戒壇論の乱れは顕正会を利する

戒壇論

本日、とある法華講員さんのTwitterでの発言に意見を申し上げたら険悪な雰囲気になってしまいました。

その後なんやかんやとおっしゃられていましたが、最初の引用リツイートの発言を見れば、この方は「御遺命とは一閻浮提広宣流布のみである。」と認識されていた風にしか読めないのですが?????

もしそうならばこれは完全なる過ちですし、その後の彼の発言のように「唯一」という一言が問題だとするならば、そうハッキリと相手方に申し伝えれば良いだけのはずです。

いずれにしても戒壇論の乱れは浅井顕正会を利することになり、非常に大問題でありますので少しこの件に関して思う所を述べてみたく思います。

顕正会の主張する「御遺命破壊」とは

そもそも顕正会の主張する「御遺命破壊」なんぞ単純明快なのです。

「大聖人の御意は個人の成仏のみに留まらず、国家スケールでの浄土化を図るものであり、政治と信仰を一本化するのがその条件で、それが為されたならば事の戒壇を建立すべし。この事の戒壇建立の御遺命は国家スケールでの成仏を期するが故である。」というのが大前提に存在し、この国家スケールでの成仏の方途を無き物にすることが「御遺命破壊」だと主張しているにすぎません。

要はこの国家スケールの成仏の方途たる御遺命の戒壇建立という法義が日蓮正宗内に未だ厳然として生きているのか、それとも既に死に失せているのかが問題なのです。

さて冒頭の法華講員さんの発言はどうでしょうか?

個人の成仏のみにしか着目していないのではありませんでしょうか。いくらもっともらしいことを述べてみても、これでは「御遺命破壊」との謗りを受けても文句は言えますまい。

日達上人の御指南は服用方法を述べたもの

ここで問題になってくるのは昭和45年5月の日達上人の「国立戒壇という語の不使用」という御指南ですが、これはあくまでも「国立戒壇」という言葉を今後使用しないということにすぎません。個人的には「御遺命の戒壇の法義を前面に押し出しての布教もしない。」との意もまた含んでいるかと思いますが、このような御指南を御法主上人が為されることは特段おかしいことではありません。大聖人様の遺された薬に手を加えてしまうことは許されがたいことですが、時代に鑑みその薬の服用方法を決定されるのは時の御法主上人の専権事項です。

つまり「御遺命の戒壇」の意義が日蓮正宗僧俗の中に脈々と受け継がれているならば、積極的に表に出さなくてもそれは「御遺命破壊」とはならないのです。

 

しかしながら、その意義が消え失せてしまう…。若しくは別の物へと変質してしまっているならば、それは「御遺命破壊」との謗りを受けても仕方がないことになってしまいます。はたして現在の日蓮正宗内部はどうでしょうか?

 

それぞれが胸に手を当てて考えて頂きたく思います。

顕正会員を折伏するのは結構ですが…

少し前までは顕正会員を折伏するのは元顕正会員の法華講員だけでした。それが現在は多くの学会出身者や法華講しか経験の無い方が顕正会員の折伏に乗り出しているようですね。それはそれで大変に結構なことなのですが、教学の無い白痴顕正会員の折伏は出来ても多少なりとも教学をかじった顕正会員に相対するときはハンパな知識をひけらかすと足元をすくわれます。

 

それも御自身だけが逆襲を受けるのなら別に文句は言いませんが、「これが正宗の公式見解なんだな?」と全く無関係の私どもまでが被害にあうのです。

 

これをやられちゃうと本当に迷惑なんです。

 

折伏をするなとは言いません。ただ個人的見解は個人的見解だとちゃんと前置きして物を言ってほしいと思います。

 

それと法を下げるような行為は厳に慎むべきです。学会員がコロナで亡くなっても、そっとしておくのが人の道ではないでしょうか?なんでSNSで言及する必要があるのでしょう。奥さんは幼い子供を抱えて途方に暮れていると思います。ご縁のある方がリアルで折伏すれば良いだけです。何で部外者がどうのこうのと批評する権利があるのでしょうか?

 

もし私が学会員や顕正会員でしたら、こんなことをする信徒がいる日蓮正宗を信仰したいとは到底思えないでしょうね。

 

念のために言っておきますが、私はアンチではありません。正真正銘の日蓮正宗寺院でそれなりの任を負っている者です。あまりにも嘆かわしい姿を垣間見る昨今でありましたので敢えて一言申し述べさせて頂きました。

 

 

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