先日手塚治虫さんの「ブッダ」を読み返しました。
なにも「仏法とは何ぞや?」ということを学ぶためではなく、単なる娯楽としてですが…。
ただ、そこで痛烈に感じたのは、
「人間って何千年経っても変わらないんですね…。」
ということでした…。
周囲の生活環境は時代を経るにつれて便利で快適なものへと変化はしておりますが、
人間が抱える苦悩というのは何千年経ってもちっとも無くならない…。
そこに凄く興味を引かれたわけです。
心と体はみな平等なんだよね
世の中を見渡すと「この世は不平等だな…。」と感じることが多々あります。
そもそもお金持ちの家に生れ落ちるか、それとも貧乏な家に生れ落ちるかでその後の人生は大きく変わってしまいますから…。
昔から言われていることですが、東大生の家庭の年収と早稲田慶応の学生の家庭の年収を比較すると東大生の家庭の方が高いという結果だそうです。
つまり、どれだけ教育にお金をかけることが出来たかどうかがその後の結果を左右しているということですよね…。もちろん、その逆境を努力で跳ね飛ばす人もいらっしゃるのでしょうが、大多数の人達は置かれた環境に準じた結果に身を置くことになっていると思うのですね。
一流大学の後は恵まれた勤め先へ…、そして経済的には何の憂いも無く家庭を築いて老後を迎えていく…。
それがお金持ちの家に生れ落ちた人の一般的な姿ではないでしょうか?
一方で貧乏な家庭に生まれてしまった者たちは…。
これに関しては書くのをやめましょう…。書けば書くほど「くら~くなってしまいます。」から…。みなさんの今までの人生経験で色々と想像してみて下さい。
まぁ、けっきょく「この世は不平等!」というのが嘘偽りの無い真実の姿なんですよね。
ただですね、このお金には恵まれているはずの人達と私達パンピーとで唯一平等なものがあるんです…。
何か分かります?
そうです、「からだ」だけは金があろうと無かろうと皆さんそう大差無い物しか持っていないんですよね。だからお金持ちであってもそれ相応の年齢になれば「あっちが痛い。」だの「こっちが痛い。」だの病気の苦しみを味わうわけですよ。そして80~90年も生きれば自然と心臓が動くのを止めてしまうのですよね。
そしてもう一つ平等なのが「心」なんですね。
「心」だけはお金があろうと無かろうと皆さんそう変わらぬものを持って生まれてくるものです。そして、この「心」はいくらお金をかけても立派にはならない…。文化が進歩して生活環境が素晴らしいものになっても「心」もそれに比例して素晴らしいものへと変化は出来ない…。
それが冒頭の「『ブッダ』の時代から何千年経っても人間って成長しないのね…。」という感想に至った理由なんですよね。
幸も不幸も「心」から発している
心って不思議なものでしてね、その人の価値観や感情によって人間は行動を起こすのですよね。そして動けば必ずそれに対する反応が周りから起こってくる…。
その積み重ねで今の自分が置かれている環境が形作られてくるわけです。
その環境が自分に喜びを与えるものであれば人は「幸せ」を感じ、逆に「恐怖」や「苦しみ」を与えるものであるならば人は「不幸」と感じるのですよね。
つまり、幸も不幸も「自分の心が生み出しているもの。」なんですよ。
そこまで気づけばあとは簡単ですね、
自分の心を上手くコントロール出来れば幸も不幸もコントロールできるということです。
しかし、心を自由自在にコントロールするのはなかなか難しいことなんですよね。
その方法論を説かれたのが仏様であり、私たちが学んでいる仏法というのは実はそう云う事なんです。
戒壇がどうのこうの、御遺命破壊がどうのこうのは枝葉末節なんです。
そこで足踏みしている以上は顕正会の皆様の成仏は願うべくもない…。
そのことに気づいてもらいたいものです。
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