先日Twitterで以下のようなコメントを頂いたので私の知っている範囲の情報を書いておこうかと思います。
現在の顕正会が日蓮正宗本来の勤行の形である五座三座ではなく、方便品・自我偈・唱題という形に改変していることは皆さんよくご存知かとは思いますが、この改変をいつ頃から始めたのかということに関してハッキリとした破折をしている方は今までいなかったのではないかと思います。
そこで少ない資料ではありますが活字になっているものの検証をしたうえでそれを裏付ける証言といったものを確認してみたいと思います。
妙信講(顕正会)機関紙「冨士」より
これは法華講員であるT.Iさんという方から教えて頂いた情報ですが、過去の「冨士」にそれが確認出来るということでした。
T.IさんのTwitterはこちら
T.Iさんが提示してくれた資料は昭和38年、昭和39年、昭和44年、昭和48年、昭和49年の「冨士」ですが、この中の昭和44年までは現在の日蓮正宗で行われている五座三座の形式が説明されています。
つまり昭和44年までは少なくとも改変はされていなかったと思われます。
ところが昭和48年の解説からは現在の顕正会で行われているような形式へと変化しているのです。(冨士117号 昭和48年5月号 24㌻)
この赤線で示されているところを読めば二座の段階で読経後にいきなり唱題に入っているのが確認出来るかと思います。この後の三座以降には「読経」の表記も「唱題」の表記もありません。
ようは三座以降は二座の御観念文に続けて御観念文だけを念じているわけです。いわゆる日蓮正宗における御講時の読経唱題のような形式になっているわけです。(初心者においては方便品、自我偈、唱題といった方法を勧められるので、日蓮正宗における唱題行の時の形式を思い浮かべて頂ければと思います。)
顕正会から日蓮正宗に入ってきた方々はずっと行ってきた形式ですからあまり不思議に感じないかもしれませんが、顕正会の経験の無い方から見れば相当に違和感を感じるものだと思います。
更に言うならば、これが破門以降の機関紙であるならば「そういったことがあっても不思議ではない…。」と思われるかもしれませんが、この冨士が発刊されたのは昭和48年5月です。除名処分はおろか解散処分も受けておらず、浅井親子を始め妙信講員全てが正式な日蓮正宗信徒であった時期の講中内部の指導なのです…。
それでも「まさかそこまではさすがにやらないだろう…。」と浅井親子を信じたい気持ちが心のどこかに残っている人たちもいることでしょう…。しかしながらもっとハッキリとした証言も存在するのです。
破門直後の手記
昭和49年8月に妙信講に入り、昭和51年6月に脱講した方の手記が以下です。
(破邪新聞 第18号 2~4㌻)
この中に当時の妙信講内の勤行に関する記述が存在します。
上記で触れましたが、この方が妙信講に入ったのは昭和49年8月です。解散処分を受けた前後ではありますが、まだ浅井親子を始めとする除名処分は下る前ですし、当然のことながら一般講員においては信徒資格は喪失しておりません。
浅井親子を始め全ての妙信講員が正式な日蓮正宗信徒であった時期です。
この時に既に上記の証言のように浅井昭衞は講員に五座三座をやる必要は無いと指導していたというのです。まさに前項の「冨士」の記述を裏付ける行為が妙信講内では行われていたということなんですね。
ここまでハッキリと証言されてしまえば、何も言い訳なんかできませんよね。
勤行の形式を決定出来得るのは唯授一人の血脈を御所持遊ばされる御法主上人ただお一人です。それを在家の一信徒が勝手に「必要ないからやらないで良い。」などと指導すること自体が慢心の極みであり、これが理由で処罰を受けてもおかしくない行為だと思います。
ようはこのような大それたことを平然と出来てしまう浅井昭衞の心にこそ破門される大いなる原因が潜んでいたと言わざるを得ないのではないでしょうか。
西村屋さんの年表
これは私はまだ現物を確認してはいないのですが、本山の売店内にある食堂の「西村屋」さんに貼ってある年表の中に昭和45年に妙信講は勤行を改変したという記述があるらしいです。
これに関しては元顕正会員で今は法華講員になっているセロリさんがブログ内に書いておられます。写真もアップされていますので確認してみてください。
結論
以上三つの観点から妙信講の勤行改変がいつから始まったのかを見てきたわけですが、ここまで証拠が全て一致してくれば破門以降にやむに已まれず改変したとの言い訳は絶対に言えないものでありましょう。
先にも申しましたが、このような大それたことを平気で行える了見だったからこそ信徒除名を自ら招いてしまったものと思われます。
顕正会の皆さんは今一度冷静に浅井会長の本質を見つめなおすべきかと思います。そしてこれ以上彼の犠牲にならないよう自身の身を守るべきかと思います。
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