本尊所住の処、義の戒壇

国立戒壇について

ご存知の方はいらっしゃるかもしれませんが、元顕正会員さんのあるブログにて少しばかり対論をしています。

 

以下がそのブログ記事ですがお時間のある方はコメント欄を含めて一通り目を通してみてください。

 

巖虎独白 「インネン」

「ミョウヒツブ」

「ツウヨウ」

「ガンコキョウ」

「メメシイ」

「ヘキエキ」

 

ここにおいてブログ管理人の巖虎氏は私に「本尊所住が戒壇であるとの証明を御書で行なえ。」と要求してきました。しかも日寛上人の御指南を使用するなという条件も付けてであります。

 

これは正直なかなか難しい作業かと思われます。

 

ゆえに彼は「わたくしは今、日蓮正宗の法華講員に無理難題を吹っ掛けているわけだが」と本音をポロッと漏らしたごとく、御金言のみで「本尊所住のところ義の戒壇」を論証するのは無理だと思い込んでいるのでありましょう。

 

話は前後しますが、この要求に対して私は南条殿御返事の一節を提示しました。しかしながら彼に上記のごとくの思惑(御書にはその旨は書かれていない。)があることを察していたがゆえ、あえてそれに対する解説はせずに、この一節をもって「本尊所住のところ義の戒壇」の意義が理解できないレベルであるならば、あなたとこれ以上の対論をしても時間の無駄であると告げてそれ以上踏み込むことはしませんでした。

 

ただ、このやり取りをご覧になっていた方々から「この御金言からどうやって義の戒壇」を導くのか話をお伺いしたいとの問い合わせがあり、かつこの「本尊所住のところ義の戒壇」の御法門はそのまま御遺命の戒壇に関する「事と義」の立て分けの基本になりますもので、あらためてこちらのサイトにてその解釈を述べさせていただけたらと思います。

 

なお、総じては不特定多数の閲覧者に書いたものではありますが、別しては巖虎氏に宛てたものであるため、以下より文調が変わりますがご了承ください。

 

 

南条殿御返事

 

まずは私が提示した御金言を確認したい。

 

 

「かゝるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、乃至般涅槃したまふ」云云。此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が、心中の熱気を除愈して充満其願如清涼池とうそぶきしも、彼此異なりといへども、其の意は争でか替はるべき。彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。」

(南条殿御返事 新編 1569)

 

非常に有名な御書の一節であり、特に最後の「彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。」などは法華講員であるならば耳にタコができるほど聞いている御金言である。それだけ馴染みがある御書ではあるが、引用部分の前半部分は「大聖人様は人本尊である説明だろ?」くらいの認識しかない方が殆どであろう。

 

しかしながら、この短い一節には本門の本尊ならびに本門の戒壇の意義がぎっちり詰め込まれている。

 

それを一つ一つ紐解いていきたい。

 

 

本門の本尊

 

「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。」これは説明するまでもなく上行菩薩として付嘱を受けた法体が現在は日蓮が胸中に所持しているということであり、換言するならば「本門の本尊」を所持している日蓮が所住のところは「本門の本尊所住のところ。」ということである。更に日寛上人は「即ち本尊所住の処、是れ義の戒壇なり。」と会通しているが、巖虎氏の要望で日寛上人の指南は受けないとのことなので、これは割愛させて頂き次に移りたい。

 

 

法身の四処

 

「されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。」

 

この赤字で示した箇所は仏様が出世されて踏まれた主要な地(「生まれたところ」「成道の場所」「説法の場所」「入滅の場所」)には塔を建てるべき重要な4か所として古より伝えられており、それに基づき大聖人様は御自身の体の4か所をそれらになぞらえておられるのである。

 

当にこれこそが戒壇という建物は存在せずとも義理は戒壇にあたる…、つまり「義の戒壇」そのものである。

 

既に胸中には本尊が存し、御自身の体の4か所を「塔(戒壇)を建てるべき4か所」であると明言されているのである。話は戻るが、前段の「日蓮が肉団の胸中」を「本尊所住のところ義の戒壇」と日寛上人が解釈された根拠はここに存すると思われる。

 

すなわち「未だ戒壇という建物は無くとも、本尊所住のところは義理において戒壇である。」ということをここまでのお言葉で証明されているのである。

 

 

百六箇抄 御義口伝

 

次に「霊山浄土」との言葉が出てきた。

 

百六箇抄には次のようにある

 

「三十九、脱益の説所と戒壇の本迹 霊山(事戒)は本、天台山(理戒)は迹。」(新編 1691)

 

すなわち釈尊が説かれた虚空会、多宝塔中二仏併座の本門の説所が脱益の戒壇であるということである。

 

また御義口伝には

 

霊山とは御本尊並びに今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者の住処を説くなり。」(新編 1770)

 

とある。これを前提に「かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。」を拝するならば、本尊ならびに大聖人まします処、義において本門の戒壇であり、ここに詣で題目を唱えるところ三大秘法は成就し仏果を得るということであろう。

 

 

神力品

 

 

大聖人は次に神力品を引かれる、

 

「神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、乃至般涅槃したまふ」云云。」

 

 

この「乃至」の部分を省略せずに引用部分全文を拝すると以下のようになる

 

「若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし。所以何。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。」

 

これは題目修行の道場を示す部分であり、この直前には「若しは経巻所住の処」とある。すなわち「本尊所住のところは、そこがたとえどのような場所であっても将来は戒壇を建立すべき地であり、現在は戒壇という建物が無くとも、義理は戒壇に通じる。なぜならば、そこは法身の四処にあたるからだ。」との説明がなされるわけである。

 

つまり法華経においても「本尊所住の処は義の戒壇」ということを大聖人は証明されているのである。

 

 

当体義抄

 

次の「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。」との言葉は法華講員にはなじみが深いものであろう。

 

今でも大石寺の二大法要である御虫払ならびに御大会において執り行われる「御戒壇説法」において御法主上人が必ず発せられるお言葉でもある。ちなみに第56世日応上人の「御戒壇説法」は以下のように活字に残っている。

 

「若し爾らば此の靈場を踏み奉らん輩は無始の罪障忽ちに消滅し三業の悪轉じて三徳を成じ妙法當體の蓮華佛とならんこと少しも疑ひなきことなり。」

 

さて、この「三業の悪転じて三徳を成ぜん」との出どころは当体義抄の有名な一節「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり。」にあることは異論が無かろう。

 

つまり「本尊所持の日蓮大聖人おわします身延に詣で題目を唱えるところ、その地は義理において戒壇であり、ここに三大秘法は欠減なく成就し、その者は妙法当体蓮華の証得による功徳成就の相を現ずる。」ということである。

 

つづく「彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が、心中の熱気を除愈して充満其願如清涼池とうそぶきしも、彼此異なりといへども、其の意は争でか替はるべき。」は説話をもって上記を証明し、「彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。」とは「人本尊たる日蓮が所住する身延は本門の戒壇である。」との仰せであろう。

 

これすなわち「本尊所住の処、義の戒壇」であるとしか解釈のしようがあるまい。

 

まとめ

 

以上確認してきたように、この一節は「本尊所住の処、義の戒壇」を大聖人様自らが仰せになっている御指南以外の何ものでもない。

 

この書を拝しても「本尊所住の処、義の戒壇」に直ちに繋がらないのは、「文」 「義」 「意」の「義」すらも理解していない事の何よりの証拠である。行間を読めとまで難しいことを私は言っているのではない。せめてここに引用された種々の言葉の意味だけでも理解せよと言っているのだ。理解できているのならそれ以降の会話は成り立つ。しかしながら、それすらの素養も持ち合わせていない者に語句の説明からしてやるほどの暇は私には無い。

 

宗門の戒壇義をデタラメと悪言を吐く以上は、この程度の理解はあってほしいものである。

 

なお、巖虎氏が要求してきた「本尊所住が戒壇であるとの証明を御書で行なえ。」との課題はこれにて終了した。次は巖虎氏がこれに対する反論を為すべきである。私が提示した御金言ならびにその会通が大聖人様の真意ではないこと、ならびに「本尊所住のところ義の戒壇とは言えない。」ということを大聖人様の御金言をもって証明されたい。当然のことながら私は法華講員であるが故、大聖人様の御金言のみなどというケチなことは言わぬ。歴代御法主上人の御指南も私を斬り捨てる武器として使用して構わない。

 

これだけハードルを低くしてやったのだから、「すり替え」や「逆ギレ」ならびに「印象操作」などの姑息な手を使用せずに正々堂々と真正面から勝負されたし。

 

 

トチロ~へのメール

コメント

  1. 石山巌虎 より:

    ただいま拝見しました。なかなか深い内容かと思います。今日中に反論を書きたいところですが、はたして可能かどうか、ってところですね。とりあえず、ご挨拶まで。

    • トチロ~ より:

      早速のご丁寧なお返事恐縮でございます。

      反論は数ヵ月先でも数年先でも私の方は一向に構いません。

      「本尊所住の処、義の戒壇」という考え方は、広宣流布以前の大御本尊様おわしますところ「事中の義の戒壇」という正論の根本になるところであるがゆえ、現在法華講に籍を置いている方々にも改めて考えて頂きたいとの思いもこの記事には込めさせて頂きました。

      「宗門の戒壇義はデタラメ」との言葉に憤り、「バカ」だとか「AHO」だとの言葉を漏らしたことはお詫び致します。

      最後になりましたが、「AHO」は、「あんた、ほんまに、おもろいなぁ~」の略であり、誉め言葉と受け取ってもらえたら幸いでございます。(笑)

      • トチロ~ より:

        あらまぁ…、もう更新されていたのですね、イヤ~ンせっかちなんだから。♥

        とりあえず更なるお返事は夜にでもお邪魔してコメント投稿致しましょうね。

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