタらね、人の中傷する暇があるならもう少し勉強しろって~の!

ってなことで本日も始めます。

文底秘沈抄

文底秘沈抄の「戒壇篇」冒頭には以下の御教示がある。

「所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり。」(六巻抄61)

これに対して事の戒壇を広布後の御遺命の戒壇とするのが文底秘沈抄の捌きである。

顕正会の戒壇義は概ねここを根本としており、浅井さんの主張も同一である。それに対して法華講員の中にはここでの事の戒壇が広布後を示すがゆえに「広宣流布前には事の戒壇は存在しないじゃないか!それでは三大秘法では無く2.5大秘法になってしまうから顕正会の戒壇義は誤りである!!!!!」と言って鼻の穴を膨らます者がいる…。

憐れである…。

日寛上人がなにゆえ「本尊所住の処は義の戒壇」とされたのかは戒壇の大御本尊様の性格を考えれば一発で分かるでしょうに…。戒壇建立の御遺命を大聖人様は遺されたがゆえに広宣流布までは戒壇の大御本尊様をご安置する戒壇堂は建立出来ないんですよ。そうしたら三大秘法の「本門の戒壇」は存在しえないことになる。必然的に広宣流布前に生を受けている者は成仏できないという結論になる。故に「義理(意味合いは)は本門戒壇に当たる。」という存在を「本尊所住の処」とし、広布前にも三大秘法は欠減なく成就していると御指南下されているのです。

依義判文抄

それを踏まえた上で依義判文抄を拝読すれば「はい、これで終了。」ってなもんです。

「 問う、若し爾らば三大秘法開合の相如何。

 答う、実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり、此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり。又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義と成る。此の六義散じて八万法蔵と成る。」

(六巻抄 82 顕正会版 82)

ね、単純でしょ?結論として「顕正会の事・義の立て分けでも三大秘法は成立する。2.5大秘法なる珍論は日寛上人の御教示には存在しない。」ということになります。六巻抄は顕正会でも発刊されているから顕正会員の方々は今一度確認してみてね。

最後になっちゃったけど、この「2.5大秘法信者」というのは物差しの違いが理解できていないがゆえに間違いを犯してしまうんですよね。多分こういっても分からんと思うから、以下の僕の過去記事を何度も読み返して思索してみてね。

日寛上人 戒壇の「事」「義」 1
先日の投稿に更にTwitter上で反論が入った。先日の投稿はこれハッキリ言って戒壇の「事」「義」の立て分けに関しては15年も話し続けているがゆえ、もういい加減うんざりというのが本音である…。しかしながら顕正会員の99.99%はたぶん理解でき...

本日の一曲はエルトンジョンをどうぞ。(字幕マークをクリックしたら和訳も出るよ。)

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