問題の顕正会活動報告について

御生骨について

それでは一つずつ検証してまいりたいのですが、ここで取り上げられている寺院への裏どり、ならびに御生骨に関しての御宗門の公式見解に関しての確認は現在のところしておりません。ゆえにこれから述べることはあくまでも私一個人の見解でございます。

 

問題の活動報告

 

先の記事で紹介したように昭衞さんは以下のように発言いたしました。

 

坊主の不信心

 

六月の総幹部会で、宗門末寺の一住職の、何とも呆れた言動が報告されましたね。

広宣流布・国立戒壇も信じない、御生骨も信じられないという坊主。これはもう信心がないのです。

だから大聖人様の御命に繋がってない。大聖人様から見れば、彼らは赤の他人なんです。こういうのは成仏できない。

いま顕正会員は血の通った仏弟子であるから、「御生骨」の大事を聞いて直ちに「大聖人様は生きてまします」と大歓喜し、語り合い、それを他人にも教えている。

 

この昭衞さんが御僧侶を誹謗中傷する原因となった六月度総幹部会での活動報告は山門入り口さんが既に内容をアップされています。

 

これを見ると、上記赤字の根拠は以下の登壇部分になります。

 

広宣流布・御遺命の戒壇を信じない?

 

 

さらに「大聖人様の御遺命は広宣流布・国立戒壇建立ですよね」と大確信で詰め寄りました。

すると住職は鼻で笑い「それはできないでしょ」と耳を疑うような発言をしたのです。

まさに先生の「大聖人様への忠誠心がなくなれば、広宣流布など、夢にも思わなくなる」との仰せそのままであり、総班長白身、呆れ果てる思いでした。

 

 

顕正会員さんは、この御住職様が広宣流布や、その後の御遺命の戒壇建立自体を「それはできない」と言っているように感じたかもしれませんが、これは全く違いますね。

 

以前、日達上人は「日蓮正宗の教義でないものが日本中に広まろうとも、それは広宣流布とは言わない。」(趣意)と申されましたが、まさにこれなんですよね。

 

顕正会の主張する邪義が日本中に広まろうとも、それは広宣流布ではない。いくら君たち顕正会員が頑張って6000万になろうとも、そののちに日本中を覆い尽くすように顕正会員だらけになっても(そんなことはあり得ませんが…。)、それは広宣流布ではありませんし、それをもって御遺命の戒壇を建立するなんてこともまた出来ないのです。仮にすべての手続きを踏んで御遺命の戒壇らしき器を作って御宗門に御供養しても、

 

猊下様は決してそれを受け取りはしないことでしょう。

 

謗法の供養は受け取らないのが日蓮正宗ですから…。

 

つまり、広宣流布を目指すのも、御遺命の戒壇を目指すのも、一番最初にすべきことはあなた方顕正会員の皆さんが自身の過去の過ちを反省懺悔し、日蓮正宗の信徒としての地位を回復してからのことであり、現在のような日蓮正宗とは縁もゆかりもない…、ましてや謗法者の烙印を押されたままでは何をしようとも全く無益なのです。

 

このような大前提があってこその

 

「それはできないでしょ。」

 

なんですね。つまり、「私たち日蓮正宗が将来に於いて広宣流布、御遺命の戒壇建立を実現することは疑いないが、あなた方顕正会がそれを為すなんてことは、それはできないでしょ。

 

なんですよね。顕正会の皆さん御理解いただけましたか?それをこの登壇者である区長さんはあさっての方向へと問題をすり替えて批判し、浅井さんはその尻馬に乗っかって更に誹謗中傷をエスカレートさせているわけです。

 

御生骨も信じられない?

 

次に青字の部分に関しては以下のように登壇者は発表しております。山門入り口さんブログ参照

 

 総班長はさらなる情熱で、大聖人様がお遺し下された「御生骨」は歴代貫首上人の御手から御手へと受け継がれ、広宣流布の時には光を放ち給う、と御生骨の 重大事を伝えると、住職は何と「何回も見ていますよ」と軽々しく述べた上で「そんなことを本当に信じているのか?」と御生骨が光を放つことを完全否定する衝撃の言葉を返してきたのです。

 

そして先生が日淳上人が御登座の折、目の当りに御生骨を拝観しておられたことも「有り得ない」とばかりに、住職夫妻は顔を見合わせ高笑いしたのです。

 

この信心のかけらもない住職の姿には、言葉を失い「国立戒壇建立の御遺命を捨てて平然としている禿人たちに、御生骨の重大さがわかるはずもない」との先生の仰せが胸に迫っては、「雖近而不見」の輩の実態に、何とも言えない悲しみと憤りが込み上げました。

 

これもまた悪意をかんじますね…。

 

おそらくこれはこの寺院を訪れた総班長さんたちが余計なことまで言ったからなのではないでしょうか…。

 

先々月になってしまいますが私は現役の顕正会員さんと御生骨のお話をしました。その時の模様は以下のようなものでした。

 

「最近の顕正会では御生骨がブームみたいだけど、御生骨のどこにそんなに惹かれるの?」

 

「えぇ~?だって凄くないですか?生きているんですよ!」

 

「……。」

 

「広宣流布したら光るんですよ。宗門では凄いって思わないんですか?」

 

「伝承は伝承として謹んで拝してますし、広宣流布まで仮に生きていられるならば、私も見てみたいとは思いますよ。けど、それ以上でもなければそれ以下でもないというのが本音です。」

 

「広宣流布はあと数年で出来ますから!」

 

「………。」(・・;)

 

まさに電波ちゃんと会話しているようでした。

 

少なくとも私は元顕正会員として、彼女たちがどのような指導を内部でされているのか、そして最近の浅井さんの発言がどのようなものであるかは熟知しておりますので、彼女たちを気の毒に思うことはあったにしても、この返答自体にさして驚くことでもなかったのではありますが、これが普段顕正会員との接点のない御僧侶であったならば…、

 

「そんなことを本当に信じているのか?」

 

と思わず口にしてしまっても当然でありましょう。つまり、ここでの「本当に信じているの?」というのは、200万がなれば即広宣流布が達成できるかのような顕正会員特有の思考回路に対してのものであり、御生骨を信じていないというものではありません。

 

以下は浅井さんが内拝を受けたとされているときの御隠尊日昇上人の御生骨説法です。

 

御生骨説法

(前略)

夫れに付、後継ぎの事を種々考慮しましたが幸に宗門一同の賛成を得まして目淳上人を後継者と定めることが出来ました。依て去る三月三十日血脈相承を伝ヘー切残ることなく譲り渡しました次第であります。

 

茲に此御虫払会に於て大石寺什宝の一切を改めて点検して其の相違なきを確めて引き渡すもので有ます。

 

御本尊、御灰骨、最初仏御影、御書、御消息、歴代御本尊等は先に既に御承知の通りであります。

 

唯今此に大聖人の御生骨の御歯を開封申上げ授与致すことに相成りました。就きましては先例もありますし此の機会に深信なる皆様方の内拝を許すことに致しました。どうか清浄なる信念に住して御内拝あらんことをお願ひ致します。

 

抑も此の御生骨は大聖入御在世中五十餘歳の頃御歯を御抜き遊ばされ、傍に給仕し給ふ日日上人へ御授け遊ばされ「我が仏法は最勝深泌の大法にして釈尊が法華経に予証證せられし末法適時の正法なり故に鳩般陀等其便を得せしめず必ず遠く妙道に霑はしめむと説かれし所にして、此の正法万年の闇を照すこと必定にして一天四海廣宣流布疑ひなし」と仰せ給ひ、吾が説く所は正法にして、一天広布疑ひなしとして其證明にせよと仰せ給ふと傅へる我が家の秘宝で有りまして六百余年燦として輝き給ふ御生骨であります。

(中略)

 

能く能く此の事を心において虔んで拝せらる様お願ひ申上げます。

 

(大日連 昭和31年5月号16ページ)

 

 

 

 

これを拝読しても分かるように御生骨内拝の前には、「清浄なる信をもって拝せよ。」と念をおされている訳であって、少なくとも日蓮正宗の御僧侶であるならば、御生骨のことを軽々しくとらえることはありえない話なんですね。

 

そのような背景を考慮に入れたうえで、次に「光るのか?」という事についてみていきましょう。

 

御生骨は広宣流布の時、本当に光るのか?

 

さて、この区長さん曰く「御生骨が光を放つことを完全否定する衝撃の言葉を返してきた」とのことですが、むしろ御生骨が広宣流布時に光るという根拠はどこにあるのか?ということを考えたことはあるのでしょうか?

 

上記の御生骨説法にも実はそのことには一切触れられておりません。

 

これは日昇上人だけではなく、日達上人の時にも述べられていません。

 

私が唯一活字として確認できたのは富士門家中見聞(家中抄)の中の一節だけでした。

 

此の故に伊勢法印と問答したもう時も一両句にて閉口致させられたるも此の相伝の故なり。其の頃御牙歯脱け落つ、聖人此の歯を以つて日目に授けて曰わく、我に似り問答能くせよとてたまわりける御肉付きの御歯と申すは是なり 此の御歯当山霊宝随一なり広宣流布の日は光を放ちたもうべしと云えり

(日蓮正宗聖典 653ページ)

 

この聖典は日昇上人の代に発刊されたものでありますが、そこに上記のように記述されているにも関わらず、御生骨説法に於いては日昇上人は一言も光るとは仰せになっていない…。ここに深く心静めて考えなければならない事由が存在すると思うのです。

 

つまり、広宣流布時に光を放つという話は伝承としては確かにあるけれども、それを前面に出すか否かということは慎重に考えなければならぬということでありましょう。

 

浅井さんが引用していた御宝蔵説法の日琫上人は第37世、上記家中抄の日精上人は第17世であります。つまり、この間の20代の期間は少なくとも御生骨は広宣流布の時に光るということを表に出していたと思われます。しかしながら、第64世の日昇上人はそうはお述べになられなかった…。

 

これはいかに…?

 

皆様も耳にしたことはあるかもしれませんが、大石寺の歴史の中では要法寺等の教義が入ってきた時期もあります。それらを後世検証した上で、純粋に大石寺の教義としてはどうなのか?といった観点から常に研究はされていると思うのですね。

 

御生骨に関しても同様ではないかと私は思うのです。ようは、近年においては純粋に大石寺に伝えられている部分のみを表にされているのではないでしょうか。そして日昇上人も特にその件には触れられなかったのではないかと…。この時期には当時学会の会長であった戸田さんからも嘆願書が提出されていますが、最終的にそれは受け入れられなかった。それはこういった点にも理由があるのではないかと私は推察いたします。

 

まぁ、このような背景が大石寺には存在するのだよということです。しかし、それを浅井さんは「光るんだ!光るんだ!光るのを信じれない奴は信心がないんだ!!!!」と吠えまくっているわけです。

 

顕正会の皆さんどうですか?こうやって一つずつ検証していきますと、浅井さんの姿勢って相当にずれまくっていませんか?

 

活動報告の信ぴょう性

 

それでは最後になってしまいましたが、この活動報告がいかに信ぴょう性に乏しいものかを考えてみたいと思います。

 

この登壇をアップされた山門入り口さんも申されていましたが、「何故このお寺に行った総班長自身が登壇しないのだ?」との疑問を私も抱きましたが、それを裏付けるような話が元隊長さんであるSOPHさんのブログにてありました。

 

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これらを読むと、いかに登壇の原稿を集める(作成する)のに幹部は苦労しているのかということと、実際には上がってきた原稿を聞くに堪えるものにするために相当に上の方で手が加えられていること、そして、上がってきた報告を元に実際には現場に行っていない人間が書いたのだから、そこは事実と微妙にずれたことがもっともらしく発表されてしまうということに気づかされました。

 

この区長さんも悪気はないのでしょうが、そういったことだったのではないでしょうか。総班長さんからの報告を受け、その断片的に聞いた内容を元にして原稿を作成したが故、このような悪意のある文章になってしまったのではないかと強く感じるものです。

 

最後に上記のSOPHさんの記事に非常に興味深い一節がありました。

 

「在京の第五部はどうしてもネタがなかったら
政治家の所とか学会の所とかに行って、
話題作りの為に狙って行ってるらしいよ」

「そういうやり方もあるんだよ」

なる裏技的な旨も言ってましたね。。

 

まぁ、そういう事なのかもしれませんね。

日蓮正宗に改宗する気持ちが微塵もなく、それでいて破折しきれる自信もないのにわざわざ日蓮正宗寺院に乗り込んでくる…。その心は…、

 

 

「ネタを作るため」

 

そういうことだったのですね…。

 

 

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昭和30年代当時の紙を再現するところまでは、さすがの浅井さんでも不可能だったのです。

 

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