葬式

続 日蓮正宗の行事

 

 

 

人類の起源このかた、生あるものは必ず滅びるの言葉どおり生死をくりかえしてきました。この厳粛な事実は、経験的に誰しも知っていたに違いありません。しかし人が死ぬという現象に対して、他の遺された人達が弔いの儀式を行うようになったのは、かなり後のことと思われます。

 

インドにおいては釈尊在世中、父浄飯大王の葬式の模様が、浄飯王般涅槃経というお経に詳しく書かれています。そのようすは現今とさほど変らず、火葬も行われたと記されています。

 

日本では、上古土葬が行われていましたが、仏教の伝来とともに火葬が伝えられました。初めは高貴な人たちの間で行われ、十世紀以降には、広く民間の風習として広まったようです。

 

葬式は、単なる形式ではなく、故人が今生を終わって、苦楽さまぎまの未来を開く境目であり、遺されたものが一心にその即身成仏を願う大事な儀式であります。そのためには、正しい宗教によるべきです。仏教の中でも、法華経の根元である大御本尊によってのみ、それがかなうことを知らなくてはなりません。

 

本宗で行う葬儀は、大体次のとおりですが、地方の慣習により多少の違いは差し支えありません。

 

まず、臨終に当たっては、

御書にも、

「臨終に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひける事は、一眼のかめの浮木の穴に入り、天より下すいとの大地のはりの穴に入るがごとし。あらふしぎあらふしぎ」(上野殿御返事・新編一二一八㌻)

 

とあるように、ひたすら正念を祈り、お題目を唱えます。いよいよ息を引きとり死を迎えたならば、枕もとに簡単な仏具をととのえ、枕経をあげます。(所属寺院から導師曼荼羅をお借りして、奉掲することを原則とする)このとき、遺体を北枕にする慣わしのようですが、その場の状況により、とらわれる必要はありません。

 

それから、湯潅といい、遺体を湯・アルコールなどを用いて遺族・親族の人たちの手でふき清め、新しい白衣(経帷子)を着せるのが慣わしですが、清潔な浴衣を用いてもよいでしょう。そして、遺族・親族の手によって、唱題しながら、遺体を棺に納めます。納棺の後、祭壇を飾り、その後ろに導師曼荼羅を奉掲し、通夜を行います。

 

通夜は、文字通り夜通し読経などをして、故人の冥福を祈ることですが、現在では、僧の読経は一、二回で、時間も夜七時から九時頃までの間に行われるのが通例であります。そのあと、親族知人などが更に読経唱題を行うこともあります。

 

葬式は普通、通夜の翌日に行われます。故人の霊を懇ろに弔うとともに、一期の別れの儀式ですから、荘厳かつ厳粛を旨とすべきであります。

 

斎場や祭壇、葬式の次第は、地方の慣習や故人の社会的地位によっても異なるでしょうが、見栄などで、特別豪華な祭壇にする必要はありません。各々の家に合った祭壇を作ればよいのです。

 

葬式の式次第は、大体、次のとおりです。

 

一、喪主、親族等着席
一、僧侶出仕
一、題目三唱
一、読経(方便品・寿量品)
一、焼香(寿量品に入ったら導師に引き続き喪主・親族などの順)
一、弔辞・弔電披露
一、読経(自我偈)・題目
一、観念文
一、題目三唱
一、僧侶退出

 

で一応終り、引き続いて出棺となりますが、導師も、喪主も、その他弔問者も、一体となって、故人の即身成仏を心より願い、大御本尊の御威光に照らされて、霊山浄土に向かえるよう御祈念いたします。

 

火葬のときは、棺を火炉に入れ、荼毘の準備ができたら、炉前で読経唱題を行います。同時に焼香も開始します。

 

骨上げの際は、唱題しながら丁重に、遺骨を取り上げます。

 

なお、七本塔婆、門牌、大幡、小幡、銘旗などの用否は、地方の慣習に従えばよいと思います。

 

葬儀に奉掲する曼荼羅は、死者が即身成仏し、寂光浄土へ引導されるための御本尊であり、特に、導師曼荼羅と称されております。この曼荼羅は、「衣」ともいわれ、経文に、「裸者の衣を得たるがごとし」とあるように、死者の恥を隠す信楽、慚愧の衣となって、現世と来世との関所を通るともいわれております。

 

次に戒名は、その初め、出家して仏道に帰依し、五戒・十善戒・具足戒・菩薩戒などの戒を受けた者に対して、俗名を改めて法号を授けられました。この法号を戒名といったのであります。後世には、在家のままで仏門に帰依し、受戒式に加わった者も戒名を受けるようになり、また、生前戒名を受けなかった者には、死後与えられるようになりました。現在では、死者につけられる諡号(おくりな)として、一般に知られております。

 

さて本宗においても、以前は間々御受戒の際に戒名を授けたこともありましたが、現在ではほとんど死亡した時に授けられています。

 

 

位牌と過去帳

 

位牌は、もと中国の儒家において、「霊の座」として、儀式に使われていたのが、宋の時代に仏教に転入して、用いられるようになりました。仏教、神道においても、次第に儀式などに使うようになりました。位牌の書きよう、及び大きさは、各宗において色々ありますが、死者の戒名、俗名、死亡年月日、年齢などを書くことに違いはありません。

 

一般仏教各派においては、位牌そのものを霊・霊魂というように解釈し、仏壇にいつまでも安置して、礼拝する習慣がありますが、これは正しい祭り方ではありません。日蓮正宗において位牌は、拝む対象ではないとされております。すなわち、死者の霊は、妙法蓮華経の御本尊の内に帰入してこそ成仏ができるのであり、位牌が、戒名を印すものであっても、それを中心にして拝むということは誤りであります。

 

本宗においても、葬儀の場合に白木の位牌を用いますが、五七日忌、七七日忌などが終り次第、戒名を速やかにその家の過去帳に記入し、位牌は、寺院に納めるのが最もよいのであります。

 

日有上人の化儀抄に、

「神座を立てざる事、御本尊授与の時、真俗弟子等の示し書之れ有り、師匠有れば師の方は仏界の方弟子の方は九界なる故に、師弟相向かう所中央の妙法なる故に、併しながら即身成仏なる故に他宗の如くならず、是れ則ち事行の妙法事の即身成仏等云云」(聖典九九六㌻)

とあります。ただし、初信者が、故人の位牌を祀ることを願う場合は、一応これを許可しますが、やがて信仰が深くなるにしたがって、自然に位牌を取り除き、過去帳に記入せしめるように、指導すべきであります。

 

本宗の過去帳は、大聖人をはじめ総本山歴代の法主上人の命日も記されており、毎日の報恩回向に便利なようになっております。

 

(続 日蓮正宗の行事 75~83ページ)

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