顕正会の方も良くご存じだと思いますが、大聖人様が竜の口の法難にあわれた際の光り物はまさに諸天が法華経の行者を守護せんとした不可思議な現証でした。
大聖人様は御本仏であられますから当然と言えば当然のことなのかもしれませんが、この不可思議な現証を私達凡夫も経験することは出来るのです。
実際に私も経験しました。
話すと非常に長くなりますからそれらは別の機会に譲るとして…、この経験を通して諸天が動く条件は少なくとも二つあることを私は理解しました。その二つとは…、
一心欲見仏 不自惜身命
まず一つ目は「一心欲見仏 不自惜身命」ですね。
顕正会の皆さんも毎日読んでいる寿量品の中にある一節ですが、顕正会流に噛み
砕いて説明すれば、「成仏するために捨て身の御奉公を為す。」ということです。
異体同心
そして二つ目は「異体同心」です。「異体同心」というと、僧俗の間の異体同心と信徒同士の間の異体同心を思い浮かべるかと思いますが、ここでは主に御僧侶と信徒さんの間の異体同心について考えてみたいと思います。
顕正会では御僧侶の存在がありませんからピンと来ないかもしれませんが、そもそも三大秘法抄の御遺命の戒壇の一節にも「有徳王 覚徳比丘」の説話に言及しております。つまり僧俗間の異体同心は仏国土実現の必要条件なのだと私は捉えております。
本気でやってみたことあるかい?
この二つの言葉は日蓮正宗に入ると耳にタコが出来るほど聞かされます。ゆえに「そんなこと知ってるよ。」だとか、「また言ってるわい…。」なんて右から左に聞き流してしまっている人も多いかと思いますが…、
「実際に本気でそれを実践してみたことあるかい?」
と問われたらどうでしょう?本当にそこまでやったことはあるでしょうか?
大聖人様の御書も、御法主上人の御指南も、御住職様のご指導も、信徒さんたちの機根に合わせてお話しされますから、結構オブラートに包んで受け入れやすいように優しく説かれていると私は思います。
しかしながら、ひとたび機根の違う人々が集う場になると一気にその厳しさを増すのです。
そして、その厳しいご指南を真正面から受け止めて、歯を食いしばり、時にはあまりの厳しさに涙を流しながらも黙々とやっていった時に諸天は一気に動き出すのです。
次回は一つずつ詳しく述べたいと思います。
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