血脈断絶は無かった

日顯上人御遷化

令和元年9月20日、第67世日顯上人猊下が御遷化遊ばされました。

顕正会では日達上人から日顯上人への御相承は無しえず血脈は断絶したとの主張をして久しいですが、この御遷化によりその邪推も一刀両断にされました。

善き臨終の相

顕正会でも臨終の相は一番大事なこととしております。

顕正会の理屈が正しいのならば、日顯上人は最悪の相でなければなりません。しかしながらその御尊顔はまさに御金言通りの素晴らしい相でありました。これは一体どういうことでしょうか。

内部では口コミ指導で「死に化粧をしたのだ。」と吹聴しているようですが、それに反する証言は既に御宗門から出ております。裏付けの取れないデマを組織内に流さなければ体制を維持できないというのが現在の顕正会の実態であり、このような反社会的な組織に身を置いていることを現役顕正会員は大いに恥じなければならないと思いますがいかがでしょうか?

法界も動く

この御隠尊猊下の御遷化に合わせて大石寺では桜も咲きました。大聖人様の御入滅時には地震と共に桜が開花されたと伝えられております。この時と同じように今回も桜の開花がありました。

上記の口コミ指導では「今回の桜は冬桜であり、どんなお爺さんが死んでも咲くものです。(笑)」(趣意)と冷やかしておりましたが、池上本門寺に現存する「大聖人様御入滅時に咲いたといわれる『お会式桜』」もまた冬桜だということをこのバ幹部は知らなかったのでしょう…。御宗門の頭を叩くつもりが大聖人様の頭まで叩いてしまっているのです。本当にバカとしか言いようがありませんね。

ようは冬桜でも問題は無いのです。御遷化に符節を合わせて多くの桜が開花していったこと。そしてそれが本来は開花の盛りではないのに例年の気候と相違するがゆえに開花の時期が変化していったこと。それは御遷化を知っていたかのように数週間前から気温自体が通常とは違った動きをしていた…。つまり法界が既に動いていたということが大変に重要なことなのです。

世間では「今年はいつまでも暑かったから…。」と言うのでしょうが、信心の眼でみるならばそれは偶然では無く御遷化に伴う法界の動きであり必然だったのであると結論付けられるのです。

これを見ても血脈を受け継がれていた御法主上人の御遷化であるがゆえにこれらの奇瑞が起きたのだということが理解出来ることかと思います。

67世として永遠に…

浅井さんは過日の総幹部会で「日顯上人を宗門から追放せよ。」との暴言を吐きました。そしてこの御遷化が大聖人様が下した御裁断だと結論付けているようですが、これは事情を知らされていない顕正会員に対する内部パフォーマンス以外の何ものでもありません。

日顯上人の御葬儀は御遷化直後より厳粛に執り行われ、現時点では七七日忌法要まで終了いたしました。そしてそのお墓は歴代の御法主上人猊下の眠る典礼院(顕正会のナンチャッテ典礼院ではないですよ。)にちゃんと存在しております。

外野で浅井が何をほざいていようとも、御宗門では微塵の影響も受けずに第67世御法主として御葬送されたのです。

浅井顕正会は時代と共に衰退し、やがて人々の記憶にも「そういえばそういった謗法団体があったよね。(笑)」としか捉えられなくなる日がくるでしょうが、100年後も200年後も大石寺では「第67世日顯上人猊下」としてその御功績は語り継がれていくことでしょう。

顕正会でも高邁なる猊下と言われる日淳上人のお墓の隣に日顯上人のお墓は建てられます。

霊山で酒を酌み交わしながら

「浅井の奴にも困ったもんですね…。」

「そうなんじゃよ。ワシも『高邁なる猊下』などとヨイショされておるが、『愚人にほめられたるは第一のはぢなり。』じゃからのぉ…。もういい加減やめてほしいんじゃがのぉ…。」

なんて話をされているんではないでしょうかね。

いずれにしても顕正会が許されることは微塵もありませんし、日顯上人は第67代目の御法主上人猊下として未来永劫大石寺の歴史に名を留めていかれます。

顕正会の皆さんはありもしない浅井さんの夢物語を盲信するのではなく、しっかりと現実を見つめなおして正しく大聖人様の仏法を信仰されるべきかと思います。

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