先日は浅井氏より届いた「対決申し入れ書」の全文をご紹介しました。それに対する御宗門よりの返書をこれよりご紹介します。
なお、私もそうでしたが顕正会の方々は日蓮正宗内部のことは殆ど何も知りません。すなわち日蓮正宗本来の考え方や慣習といったものに疎いわけです。ゆえに浅井氏の話にコロッと騙されてしまうのですが、そんな彼らの現在の知識の程度や考え方に対して御僧侶方もまた知らないわけで…。
ですから、この文章を読んでもすぐに「分かった!」となる顕正会員さんもまた少なかろうと思うのです。
したがいまして、文中に私の解説を差し挟みました。破折班の文章は黒で表示し(浅井氏の文章引用部分は青文字)なかでも重要と思われるところは赤字に直しました。更に私の解説を最後に段落を変えて記し顕正会員さんにでも理解しやすいようにつとめました。
それでは、非常に長い文章になりますが、お付き合いくださいませ。
御法主日顕上人猊下に対する不遜なる「対決申し入れ書」を破折す
今般、御法主日顕上人猊下の御許に、貴殿よりの〝対決申し入れ書〟と題する書面が届いた。その内容は、日顕上人に対し奉り、口汚い誹謗と挑発を繰り返して、結句、対決を要求するという、無礼千万・非常識極まりないものであった。しかも、その理由はあいもかわらずの国立戒壇への固執と的外れの誹謗に過ぎずして、一分の正当性もないものである。当然、反省心のかけらも見られない。剰え、処分理由や事実経過に虚偽を構えるなど、ますます狂乱の度を加え、その謗法は、「病、膏肓に達する」という他はない。
そのような貴殿ごとき大謗法の痴れ者が、宗開両祖以来、唯授一人の血脈を承継遊ばされる御法主日顕上人猊下に対決を申し入れるなど言語道断である。身の程を知れ。
しかし、自業自得とはいえ、老いさらばえてなお生き地獄を彷徨う、哀れな貴殿の姿を前にして、これを放置することは、僧道に悖るにあらずやと、我ら邪義破折班は貴殿の邪義を破折する一書を呈する。
願わくは、貴殿、浅井昭衛の三途の旅路の杖となり、迷える顕正会員の灯火となれ、と念ずるものである。
そもそも貴殿は、すでに昭和四十九年十一月八日に本宗より除名処分に付され、貴会(元妙信講)もまた、これに先立つ昭和四十九年八月十二日に解散処分に付されているのであって、いわゆる謗法者・謗法団体である。その解散処分理由は、左の宣告書の如くである。
宣 告 書
東京都板橋区常盤台一丁目十六番六号
日蓮正宗法華講支部 妙 信 講
講頭 浅 井 甚 兵 衛一、主文 講中解散に処する。
右妙信講は、数年来「国立戒壇の名称を使用しない」旨の宗門の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付「訓諭」に対して異義を唱え、数度に及ぶ宗務院の説得、誡告等にも従わず、かえって宗務院並びに他の信徒に対して非難中傷を加え、機関誌の大量配布、デモ行進などを行なった。
これは、宗門の秩序と統制を乱す行為であり、甚だ許し難いものである。
従って、七月三十一日付をもって弁疏の提出を求めたところ、八月七日文書の提出があり、その内容を検討したが、右行為を正当とする事由は見当らず、また情状酌量の余地も全くないものである。
よって宗規第百六十四条(旧第百六十一条ノ三)の二号の処分事由に該当するものと認め、頭書の如く処分する。
昭和四十九年八月十二日
日蓮正宗管長 細 井 日 達(大日蓮 昭和四九年九月号八頁)
しかるに貴殿は、文中に〝顕正会(当時妙信講)を解散処分に付せしめた。その処分理由は「国立戒壇を主張し、正本堂を御遺命の戒壇と認めないゆえ」(取意)というものであった〟と述べているが、これは欺瞞である。右、処分理由に明らかな如く、処分理由の第一は〝国立戒壇を主張〟したことであって、〝正本堂を御遺命の戒壇と認めないゆえ〟などではない。なぜならば、日達上人が訓諭において、正本堂を「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と御指南遊ばされたことは、願望として述べられたものであって、直ちに「御遺命の戒壇」になることを決定遊ばされたのではないからである。
(”最後に申すべきこと”を砕破す 221~222ページ)
解説
顕正会では「宗門は御遺命を破壊した。」という所からすべてがスタートするわけですが、ここに最大の誤りが存在するのです。
「死罪にも等しい『解散処分』」というフレーズは顕正会員さんの頭の中には刷り込まれておりますが、この解散処分を受けた直接の原因は、
1.「国立戒壇という言葉の不使用。」という御法主上人の御指南に背いたこと。
2. 昭和47年4月28日の訓諭に異議を唱え、それに対する御法主上人を始め宗務院の善導があったにもかかわらず無視し、宗内の秩序を乱す「破和合僧」の行為が目に余るものにエスカレートしたがゆえ。
ということなのです。
ここに顕正会の主張する「国立戒壇論」が解散処分の直接の原因になったという事実は微塵もありません。
時の御法主日達上人に於かれては以下のお手紙の中でハッキリと浅井さんの主張も認めて下さっているのです。
一、教義についていろいろと意見のあるのは自由である。私は貴殿が私の意見に従うようにとはいわない。しかし、自分の解釈を押しつけるために非常手段に訴えるという態度は、信仰者として、また大事な一万講員の責任者としてとるべきではない。それは信仰の本質にもとり、大聖人の御本意ではない。又、訓諭は法主という立場上、宗門の公式見解となる。従って宗門としてはこの線に従って運営されるべきであり、これを妨げることは統制を乱すことになる。この点をよくよく理解され自重されることを望む。
顕正会員の皆さん。まずは心静めて客観的に当時の経緯を見直してください。
必ず真実が分かると思います。
コメント
どうもご無沙汰してます。
日達上人は御遺命の戒壇の名称として、「国立戒壇」という語を使用するのは、時代に合わなくなってきたからやめようと仰っただけで、「宗門がかつて主張した国立戒壇」の意義や内容は否定されていなかったそうですね。
この点については、顕正会が発行した『御遺命守護の戦い』の34ページをよく読めばわかるのではないかと思います。
ちなみに「国立戒壇」は国柱会の田中智学の造った用語で、最初に使用したのも田中智学。
「国立戒壇」という名称を使わなくても何の問題もないですよね。
さらに「顕正会が主張する国立戒壇」は名称だけでなく、その内容も国柱会が主張した国立戒壇と瓜二つなのであり、田中智学の亜流と言われても仕方ないです。
なかなか複雑ですが、「国立戒壇」を主張する顕正会員はまずこれらの事実をよく理解して欲しいですね。
ありのさんへ
お元気そうで何よりです。
さて田中智学氏の戒壇論ですが、あらためて読み返してみました。
以前じっくりと読んだのは日蓮正宗に来たばかりの頃でしたのであまり違和感は無かったのですね…。ただ、法華講員として10年以上過ごしてきてから読んでみると「たしかに日蓮正宗の考え方とはずれている…。」と感じました。そしてその論調は浅井さんの戒壇論と非常に酷似しているのです。
国家を擬人化して論ずるところや天皇陛下の捉え方、戒壇建立の手続きといった部分も田中智学氏と浅井さんの主張はそっくりですね…。
で、浅井さんは「田中智学こそが日蓮正宗の教義を盗み取ったのであり、顕正会の主張を國柱会の亜流と揶揄するは笑止千万!」などとほざきますが、されば田中智学氏以前の御歴代御法主上人に上記のようなご指南が存在するかといえば、おそらく存在しないのではないかと思います。(つまり、存在するならば浅井さんの言うとおりに「田中智学の亜流」と嘲笑するのは間違いでしょうが、存在しないならば「田中智学独自の解釈を日蓮正宗本来の教義と捉え違いしている浅井さんは間抜けだ。」となるのではないでしょうか。)
これに関しては更に研鑚した上で公表しようとは思いますが、現時点で思うのは、「田中智学氏は確かに日蓮正宗の教義を勉強したうえで持論を展開したが、そこには日蓮正宗には存在しない考え方…、つまり田中智学氏独自の解釈や踏み込みすぎた考えなどが混在し、それを100%日蓮正宗の教義だと思い込んでいる浅井さんはそれをそのまま引用したがゆえ御宗門から破折されているのであり、結論としては顕正会の戒壇論も細かな部分では日蓮正宗本来の戒壇論からは外れてしまっている。」といったところでしょうか。