私が顕正会員だったころは、「顕正会は大聖人様の御遺命を護り奉った唯一の正しい団体である。」というようなセリフで折伏しておりました。
たぶん今でも顕正会員さんは同じようなことを言っているのではないでしょうか。
ところで、御遺命が破壊されていたのか否かは置いといて(のちに嫌っていうほど論じましょうね。)、本当に顕正会員さんがやってきたことは、大聖人様の仰せのままの信徒の姿だったのでしょうか?
実はここに大きな問題点があるのです。
そもそも顕正会が破門されたのは宗内の秩序を乱したからです。
顕正会でも教えられている「破和合僧」が理由なんです。
信徒としての立場を逸脱し、大聖人様の仏法を行じていく資格は無い!
言葉を変えれば、「そんなことではあなた方の成仏は望むべくもない。」との太鼓判を押されたからこそ、破門になったのですね。
そこに争点があるのです。
顕正会では争点をずらして、御遺命が破壊された等々言ってはおりますが、慢心から来る破和合僧を起こしてしまったゆえに破門へと繋がったということ、そして、それに対する反省懺悔が未だにないということが、宗門復帰が叶わぬ最大の理由なのですね。
時の貫主たりと雖も…
冒頭で私は、「顕正会では争点をずらして、御遺命が破壊された等々言ってはおりますが、慢心から来る破和合僧を起こしてしまったゆえに破門へと繋がったということ、そして、それに対する反省懺悔が未だにないということが、宗門復帰が叶わぬ最大の理由なのですね。」と書きましたが、御遺命を破壊したのを諌めたのに、何で反省する必要があろうか!と反論されそうですね…。
しかしね、その考え方自体が間違っているのです。
それでは分かり易く説明いたしましょうね。
まずは、顕正会員が好んで引用する日興遺誡置文の
「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用ふべからざる事。」(御書1885ページ)
について論じていきましょう。
顕正会はこの御文をもって、
“御法主上人猊下と雖も間違ったことを述べるのだ。”
と主張いたします。その裏には、
“御法主上人は御遺命の戒壇の解釈を間違え、それを諫めた顕正会を破門処分にした。現在、顕正会が宗外に身を置いているのはこのゆえであり、顕正会に誤りは一分も無い。換言すればこれは法難であり、たとえ戒壇の大御本尊様にお目通りがかなわなくとも、そこには功徳法水は流れ通うのである。”
という自己正当化する思考回路が働いているのでしょうね。
一見すると顕正会の主張は理にかなっているようにも思えますね、しかし細部に目を点ずれば数々の誤りがそこには存在しているのです。
そしてそこにこそ顕正会が破門された理由があるのであり、根本的にそれを直そうという自覚が芽生えない限りは顕正会の宗門復帰などはあり得ない話なのです。
結論から申せば、唯授一人の血脈を御所持の御法主上人猊下に法義上の誤りなどは存在し得ないのです。
仮に誤るのだとすれば、その所持されている御内証とは何なのだ?という根本的な矛盾が発生してくるわけです。大聖人様の御内証、戒壇の大御本尊様の御内証と而二不二の御内証を御所持の御法主上人猊下が法義の誤りを生じるというならば、大聖人様の御指南ならびに戒壇の大御本尊様そのものもまた信じるに値しなくなるという矛盾を抱えているのですよ。而二不二というのは一体ということですから…。
「それは違う。大聖人様は絶対だし、戒壇の大御本尊様も絶対であるが、御法主上人だけは間違うこともあるのだ!」と頑なな顕正会員は主張するかもしれません。しかしこれもまた矛盾を発生するのです。それではあなた方が主張するような不完全な御内証を持っているのが御法主上人猊下ならば、猊下の御書写される御本尊もまた不完全であり、一点の曇りもない完全無欠の仏様になどは到底なり得ないということになりませんか?…とね。
これらの矛盾を認識した上で、それでも顕正会員は“御法主上人猊下と雖も間違ったことを述べるのだ。”と主張しているのか?ということを冷静に考えて頂きたいのですね。
どうですか?矛盾を説明できますか?スタート地点からすでに狂っているということが自覚できましたか?
ようは顕正会の思考は根本(土台)からすでに狂いを生じているのです。
御内証への信
顕正会員は根本(土台)が狂っている…。
木でもそうですが、目に見える枝葉よりも目に見えない土中の根っこの方がより大事なんです。そこが腐っていたならば、どんなに大きな立派な木であってもやがて朽ち果て倒れるものです。
この信心も同じなんです。
三宝一体の御内証を正しく素直に拝するという土台が無ければ、論が進むにつれて、それは矛盾を大きくし、やがては論に詰まるのです。
これは梯子(はしご)に譬えればわかりやすいかもしれません。
私たちは梯子を立てて高いところへ上る際、地面が平らなところを選びますよね。
それは何故か?
仮に地面が左に少し傾いていたとしましょう。
少しぐらいなら、梯子もぐらぐらしませんし、上に登ることは可能です。
けれども、上に登れば登るほど目的地から左に遠ざかってしまうものです。やがて、せっかく登ったのにまた降りて一から梯子をセッティングしなければいけないことに気づかされます。酷い時には、そのままバランスを崩して梯子ごと倒れてしまうかもしれませんね。
このように最初が肝心…、土台が肝心なのです。
この大聖人様の仏法に於いては、御内証への信というのが何より大事なわけです。そこに信をとれないものは、最終的におかしな方向へと進んで行ってしまうのです。
本来日蓮正宗においては御法主上人猊下は絶対の存在であり、それは血脈を御所持であるが故なのです。されば、そこに誤りが存在するなどということは根本的に考えられないことであり、そのようなことは本来想定し得ない事柄でございます。
ところがここで非常に悩ましいのが、日興遺誡置文における「時の貫首と雖も~」の一条なんですね。
本来想定し得ない物をなにゆえ日興上人ともあろうお方が留めおかれたのか?
ここから先はあくまでも個人個人が日興上人のお心を拝していくしかないのですね。そのものズバリをスパッと言い切っている御指南があれば良いのですが、悲しいかなそれは私の知る範囲ではございません…。
そこに顕正会のような素っ頓狂なことを言い出す輩が出てくる原因があるのですが、無い物は無いのだからしょうがない。
一方で、御指南に無いことを一在家が想像をたくましくして述べることを嫌悪する風潮が法華講にはあります。たしかに過去の御指南等での裏付けのないことを在家が述べるのは避けるべきでありましょう。
しかしながら、ここまでこの一条を宗門誹謗に利用されるのであれば、何かしらの応戦はしなければいけないと私は思います。
というわけで、あくまでも“私の個人的意見である。”ということを前提に「何故この一条を日興上人は遺されたのか。」ということについて私の考えを述べていきたいと思います。
なにゆえ「時の貫首と雖も~」を設けられたのか
日興上人が何ゆえにこの一条を設けられたかといえば、将来において必ず起こるべきであろう宗内での争いに対する、それぞれの立場における最善の身の振り方を御教示されたものと私は考えるものです。
凡そ信行が進んでいけば三障四魔が競い起こるのは道理ですが、更にそれをものともせずに突き進むならば、最後には究極の魔が出来してまいります。
それが天子魔であり、第六天の魔王です。
この魔は、それ以前の魔障の働きとは比較にならない力を持って、私たちの成仏への修業に障りをなします。
どんな手段をもっても信心を退転しない輩を攻め落とす訳だから、それは本当に情け容赦ない方法で仏様との縁を断ち切りにかかるのものです。
私たちはすべからく戒壇の大御本尊様とはパイプで繋がっている訳ですが、それを繋げて下さっているのは歴代の御法主上人であり、現代においては御当代の御法主上人です。そして在家においては更に猊下様から認められた指導教師の御住職様がそのパイプを繋げて下さっているのです。
この法水功徳が流れ通うパイプに亀裂を入れ、分断してしまうことこそ、究極の魔の働きなのであると私は考えます。
ゆえに究極の三障四魔の働きが遂行されたならば、必ずや御法主上人や御住職様との喧嘩が開始されるものなのではないでしょうか。
これは仏法の道理そのものなんだと深く感じるものです。
大聖人様から仏様の境涯を受け継いだ日興上人には勿論それらは全て見えているはずで、しかるに将来において幾度も繰り返されるであろう宗内での争いに対する処置を、後代の弟子檀那の為に書き遺されたのだと強く感じるのです。
究極の三障四魔が起こるのはしょうがない。しかし、そこでどのように身を振るかで成仏不成仏は決定するのだと私は思います。
御僧侶との喧嘩が始まると書きましたが、世間の喧嘩とは少しばかり勝手は違います。
少なくとも信行に秀でた者と御僧侶との争いであるわけですから、そこにおいての争点は世間のくだらないレベルでの話では無く、広宣流布に向けての意見の相違でありましょう。法義上の解釈の争い…、すなわち法の上からどのように行動すべきかの意見の相違が争いに発展していくのであると私は思います。
したがって遺誡置文においても「己義を構へば」「仏法に相違あらば」との表現をされているのだと思われます。
しかしながら、ここで冷静に考えていくならば、大聖人の仏法においては位の上下が厳然と定められているわけです。在家よりは御僧侶、一般の御僧侶よりも御法主上人猊下が上位であることは説明するまでもありません。
これも勝手に上下の区別が定められているのかと言えばそうでは無いのですね。
大聖人の仏法では「具わる」ということが説かれています。その地位についた時点でその職務を遂行しうる能力が不思議と具わってくるのです。ゆえにたとえ得度されたばかりの御所化さんであっても高位の檀那よりも下に置いてはいけないのであります。
これを身を低くして拝するならば、仏法上の身分の上下は、法解釈の正邪の上下でもあると捉えることが出来るのではないでしょうか。
すなわち機根が上の者は、その六根から判断した上での言動を為しているのであって、自ずと機根が下の者よりもより正確な判断が出来るといえましょう。
そこから立ち返って考えてみるならば、機根が下の者が上の者に向かって「間違っている!」と断ずることは出来ないのです。要は、自身の理解を超えた思慮の元に為された言動であるならば、「間違っている!」と思う自分自身が結局は間違っていたという事にもなりかねません。
このように大聖人の仏法においては厳しく身分の上下が定められており、それ自体を否定するような行動そのものが大聖人の仏法には馴染まないのであり、それをあくまでも押し通そうとするならば、最終的には大聖人の弟子檀那という立場そのものを失うということなのだと私は強く感じるものです。
これは何も人間が裁くのではありません。
御本尊様が裁くと申しますか…、仏法の道理であるが故に、自然とそのような結果を招くということでありましょう。
まさに昭衞さん、および妙信講(顕正会)がそれなのです。
この日興遺誡置文の解釈は、最終的には御隠尊猊下の二つの御指南に集約されると思います。
日顕上人御指南
以下がその御指南です。
「そしてこれは、今の『二十六箇条』に関連したものとしてお話しておきますが、
「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用うべからざる事」(聖典五六四頁)
という御文があります。この御文に関しましては御先師もいろいろな意味での御指南を賜わっておりますが、やはり御先師の御指南は御指南として私はその御指南の意義を謹んで拝受していくものであります。
しかしまた、ある面から考えましても――つまり「時の貫首」という語を「之れを用うべからず」の語との関連で、主語として考えるか客語として考えるかの区別になるわけですけれども――。仮に客語として考えた場合は、そのときの貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。これについては日達上人も「しからば、その己義というのはだれが判定するんだ」と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。
たしかに、そういう意味があるのです。即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化儀・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。しかし、大聖人の御指南を根本としたうえで言っておることに関してならば、やはりその法主の指南を中心に聞かなければならないはずであります。」
(大日連 昭和55年8月号10ページ)
「その上から拝していくならば、日興上人様が『遺誡置文』に、
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用うべからざる事」(日蓮正宗聖典五六四ページ)
ということをお示しでありますが、この御遺誡はまことに一切をお考えになっておる、正しく勝れたお言葉と思うのであります。もしも私が間違ったことを言い出したならば、皆さん方はそれを用いてはいけないのであります。これは大聖人様、日興上人様の御指南であります。
しかしながら、「用うべからざる事」とあるのであって、直ちに法主の立場にある者に対して反逆し、悪口を言い、謗るということではないのです。この「用うべからざる事」とは、あくまで受動的な意味でありまして、そこに法華経の本義、すなわち大聖人様から日興上人、日目上人と付嘱されておる意義が存するわけであります。
したがって、次の文において、
「衆義たりと雖も仏法に相違有らば貫首之れを摧くべき事」(同ページ)
とあるのです。今度は「用うべからざる事」ではなく、「摧くべき事」とあるのです。つまり、私の責任は誤りを摧くというところにあるのです。ですから、今般、創価学会の誤りをはっきりと摧くべきであるということを確信いたしましたので、ある時から決意をして、今日の経過に至っておるのであります。」
(大日連 平成4年7月号57ページ)
上記の御指南を何度も何度も拝していけば、自ずと答えは見えてきますよね。
下の者が上にたてついてはいけないのである。
間違っているとの念にかられても、黙って待っていれば良いのである。
それを我慢できないで暴発した瞬間にその者は功徳を失い、そして成仏を誤るのである。
顕正会はすなわちそれの見本でありましょう。
しくじり先生 「俺みたいになるな!!」
もうそろそろ話しても良い頃かもしれません…。
実はかくいう私もこの日興上人のご指南に反してしまった経験があるのです。
法華講員の一部の方はよく御存じのことでしょう。
ちょうど今から9年前のことでした…。
私は御住職様にご意見を申し上げました。その理由は此処では詳しくは述べませんが、私利私欲とは正反対の…、むしろ法の上から、自分の身を捨てても守らねばならない出来事が発生し、日興上人のご指南は重々承知の上ではありましたが、ご意見を申し上げた次第でございます。
もちろん、ご意見は申し上げたものの、それを押し通そうだとか、力ずくで御住職様の行動を阻止しようだとかの気持ちは微塵もありませんでした。私の意見をお伝えした後は、静かにお寺の片隅で細々と信心を続けていくつもりでした。
そういった点では妙信講の昭衞さんとはトーンが全然違っていたわけです。
しかしながら法とは怖いものです。私が意見をした直後から周りは一気に騒がしくなっていきました。
私が直接意見をお伝えした御住職様だけではなく、講員さんたち…、ひいては他のお寺の法華講員までが騒ぎだし、私に対する誹謗中傷が嵐の如く襲いかかってきたのです。
それでも私はそれに対する応戦はしませんでした。
自分のまいた種ですから、じっと耐えておりました。
しかしながら、それから1年弱が過ぎ、それ以上お寺にいられる雰囲気ではなくなり、結果として報恩坊へと移籍させて頂いたのでございます。
私は昭衞さんと違って具体的な攻撃は一度も為しておりません。たった一度だけ書面にてご意見をお伝えしただけなのです。しかしながら、「摧く」という行動はしていないとはいえども、意見するということは、「摧く」という意思をもっているということとも解釈できます。
この仏法では身・口・意の三業と申しますが、身で表すことはしなくても、心で思ったり、それを口に出しても同罪なのです。
そういった点で私は日興上人のご指南に背いてしまったとも言えるかもしれません。
結果として、その騒動の最中はほとんど御開扉を受けられない状態が続きました。御開扉だけではなく、御講にも行けず、お寺への参詣もできなくなり、どんどんと戒壇の大御本尊様からは遠ざかっていってしまったのです。
これがこの仏法の厳しい現実なのだと私は思います。
それを避けるためには、日興上人が仰せのまま、下の者は上の方に対して絶対に逆らってはいけませんし、そういった念慮を持つこともまたいけないということなのだと思うのです。
ひるがえって昭衞さん率いる顕正会はどうでしょうか?
彼は徹底的に意見を押し通そうとして実力行使に出ました。それゆえに早い段階で除名になり、外に放り出されたわけです。しかし、彼の主張する戒壇の意義や、正本堂自体の消滅は現実のものになりました。理は彼にあったとも言えるかもしれません。しかしながら、たとえ理はあったとしても除名されて戒壇の大御本尊様と離れてしまっては本末転倒なのです。
そして注目すべきは、戒壇の正義が表に出て来たのも、正本堂が解体されたのも、顕正会とは無縁の理由からなのです。浅井さんが諌暁したからではないのです。言い換えるならば、昭衞さんが存在しなくても、時間と共にそれらは厳然と現実のものになっていたのですね。
そこが大事です。
たとえ正論であってもそれを目下のものが目上の者に言うべきではない。ましてや実力行使などもってのほかである。
時間とともに仏様が御裁断くださる。
それを待つのが日蓮正宗の信心なのです。
日興遺誡置文のご指南は、それを私たちに教えて下さっているのだと私は自身の経験から痛切に感じ、「俺みたいになるな!!」と声を大にして主張する次第でございます。
本当は、しくじり大先生の昭衞さんが「俺みたいには絶対なるなよ!!」と叫んでくれるのが一番良いのですがね…。
落ちもついたところで、本日はここまで…。
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