事相に約した事の戒壇は建物ですよ

不本意ながら法華講員に物申す

Twitterにて顕正次郎氏に喧嘩を売っていたK氏の発言を興味深く見ていましたが、結局「事相に約した事の戒壇」は建物ではないとの結論に持ち込んだようですね…。

思わず…、

と、叫んでしまいました。(笑)

顕正会の論法をトコトン否定したい気持ちは分からなく無いですが、大聖人が遺された戒壇建立の御遺命は「本門寺の本堂を建立し、そこに戒壇の大御本尊様を御安置する。」ことであり、本門寺の本堂という建物を建立することが目標となっているのです。そしてその堂宇を指して(事相に約した)事の戒壇とされるわけです。ゆえに建物では無いとする彼の結論は法義の上からは誤りと申すしかありませんね、残念ながら…。

この無理を押し通すならば、ドンドンつじつまの合わない事が発生してきます。見ているこっちとしては、

と、突っ込みを入れたくなることがこれからも度々でてくることでしょうね。

いずれにしても、このような自分勝手な己義に惑わされる初心の方々が発生することや、「やっぱり宗門は御遺命破壊しているのではないか?」と疑いを持ち顕正会を脱会して日蓮正宗に帰依することを躊躇する気の毒な方々を救うためにも、真っ当な戒壇論というものをこれから書いていきます。

先ずは日蓮正宗要義から本門戒壇の冒頭部分を引用させて頂きます。

 大聖人の御書において、三大秘法の名目は、佐渡在島四年目の文永十一年正月、法華行者値難事の追伸に初めて示されたが、その後、法華取要抄・報恩抄等の重要御書に拝される。但し戒壇の意義を直接に説かれることはまったくなかったのである。


 弘安五年の三大秘法抄に至って、初めて


  「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懴悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり」(新編一五九五)


 と日本国の広宣流布の時に建立すべき戒壇について述べられたのである。

日蓮正宗要義 110~111頁

この赤字の部分を「戒壇は建物ではない」という前提で辻褄の合うように説明できるのであろうか?まず無理であろう…。それでも無理くりに説明しようとすればすかさず上記のショーケンの言葉を投げかけてあげよう。

とりあえずは本日はこのくらいにしておこう。くれぐれも法華講の皆様方はこのような邪義に心惹かれないように御注意くださいませ。

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