顕正会の主張する「御遺命破壊」はあったのか?

国立戒壇について

御遺命破壊はあったのか?

顕正会員さんの最大の誤りは、

「日達上人は正本堂を御遺命の戒壇と言っている。」

との嘘を浅井会長はじめ幹部連中から教えられているということなんですね。

ここに浅井会長の発言を紹介いたします。

学会の主張と日達上人の「事の戒壇の定義」は明らかに相違するものであり、それを浅井会長はここまではっきりと言明して猊下を擁護されているのです。

入信間もない会員さんは知らないのでしょうが、今一度事実を確認することが大事でありましょう。

「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う(昭和46年11月15日)

五、「事の戒壇」の定義について

次に「事の戒壇」の定義について確認をしておかねばならない。その故は、昨年五月の学会総会に於て、猊下が「正本堂は事の戒壇である」と仰せられたことに就き、”猊下も既に御認承”と、かえって誇称するを屡々聞く故である。総会に先立って森田副会長に念を押した憂いの一つはこれであった。

申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。従来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。

此のことは、昨年四月二十七日の大客殿に於ける御説法に明かである。即ち

「この御本尊在すところは事の戒壇で、この御本尊が事の御本尊である。事の御本尊である故に、この御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります」と。猊下の御意は以て明かである。

だが、学会で従来用いて来た「事の戒壇」の意味は宗門古来よりの定義に準じている。その定義を以て「正本堂を事の戒壇」と断定するから仏法の違背というのである。

(富士第140号25ページ)

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どうですか?

これを見ても分かるように日達上人は「事の戒壇」と「御遺命の戒壇」を分けて論じておられるということです。それをまた浅井会長は重々承知の上で、青字のように学会を批判しているのであります。

“御宗門における御遺命破壊などという事実は最初から無かったのである!”

これが真実です。顕正会の皆さま御理解いただけましたか?

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コメント

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