平成21年(2009年)1月16日
前回は昭和42年当時の反省を述べられている文章をご紹介したわけですが、これらはいずれも平成3年以後…、つまり学会とは袂を分かつことになってから述べられたことです。これだけを聞くと顕正会員としては、「そんな二十数年も経ってから反省を述べられても卑怯ではないか。」との感想を抱かれるかと思います。
ただ、それは少しばかり的外れです。
既に昭和45年4月以後は御宗門としての公式な発表からは“正本堂が直ちに御遺命の戒壇である。”との意見は一切が消えました。
もちろん、これには当時の浅井会長が提出した「『正本堂』に就き宗務御当局に糺し訴う」が影響しているであろうことは否定するものではありません。むしろ私としてはこの一書があったればこそここまでの動きがあったのだと思ってます。
ただし、このことに関して浅井会長は11月度総幹部会(平成20年11月度総幹部会)では時系列を無視して説明し、御宗門と学会の動きを混同させ、御宗門に対して誤解を招かせるように誘導しております。こういう点が非常に汚いのです。
既に昭和45年4月の御虫払いを境に、御宗門からは正本堂を直ちに御遺命の戒壇と見る姿勢は無くなったことだけは覚えておいて下さい。ただ、学会は相変わらず正本堂は御遺命の戒壇であると主張をし続けていくのです。そこが明らかなる相違点なのです。ですから、妙信講の攻撃は、それ以後は学会のこのような考え方を改めさせることに集中していくのです。
広布以前の建立を是とするか否か!
そういう経過があったのです。ですから平成3年以後に改めて反省の言葉を述べられたとしても、実際の動きとしては昭和45年からは一貫した姿勢でいるわけですから決して卑怯とは呼べないものだと思います。
その上で顕正会員の皆さんに考えて頂きたいのは、この正本堂に関する問題の一番の本質は何なのか?ということです。
国立戒壇の問題、天生ヶ原の問題等々、今までに顕正会側は様々な問題を提起してきました。しかし、全ては一言で収まるのです。上記のようなことは枝葉でしかない。本質はたった一言だけです。
「広宣流布の前に御遺命の戒壇を建てても良いのか!」
これだけです。それ以外の問題提起も、全ては正本堂が御遺命の戒壇では無いことを立証するための材料でしかありません。それらに目を奪われて執着していくと混乱していくのです。
上の言葉は古い顕正会の活動家の方ならよく口にされたのではないかと思います。現在は“化石”と呼ばれ虐げられている方達です…。
しかし、これほどのインパクトのある言葉はないんですよ。実は…。
そして、この物差しをもって全てを考えていけば非常にスッキリと全てが理解出来てくるのです。
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