宗教批判の原理①

基礎教学

宗教批判の原理①

 

はじめに

 

日蓮大聖人は『四条金吾殿御返事』に、

 

「仏法と申すは道理なり」(御書一一七九)

 

と仰せられ、正しい仏法の教えは、必ず道理を備えていることを御教示されています。

 

道理とは物事の正しい筋道をいいます。つまり、正しい仏法は、必ず道理によってその正しさが証明されているのです。

 

折伏の際、私たちにとって最も大事なことは、御本尊に対する絶対の確信と、相手の成仏を願う慈悲の一念を持って臨むことです。その上で、私たちが大聖人の御教示や文献的証拠、幸・不幸の原因など、教学の面からも話をすることができれば、相手が正しい信仰の必要性や大聖人の仏法の尊さを知リ、入信を決意するための大きな後押しとなります。

 

私たちは、日蓮正宗の教学をただ知識として持ってるだけではなく、折伏・育成をはじめ、自らの修行に活用してこそ、本当に教学を身につけたと言えるのです。

 

これから、「折伏・育成のための基礎教学」と題して本宗の教学を学びます。〈私たちは、正しく教学を身につけて自行化他の糧とし、更なる折伏実践に励んでまいリましょう。

 

宗教には正邪がある

 

世界中には、数え切れないほど多くの宗教があります。日本国内だけでも、受験合格や縁結び等を謳う神社仏閣をはじめ、新興宗教の類まで多種多様であり、それらが本尊とする神仏や教えもまた、各宗教によって様々です。

 

もしも、宗教が単に趣味や気晴らしのためのものならば、その人の好みによって、どのような宗教を信仰しても良いでしょう。しかし、宗教を信仰するということは、趣味や気休めではありません。

 

信仰とは、神仏を信じ崇め、その宗教の教えを人生の拠り所とすることです。故に、人は拝む神仏の影響を強く受け、人格や考え方、行動まで左右されることになります。したがって、もしも信仰する宗教が低劣であれば、人生の支えとなるどころか、かえって不幸に陥ることになってしまうのです。

 

私たちは、日々の生活のなかで物品を購入する時には、必ず自分が信用でさるものを選びます。その際には、自分の経験や保証の有無・他者の評価等を基準として慎重に考慮し、できる限り満足できるものを選ぶはずです。日常のことですら、このように検討するのですから、ましてや人生の重要な拠り所となる宗教について、私たちは細心の注意を払って、最高の宗教を選択し信仰するべきです。

 

諸宗教のなかには、異教徒を殺すことを肯定するような宗教や、全財産を教団に寄付させる新興宗教など、信者を不幸に陥れる宗教が数多く存在します。このような事柄を考慮せず、「宗教はどれも同じだ」と考えることは、宗教の善悪・勝劣・正邪を無視した、非常に危険なことなのです。

 

 

私たちは、宗教には正しい宗教と邪な宗教があること、そして邪な宗教を信仰すれば、かえって不幸に陥ってしまうことを知らなければなりません。

 

また、「自分は無宗教だから関係ない」という人であっても、宗教の影響を受けないわけではありません。私たちは、先祖の命を受け継いでこの世に生まれています。したがって、先祖が信仰していた宗教の影響は、私たちの人生のなかでも必ず現れてくるのです。

 

 

誤った宗教は災難の根源

 

 

現代の世相を見ると、国の内外で痛ましい事件や争い、自然災害など悲惨な出来事が絶えず、誰もが大きな不安を抱えています。

 

大聖人は『諸経と法華経と難易の事』に、「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなリ」(御書一四六九)

 

と仰せられ、仏法と世間は、体と影の関係と同じであり、邪な宗教が広まって人々が信仰すると人々は不幸に陥リ、必ず世の中が乱れると御教示されています。

 

また『立正安国論』に、

 

「世皆正に背さ人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去リ、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(同二三四)

 

と仰せのように、正しい宗教に背く邪な宗教が広まることが、社会の混乱と災難を招く原因であり、個人の不幸にとどまらず、国家社会という大きな範囲に災厄が及ぶことになるのです。

 

これに対し、正しい宗教とは、正しい生命観と道理を備えて人々の真の幸福を叶える力を持ち、全世界の平和を実現する教えです。

 

 

私たちは、何よりもまず、この正しい宗教を選び、信仰しなければなりません。諸宗教の本尊や教義の違いを検討し、真の幸福に至る正しい教えを選ばなくては、人生の上に悪い影響を及ぼし、ひいては家庭や地域・国家社会に様々な問題が起こることになるのです。

 

 

宗教批判の原理-宗教選択の基準

 

 

正しい宗教を選択するために、宗教の勝劣・浅深・正邪を見極める方法・基準を示されたものを「宗教批判の原理」といいます。

 

仏教では古来、教義の判定基準に基づいて教えの勝劣・正邪の判定(教相判釈)がなされてきました。この判定基準の代表的なものとして、天台大師の「五時八教」「四重興廃」等が挙げられます。

 

大聖人は、この教相判釈に加え、更に独自の教判として「三証」「宗教の五綱」「五重相対」等の法門を御教示され、法華経本門寿量品の文底に秘沈された事の一念三千の南無妙法蓮華経こそ、末法時代における唯一の正法であることを説き明かされました。

 

これらの教判のうち、「三証」はその判定の基準・証拠となるものであり、「宗教の五綱」と「五重相対」は判定の方法です。

 

日蓮正宗は、大聖人が末法の衆生救済のために弘通された南無妙法蓮華経の教えを受け継ぎ、普遍的な宗教批判の原理に照らして、正を正、邪を邪であると主張しているのです。

 

次回から、この宗教批判の原理である「三証」「宗教の五綱」「五重相対」について学びます。

 

 

(妙教 平成26年1月号 33~36ページ)

 

 

 

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