第33回 創価学会本部総会での御講演

御遺命の戒壇に関するご指南(資料)

先般の総幹部会において顕正会教学部のボスが登壇したらしい…。

 

遅ればせながら顕正新聞にて内容を確認したのだが、いやはや酷いものである…。

 

私が心配していたのはまさにこのことだったのだ。この男が真っ先に提示した文証とは全く愚にもつかない代物である。

 

一番目の大白蓮華昭和43年1月号のお言葉は昭和45年4月以前のものであるから、それがどのよう内容であっても痛痒は感じない。詳しくは以下の記事。

 

https://kenshokai-hashaku.com/before-syowa45-4-6/

 

次に2番目の文証はこの男の提示した箇所のみを拝読すると誤解を生じるかもしれぬが、前後の文も含めて全文を通して拝読するならば、日達上人は正本堂を「法体に約して事の戒壇」と仰せになっているのは明らかであり、これが御遺命の破壊に繋がるものではない。

 

そもそも本気で顕正会の正しさを論議するべく寺院を訪問したのならば、このようにすぐさま切り捨てられるような文証を出してくるわけは無いのである。

 

ようは私が以前に注意を喚起したように彼らの目的は

 

不用意な発言を誘引し、日達上人や御隠尊猊下の御指南との相違点をつつき、それを顕正会内部での班長会や総幹部会でのネタにし、全国に新聞記事として大量配布することにあるわけです。

 

https://kenshokai-hashaku.com/kensyomamin/

 

 

宗内の御僧侶方におかれては今一度彼らの悪質さを認識していただいて、それ相応の準備をしていただけたらと願うものです。

 

取り急ぎ、今回ネタにされた第33回学会本部総会における日達上人のお言葉を紹介しておきます。

 

なお、今回顕正会教学部が提示してきた箇所は赤字にしておきました。(既にこの時点で切り文もいいとこなんですが…。)

 

第33回 創価学会本部総会での御講演

 

 

本日、ここに池田会長の就任十周年を迎え、創価学会第三十三回本部総会が盛大に開かれまして、おめでとうございます。

 

昭和三十五年の本日、この場所で、池田大作先生が創価学会第三代会長に就任せられてからの十年間に、わが日蓮正宗に尽くされた功績は非常に大なるものであります。

 

今、ここで私が、わが宗の概況を数字をもってあげてみますと、今よりちょうど六百八十年の昔、正応三年十月十二日、大石寺が建立せられましたその当時、南条時光殿が御供養なされました土地、大石が原は、東西約五百メートル、南北約二キロにわたる広大なものであったといわれています。

 

その後、時代の変遷により、寺領に消長がありましたけれども、昭和二十年、終戦当時の大石寺の所有地は、境内地を含めて三十一万八千余坪でありました。

 

ところが農地解放により、そのうち二十六万六千余坪を解放いたしました。解放地の大きいことは、全国の各宗寺院を通じて最高でございました。解放後、残った土地は境内地を含めてわずか五万一千余坪となったのであります。

 

そして、日昇上人、日淳上人の時、十一万五千余坪を購入して十六万六千坪となったのでありますが、昭和三十五年以降の十年間に、池田会長より百万二千余坪の御供養があり、今では所有地総計百十七万余坪となっております。終戦当時からみると三倍の広さになっているのでございます。

 

また、寺院数においては、昭和三十五年以前には百九十九か寺でありました。現在では三百三十二か寺となっており、池田会長御供養による寺院は百三十三か寺でございます。

 

僧侶総数は、昭和三十五年当時は三百三十人でしたが、現在は九百人。したがって五百七十人の増であります。

 

正宗の信徒総数は八百万世帯になんなんとするといわれております。かくのごとく、池田会長が就任されてから十年間の間のご努力は、わが正宗の広宣流布達成に非常に意義深いものがあると存じています。

 

わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し」(御書全集二四五頁)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。

 

日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。

 

明治時代には「国立戒壇」という名称が一般的には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります。

 

今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。

 

創価学会においても、かつて「国立戒壇」という名称を使ったことがありましたが、創価学会は、日蓮正宗の信徒の集まりでありますから、わが宗で使用した名称なるゆえに、その「国立」なる名称を使用したにすぎないと思うのでございます。

 

今日、世間の人々が「国立」という名称を、学会がかつて使用したことについて非難するのは、あたらないと思います。

 

われわれは、ただ日蓮大聖人の仏法を広宣流布するにあるのであります。そして、大聖人の仏法を信じた人々は、本門戒壇の大御本尊を、わが総本山大石寺において拝し奉り、即座に即身成仏の本懐を遂げることが最も大切であります。

 

その本門の大御本尊は「日蓮が所行は霊鷲山の禀承(ぼんじょう)に芥爾(けに)計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(御書全集一〇二三頁)と仰せられる大聖人の一身のご当体でありますから、本門戒壇の大御本尊安置のところは、すなわち、事の戒壇であります。

 

今まさに、わが大石寺に正本堂が建立中であります。この正本堂が完成すれば、今、奉安殿に安置し奉る本門戒壇の大御本尊は、正本堂にご遷座申すのでありますから、その時は正本堂は本門事の戒壇であります。

 

その正本堂は、池田会長の発願と、全信徒八百万の純信なる日蓮正宗の信徒の浄財による、いわば八百万民衆の建立であります。

 

「八百万」という数は、実に奇しき数であります。「八百万」とは、昔の日本古来の読み方によりますと「やおよらず」であります。「やおよらず」とは「無数」を意味するのであります。

 

今、わらわれ人間は、十界互具、一念三千の法門からすれば、一面、天界の神々であるともいえるし、また、仏界の仏でもあるといえるのであります。八百万民衆の建立による正本堂は、それ故、古来の読み方に使えば「やおよろず」の神々、諸天善神の建立ともいえるし、また、十方三世の無数の仏の建立ともいえるのであります。

 

まことに、正本堂こそ、意義深い建物であると信ずるのでございます。

 

されば、わが日蓮正宗の信徒は、御相伝による「此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山なり、事の寂光土にして若し是の霊場に一度も(もう)でん人は無始の罪障速やかに消滅す」との御金言を深く信じなければならないのであります。

 

今日、世間の多くの人々は、日蓮正宗の教義の本質を見極めず、また、創価学会の信心のあり方を曲解し、種々の非難を会長池田先生の一身に浴びせております。

 

池田先生がこれらのいわれなき非難にひたすら耐えておる姿を見る時、私は仏道修行のためとはいいながら、実に気の毒でなりません。

 

学会の皆さん、一致団結して、この会長を守り、更にきたるべき十年に向かって前進し、広宣流布の大願を成ぜんことにご精進願いたいのであります。このようにお願いして、本日の私のあいさつといたします。

 

 

 

 

昭和四十五年五月三日 於 日大講堂

 

 

https://kenshokai-hashaku.com/mail/

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