3・11の後、原発反対に舵を切った顕正会は、原発ゼロを掲げて特集号と称する顕正新聞の配布を始めました。
ガスコンバインドサイクル発電が、世界で一番の発電方法であるかのように発言し、原発の恐ろしさを煽り、我々こそが原発ゼロを推進する第一人者であるとの誇りに燃えて、新聞配布が活動のひとつに加わりました。
元々、原発に対して否定的だった私は、何を今更とは思いつつも、新聞配布に勤しむようになっていったのです。
それまでにも、諫暁書の配布や、学会の反社会的勢力との繋がりを暴いた特集号や、池田会長の情報を指導された新聞を、学会員宅に配りに行くことはありました。
この時期あたりから、とにかく、世間の未だ仏法を知らない人達に新聞を読ませること、仏法に触れさせること、コレこそが将来の広宣流布に繋がる折伏である!そんな指導に、沸き立ったのです。
そこに立派な大義名分が出来たわけなのです。
今まで折伏に臆病だった人達も、コレなら出来るというわけです。
そして、新聞配布は、ますますエスカレートしていくのです。
高校生、大学生を連れて、住宅地を回ります。
ピンポン!だけでもいいんです。功徳です。
要らないよ!とつき返されます。功徳です。
話が出来ました。コレは脈がありそうです。また訪ねましょう!
こんなのを手当たりしだいやっていくわけなのです。
男子部が既に配布してある所もあります。婦人部のテリトリーだったりする所も。計画性なんてありません。
エ〇バみたいだけどエホ〇じゃ無い。彼等はちゃんとそれなりの役目の人達がそれなりに計画の下に地域を決めて配布活動している。
違うのは、行き当たりばったり、気分と新聞と志しと、しつこさかな~。
玄関に立ちます。ピンポン!
「こんにちは~〇〇です。冨士大石寺顕正会ってご存じですか?今新聞を配ってます!すっごい大事な事が書いてあるんです!是非読んでください!」
ここまで言えれば最高ですが、普通に訪問販売なんてした事もない素人ですから、オドオドしちゃいますよね。誰がこんなロールプレイ教えてくれる訳じゃ無いですし。
見よう見まねで私の後について来た班長さん達はちょっとお得な経験でしたね。相手の懐に入り込む技は、その昔の飛び込みのセールスの経験が役に立ちました。こんな事が役に立つなんて、当時はこの為に!とか思っちゃったりして、なんて罰当たりな・・・。
総班長さんの中には、グイグイ入って行って、玄関先で話が始まっちゃう事もあります。
嫌がってるよね、もういいんじゃない?早く切り上げて次に行こうよ、とは言えません。
(嗚呼、こんな時間になってしまった。もう帰りたい。)なんて口が裂けても地面が割れても言えません。
新聞配布で折伏の対象者を出すなんて本当に出来るの?
活動報告でよくあるけど私には無理。有り得ない〜。
こんなどうしようもない班長さんでした。
コレが信心薄く、先生の指導が生命に染まっていなかった私の本心です。
仕事終わりに、家に帰る前に一時間、新聞配布しよう!とか、待ち合わせしてここに行って!とか、結局待ち合わせの場所がわからずにその日はお開きになって、ヤレヤレと胸を撫で下ろしたり。
もっと御書を勉強したい、大聖人様は本当にこんな事を望んでいらっしゃるのか?この違和感はなんだろう。
今や、新聞配布は、デモの広場に出向いたり、駅で一斉に配ったり、プラカードまで作って道行く人たちの目に留まるように、あの手この手で頑張っておられるようです。
もはや、顕正会の目的はなんなのですか?新聞には大聖人様の教えが書いてあるんですか?
と聞いてみたくなりました。
コメント
たぶん今も同じような気持ちで新聞配布している顕正会員さんは多いのでしょうね…。
「もう無理はしなくて良いから、早くこっちへおいで。本物の大聖人様の仏法はそんな辛いものでは無いんですよ。」
と教えてあげたいものです。
配布している方々がみんな、使命感に燃えて頑張っておられるとしたら、それはそれで恐ろしさを感じます。
大聖人様は、安倍政権打倒とか、安保法制反対とかモリカケとかそういう事で我等信徒に何かをどうにかしろなんて言われると思いますか?
もっと、信心て、違うところにあるんですよ。
真実を教えてあげたいです。
>配布している方々がみんな、使命感に燃えて頑張っておられるとしたら、それはそれで恐ろしさを感じます。
思わず吹き出してしまいました。確かにこれは怖い…。
>もっと、信心て、違うところにあるんですよ。
先日の「メタンハイドレード」なんかも単に人類滅亡の危機だとか、資源の有効活用だとかの観点に留まっているのが世間的な見方でもあり、かつ顕正会で論じているのもその範疇を出ませんよね。
ただ、これを大聖人様の仏法の観点から見ていくならば、もっと違う切り口になってくると思うんです。
ちょっとそのあたりも私の記事として触れてみましょうかね…。