私は班長でした。
ですから、班員さんを参加させる為に一生懸命になだめたりスカしたりして、会館や、ビデオ放映をしている会場にお連れして、ビデオ放映に参加して、浅井先生のご指導を命に染めさせていただくのです。況や、連れ出して、参加券を書いてもらうと言ったほうがしっくりいくのでしょうか。
時間内に行くことが出来れば、参加券を書いて、参加した事になるのです。
この参加人数によって、もしかしたら班長もしくは幹部の成績が上がったりするのでしょうか?
会館のビデオ放映の受け付けをした事もあります。最初に、主任から出仕の心得のご指南をいただきます。「浅井先生の格別のご配慮で、この会館で有難いビデオ放映を見られること、どんな方もこのビデオ放映を見に来る人達は仏法を求めて来る仏弟子であるので、精一杯、失礼の無いように勤めましょう。」というようなニュアンスです。
「こんばんは!ご苦労様です!」「今日は〇月〇日です」各組織ごとに集計して、参加人数を割出します。海外の方も来られます。苗字か名前かわからないカタカナで、所属もわからない、誰の紹介かもわからない人もいますが、とりあえずあの人の対象かも・・というところで落ち着きます。途中で帰る方や、終わり際に来て、ササッと帰って行く方もいます。すべての方々が仏弟子なのです。
実際、ビデオ放映に出て居眠りしているのと、CDを聞いて、新聞を読んで心肝に染めるのとどちらが立派な幹部になれるのか?
まぁ、どうでもいいのですけど。どんなにそれを頑張ったところで、功徳になるどころか、罪障積むだけだって事はわかるはずもありませんでした。
散々上の幹部に言われたのは、結集の人数に比べて、折伏の数が少ないということ。結集した人達が一人づつでも対象者を出せば、過去最高の折伏が出来るハズだと。
だって、出たくて出てる訳じゃ無い人に、感激しろとか、他人に仏法を教えてあげる気になれとか、無理難題を押し付けているってわかって言ってる?ってハナシです。
どういう訳か、浅井先生のご指導を聞けば、誰でも感激すると思い込んでいる人達が存在するのです。それはどうかな~なんて思いもしないんです。祈ればなんとかなる!と思い込んでいるのです。
コレが結集の実態ではないでしょうか?みなさん、どうでしょうか?!(。=`ω´=)
頑張っておられる幹部の方々にすれば、私のような者は浅井先生のご指導が命に染まっていなかった残念な輩と言われるのでしょうね。
どちらが残念なのでしょう。
結局、浅井先生!なのですよね。「浅井先生でなければ大聖人様の御金言を拝し得ない。」とも言うのです。
実際、ビデオ放映を見て、仏性が揺さぶられるとか本気で言ってます?大丈夫ですか?
マサに謎です。
・・・あくまでも、個人の意見です。
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