妙信講正本堂御供養に関する私的考察

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平成21年1月31日

昭和40年5月度総幹部会

今回総本山に於て御法主上人猊下の御思召によりまして、いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になります。戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。この宗門全体の重大な慶事に、妙信講も宗門の一翼として講中の全力を挙げ真心を込めて猊下に御供養をさせて頂く事になりました。

 



実に日蓮正宗の生命は大聖人出世の御本懐であらせられる戒旦の大御本尊様にましますのであります。この大御本尊は大聖人様より日興上人へ御付属せられて以来広布の時を待って歴代の御法主上人によって厳護せられて来たのであります。今までの七百年はひたすら時を待たれて御宝蔵の奥深く秘せられて参りました。唯そのスキマもる光を拝して一部の宿縁深厚なる信者が許されて猊下より内拝を賜っていたのであります。

 



その御本尊様がいよいよ時を得て除々(ママ)に大衆の中に御出ましになる。御宝蔵より奉安殿へ、更に猊下の深い御思召により大客殿の奥深き正本堂へとお出ましになるのであります。その深い意義は凡下の我々のみだりに窺がう所に非ずとはいえ、容易ならぬ事であります。いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を除々(ママ)におあらわしになる。私共はこの猊下の御思召に同心し奉ってたとえ微力たりとも赤誠を奉りたい。先生は千載一遇のお山への御奉公だと申されております。全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか。


(富士昭和四十年七月号八頁)

 




この青字にしてある部分は内拝の表現です。これだけしか浅井会長が言っていないのなら、「もちろん妙信講は、正本堂を、国立戒壇建立までの戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇、すなわち大御宝蔵・大奉安殿の意と理解して、御供養を申しあげんとしたのである。」との浅井会長の発言はウソではなくなります。

 



ただし、現実には赤字にした部分が存在するのです。これでは上記発言は自語相違だと責められても仕方が無いのです。

 



顕正会員の皆さん、この浅井会長の発言と、先日の日達上人の御講義を何回も何回も繰り返して読んでみて下さい。そうすれば私が言っていることがどういうことかがハッキリと分かってくると思います。




 

 

 

平成21年2月6日

、とは言っても…

前項の批判はあくまでもこれは活字の上からにしか過ぎません。

 



他の部分に目を通してみても、結局はこの部分くらいにしか正本堂に特別な意味を持たせる表現は無く、全体を通してみれば戒壇の大御本尊様を御安置する本堂を建てるが故に御供養しなさい。という内容になっております。

 



また、当時の事を知る人達(妙信講員)からは「昭和44年の登山の時に始めて正本堂が御遺命の戒壇と宗内で認識されているのを知るに至った…。」との証言しか出てきません。

 



つまり、「顕正会『試練と忍従』の歴史」に書いてあることはほぼあの通りに推移していたと見ても差し支えないのではないでしょうか。

 



…とするならば“妙信講員が正本堂を御遺命の戒壇と認識しながら御供養をしていた。”というのは的外れな批判にしかならないと思います。正確には“浅井講頭(浅井甚兵衛さん)、浅井本部長(現浅井会長)は正本堂が御遺命の戒壇と宗内で多数が認識していた時期に、その事実を講員には一切説明せずに正本堂御供養趣意書の表現を流用しつつ御供養をつのった。妙信講員は正本堂を奉安殿の延長線上の建物だと信じて御供養した。しかしながら浅井講頭、浅井本部長はそうとはハッキリと断定出来ない状態で御供養をつのってしまった。”と表現するべきだと思います。

 



そして、かなりの虚飾はされているのでしょうが、浅井講頭、浅井本部長の心の内は「顕正会『試練と忍従』の歴史」に書いてある通りだと思います。これは少なくとも複数の講員を預かる講頭職を経験した者であれば容易に察しが付きます。相当に心の中では葛藤が繰り広げられ、その上で選択した道であったはずです。それを細部をつつき揚げ足取りのような批判をすべきではありません。

 



ただし、一つだけ批判するならば、“最初から講員を信じ切って、全てを正直に話し、そして講員の総意をもって行動すべきであった。”と私は思うのです。そうすればまた違った結果が待っていたのかもしれないと…。


 

 

コメント

素晴らしい   巌虎 さん
これは勇気ある発言ですね。感動しました。 (2009年02月06日 21時58分04秒)
 
 
 
 
Re:素晴らしい(02/06)   トチロ~ さん
巌虎さんへ

厳虎さんのブログにもありましたが、お互いにレベルの低い中傷合戦をしていても何も進展はしないと私も感じております。

といいますか、既に私もあの手の中傷にはいささか食傷気味なんです…。(^^;)

認めるところは素直に認め、訂正すべき所は謙虚に訂正する…。そうしなければ決して良い結果には繋がらないと思います。

そういった姿勢を嫌われる方々も多いかとは思いますが、それと同じだけ賛同して下さる方がいらっしゃればそれで本望です。

今後ともよろしくお願い致します。



(2009年02月06日 22時36分38秒)
 

平成21年7月21日

補足説明

あらためて上記文章を読んでみるとかなり話が飛躍していたと思います…。

 

顕正会に身を置いたことのない方、または短期間しか身を置いていない方、そしてある程度の期間身は置いていたが何も問題意識を持っていなかった方々におかれては、私が何を言っているのかチンプンカンプンだったかと思います。

 



ただ、コメント覧に厳虎さんが残して下さったように、“分かる人には分かる。”のだとは思います。ある意味ニッチな世界を対象に書いておりますので、それはそれで良いと個人的には思うのですが、せっかくですから少しばかり補足説明をしてみたいと思います。

 





今回の問題は「正本堂の御供養をしたときに浅井会長は正本堂が御遺命の戒壇と認識して御供養をつのったのかどうなのか。」ということです。

 



現在では「当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。…もちろん妙信講は、正本堂を、国立戒壇建立までの戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇、すなわち大御宝蔵・大奉安殿の意と理解して、御供養を申しあげんとしたのである。」と主張しております。しかしながら、明らかに当時は“正本堂御供養趣意書”や“昭和40年9月12日の院達”に象徴されるような宗内での「正本堂は御遺命の戒壇である。」という一般的な認識が幅をきかせていたのは事実であり、それを浅井会長は知らないはずは無いのです。それの証拠が前々回の日記の赤字部分であり、その表現はまた正本堂御供養趣意書の一部と非常に酷似してもいるのです。ですから、知らなかったとの言い逃れは出来ない…。

 



しかしながら、講員においては別問題なのです。誉められることでは無いのかもしれませんが、当時の妙信講員は外部(妙信講以外の宗内)の風からは遮断されていたというのが事実なのです。つまり外部とは接触させずに純粋培養されていたと…。ゆえに有り難いことに(?)正本堂の意義については外部からの情報が入らずにすんでいたということです。いうなれば無菌状態で御供養を為し、かつ昭和44年の登山まで過ごしてしまった…。

 



ですから、講員を責めても無意味であるということ。そして、焦点は“浅井会長が知っていながら何故御供養に応じたか。”に移ってくるのです。

 


浅井会長の主張を要約すれば、当時の正本堂を御遺命の戒壇とみる風潮は何かの間違いである(猊下の本意では無い)。ゆえに近い将来必ず訂正されるであろうから、本来の意義と思われる広宣流布まで戒壇の大御本尊様をお守りする堂宇として認識し、御供養申しあげる。御仏意で必ず訂正はされると強く信じていた。といったところでしょうか。

 



もちろん、浅井会長は「顕正会『試練と忍従』の歴史」において細かにその時の心情をつづっております。たしかにかなりオーバーに書かれている(と個人的には感じるのですが…)この書籍ですから、反顕正会の立場から見れば「またまた…。」といった気持ちになっては来ますが、これと合わせて「『正本堂』に就き宗務御当局に糺し訴う」を読んでみると鬼気迫るその文字の裏にはやはりその時の心情は透けて見えてくるのです。いくら舌が回りすぎる浅井会長でも、やはりこれは真実であったと感じるものです。

 



ましてや数百人、数千人の講員さんが自分の言葉一つでその後の信心の状態が左右される…。そのような責任を負っている人間が、このような風潮と純粋なる講員さん達との間に板挟みにされ、どうすることが講員さんたちの信心にとって一番被害が少ないか…。徹底的に悩み抜いて出した結論だったと思います。

 



おそらく私でも当時の浅井講頭の立場だったら同じ結論に達したかと思います。

 



何だかんだ言ってもこれだけは同じ立場にならないと理解出来ないと思います。自分が苦痛を受けるよりも講員さんが苦痛を受ける姿を見る方が何倍も辛いのです。自分一人が犠牲になっても講員さん達には一分の罪障も積ませたく無いと考えるのが講頭さんだと思います。当時の浅井講頭、浅井本部長も同じ気持ちだったのではと思うのです。

 



正本堂の誑惑には気付いていた…。しかしながら現時点でそれを講員に知らせれば蜂の巣をつついたような騒ぎになる。退転する者も出てくるかもしれない…。また、御僧侶方に暴言を吐いて罪障を積む講員も出てしまうかもしれない…。少なくとも猊下のお言葉には正本堂を御遺命の戒壇とする明確な表現は無い…。されば必ず猊下が宗内の混乱を収めて下さるに違いないから、それまでは講員には一切を伏せておくのが賢明な選択である…。

 



このような思考だったのではないでしょうか…。

 



一つの講中をとりまとめる役目であったがために並々ならぬ苦悩と葛藤があった…。これが正本堂御供養の頃の浅井講頭、浅井本部長の偽らざる心境であったと私は結論づけるものです。






だから…、








私には正本堂の御供養に講員さんを参加させた浅井講頭、浅井本部長を責めることは出来ません…。







ただし、浅井会長自らが「当時は誑惑が顕著でなかったから参加したのだ。」などという子供だましで言い訳するのはいけないと思います。

 

 

コメント

お久しぶりです   サイトウ さん
先生の心情的な部分の理解は、法華講員には難しいと思っていました。ある種、胸がすく感動も覚えます。
互いの信義信条を守る為の議論に終始していないところが凄いと思います。 (2009年02月13日 23時50分12秒)
 
 
Re:補足説明   犬太郎 さん

現役の顕正会員です。
平成17年の日曜勤行の四信五品抄の講義録を見ていたら阿部管長がニューヨクの9・11テロの跡地で犠牲者の追悼法要を行いたいと米国関係機関に申しでて許可を貰い法要を行ったとあります。
そして法要後、10万ドルを献金し、この行為を立正安国論の実践だと自賛している。
これはもう、頭が狂っていると浅井先生は言っています。
 
これは本当なのでしょうか、また本当だとしてこの行為をどのように考えたらいいでしょうか。
(2009年02月23日 23時31分53秒)
 
 
Re:お久しぶりです(02/12)   トチロ~ さん
サイトウさんへ

ご無沙汰致しております。

私は現在比較的ゆっくりと時間がとれる状況にあるもので、妙信講が破門になる以前からの富士等で当時の講中内の雰囲気から真実を読み取る作業をしております。

すると、結構いろんな事が見えてきまして…。

頷くところもあったり、逆に「この体質が現在の顕正会の悪弊を招いたのかもな…。」なんて妙に納得したり。(^^;)

いずれにしても全てが辻褄があってくることなんです…。

少しずつではありますがのんびり書いていきますので今後ともお付き合い下さいませ。


(2009年02月24日 07時54分15秒)
 
 
 
Re[1]:補足説明(02/12)   トチロ~ さん
犬太郎さんへ

はじめまして。

ニューヨークの件は本当です。実際に法要の模様は大日蓮でも掲載されておりました。

ただ、顕正会で揶揄するような売名行為等では無いと思いますよ。

その点は仏法上からの御法主上人猊下の立場や、また立正安国論の御精神が理解出来ると納得して頂けるかとも思います。

詳しくは日記上で書いてみましょう。


(2009年02月24日 07時58分57秒)
 
 
 
Re:補足説明   犬太郎 さん

トチロ~さん、はじめまして
コメントしていただきありがとうございます。
顕正会の人には聞きづらい事もあります。
これからも教えていただければ有難いです。
(2009年02月24日 13時43分00秒)
 
 
 
Re:補足説明   でんじ さん
僣越ながら、このブログに苦言を呈します
私は顕正会とも創価学会とも縁の無かった法華講員という立場ですが、客観的に過去から現在に至る異流儀団体の歴史と法華講の在り方を見て、さらにはのげい下様の過去から現在に至る御指南を拝した上で、トチロ~さんの御意見には賛同致しかねる部分か多分にあります
何故異流儀に堕した輩の「気持ち」を認めるのでしょうか?しかも公開してまで‥
仏法と感情をごちゃまぜにしているように見受けられます
日蓮正宗の尊極至上の仏法を、我等凡夫の生命と同列に見下げて論じているようにしか見えません
法華講員らしからぬ考え方だとも思います
失礼かとは思いましたが、敢えて書き込みます
(2009年02月25日 21時37分54秒)
 
 
Re[1]:補足説明(02/12)   トチロ~ さん
犬太郎さんへ

以下、資料を貼り付けます。

平成15年7月16日
               日蓮正宗宗務院 

       御法主日顕上人猊下御親修

 《ニューヨーク「同時多発テロ犠牲者追悼法要」厳修》

 現地時間7月15日午後1時40分(日本時間7月16日午前2時40分)より、御法主日顕上人猊下御親修のもと、ニューヨーク市マンハッタンの世界貿易センタービル大惨事の現場(グラウンド・ゼ
ロ)において、同時多発テロ犠牲者追悼法要が執り行われ、犠牲になられた一切の諸精霊に対し、改めてご冥福をお祈りする追善の回向が修せられました。
 また、この席上、港湾局世界貿易センター惨事遺族基金に対し10万ドルの献金も行われました。
 日蓮正宗は、すべての犠牲者のご遺族が力強く生きられ、あらゆる災いを幸いへと転換されるとともに、世界の平和が達成されることを強く願うものです。
 この法要は、本年初顕より関係各機関に諮り、『立正安国輪』上呈の日に当たる7月16日の本日、御法主上人猊下大導師のもと、執り行われたものです。このことは真の世界平和の方途が説かれる『立正安国論』の正義顕揚の上からまことに意義深いことであり、御仏智のしからしむるところと拝するものであります。
 宗内僧俗各位には、いよいよ御法主上人猊下の御指南を体し、平成21年の地涌の友の倍増乃至それ以上の輩出を目指し、なお一層精進されるよう念願いたします。               以 上

(大日蓮平成15年8月号18ページ) (2009年05月22日 17時56分41秒)
 
 
Re[1]:補足説明(02/12)   トチロ~ さん
犬太郎さんへ

もう一つです。

 御法主日顕上人猊下お言葉
     同時多発テロ犠牲者追悼法要
           前夜懇談会の砌
                            二〇〇三年七月十四日
                            於 ニューヨーク市

 明日の同時多発テロ犠牲者追悼法要に当たり、各方面より多くの方がここにおいでになりまして、まことに御苦労さまでございます。
 また、今回のこの法要準備に際しまして、種々、関係の方々にも大変お世話になりまして有り難うございました。
 日蓮大聖人様の正法正義により、その大功徳をもって世界一切の人々の現在および未来の真の幸福、成仏のために仏法を行じ布教しておるところの日蓮正宗といたしまして、このたびの同時多発テロについての追悼法要を現地において行うということは、本当に深い意義のあることと思うのであります。
 この法要を一つの元として、我々はさらに日本乃至、世界の人に向かって、正法の功徳を増進し、真の平和の道を伝えていくことに努力していきたいと思うものであります。
 また、特にアメリカ合衆国在住のそれぞれの住職、教師の方々にも、このたびのことにつきまして大変お世話になりました。
 またさらに、この行事を色々と企画し推し進めていただいた宗務院その他の人々も、色々御苦労さまでした。
 明日の法要を心を込めて執行し、これからの世界平和のための大事な展開としたいと思うものであります。どうぞよろしくお願いいたします。

(大日蓮平成15年8月号60~61ページ) (2009年05月22日 18時01分52秒)
 
 
 
犬太郎さんへ   トチロ~ さん
お返事が大変遅くなり申し訳ありませんでした。何かと書けない事情がありまして…、どうぞお察しください。

ところで、以上2点に関しては当時の資料として確認出来ました。ただ、「意義」という点に関してはハッキリとしたことは私には断言するまでには至りません。

今度お寺にお伺いした折りにでも御住職様に質問してみます。その上でお返事が出来ればと考えております。

その上で、現時点における私の個人的な感想と致しましては、やはりこの7月16日にあえて執り行われたところに何かしら意義深いものがあるように感じます。

やはり正法を立てるところに国の安穏があるわけであり、テロ組織の被害に遭ってしまった悲しい現実の根本原因はこの一点にあることを、あえて7月16日に法要を行うことにより米国内部…、引いては全世界に向けて訴えかけたものではないかと私には感じます。

献金に関してはこのアメリカの件だけが特別なのでは無く、先般の新潟の地震に於いても御宗門として寄付がされております。これは人道的な面であり、決して非難されるような行為では無いかと個人的には思います。

現在の顕正会に於いては何でもかんでも御宗門のやることは批判の対象になっておりますが、一つ一つの事実を検証し、その上で何が正しいのかを御自身の頭で冷静に考えていけば必ずやご理解頂けるものと信じております。

機会がありましたらお茶でも飲みながらユックリお話ししてみたいですね。(^^)



(2009年05月22日 18時19分58秒)
 
 
 
Re[1]:補足説明(02/12)   トチロ~ さん
でんじさんへ

ご忠告有り難うございます。

ただ私としては日蓮正宗関係者と論争する気は毛頭ございません。パソコンからでしたらメッセージ覧を使用して表に出ない形で私に助言を頂ける方法も取れるようになっております。是非とも今後はそのような形でお願い出来たら嬉しく思うものです。

折角ですから、とりあえず今回のでんじさんへのお返事だけ申し述べておきます。

(つづく)


(2009年05月22日 18時29分54秒)
 
 
でんじさんへのお返事   トチロ~ さん
私は恥ずかしながら“でんじさん”ほどものを知りません。

ただ、バカな私ですからごくごく単純に以下の2点だけを根本にしてそこから外れないように言動を為しているつもりです。

1.仏様の願いは一切衆生の救済である。

2.不軽菩薩の如く振る舞うべきである。

1に関してはどんなに頑迷な顕正会員と雖も救済する対象であります。木っ端微塵に論破するのは猿でもできます。しかしながら、それで終わりではその者を今生において救済は出来ません。毒鼓の縁は存じております。しかしながら今生において救いきる方が何倍も優れていると私は思います。ゆえに最後の最後までは諦めずに相手の気持ちを理解した上で説得に努めるよう努力しているつもりです。

2に関しては、私はどんなに皆が見捨てるような相手でも必ず仏性はあるのであり、それが開かないということは無いと確信しております。それゆえに徹底的に相手の仏性を信じて頭を下げて言葉を述べつづけているのです。力で相手をねじ伏せれば確かに相手は黙ります。しかしながら帰依することは絶対にあり得ません。相手が心を開きこちらの話を真剣に聞くことによって帰依に至るのだと思います。ですから、相手が理解出来る目線に立って話をすることが何よりも大事だと考えているのです。

最後になりましたが、私が浅井氏を認めている部分は彼らが正式に法華講員だった時分であり、また破門理由の直接的原因になったところではありません。

現在が謗法の立場だからといって、それ以前の全ての言動を否定するのは早計過ぎることであり、この論法を持ってすれば「元妙信講問題について」も顕正会批判の根拠として引用出来なくなるのです。

そういった点までも計算に入れて発言をしなければ、少しばかり頭の切れる顕正会員にはバッサリ斬って捨てられると私は思います。

初心の馬鹿者の戯言でした。


(2009年05月22日 18時56分58秒)
 
 
Re:補足説明   犬太郎 さん
トチロ~さん
 
お返事が遅くなりすみません。
 
実は、私は顕正会を辞めました。
トチロ~さんの教化子の方のご紹介でトチロ~さんがかつて所属されていたお寺にいます。
 
わざわざお調べいただきありがとうございます。
 
あの法要が世界平和、広宣流布に繋がるのならよい事だと思います。
今はまだ理解出来なくても顕正会の感覚が抜け理解できるようになるのかもしれません。
組織は別になってしまったものの顕正会の間違いに気付かせていただけたのもトチロ~さんをはじめ多くの元顕正会員の法華講の方のブログのおかげです。ありがとうございます。
(2009年08月22日 17時31分25秒)
 
 
 
Re[1]:補足説明(02/12)   トチロ~ さん
犬太郎さんへ

あらまぁ!

それはそれは、おめでとうございます。(^^;)


既にご存じかもしれませんが、私の現在の所属寺院も同じ布教区ですので、今後も何かのおりにお会いするかもしれませんね。

時期が来て、気軽にお話し出来るようになったら、私の顔を知っている方に尋ねてお声をかけてください。

しかし、本当に良かったです。

六年後の御命題に向けてお互いに頑張って行きましょう。

(2009年08月22日 21時40分52秒)
 
 
 
 
 

おまけ

今回は相当の御批判を頂きそうなので、事前に私の気持ちを代弁した曲をおまけで掲載しておきます。

 

 

 

なんとアンジェラ アキさんが歌っているHonestyを見つけてしまった…。こちらの和訳も素敵です。

 

 

 

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