mtakizさんとの対話 国立戒壇について 2018.12.022024.03.06 先日よりmtakizさんという顕正会員さんとTwitterでやり取りをしておりますが、Twitterでは文字数の制限等で使いづらいためこちらに場所を移したいと思います。
コメント
とりあえず近々のmtakizさんの投げかけを以下に投稿しておきます。
貴方のブログ内容は、もう既に読みました。
貴方が勘違いしている事は、良く分かりました。
貴方の勘違い①
「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。」
↑
広宣流布した後の「事の戒壇」は戒壇の大御本尊様が御安置故に「根源」他は枝流
勘違い②
『本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、道理なり。亦義の戒壇と名づけん。謂わく、戒壇の本尊を書写して之を掛け奉る処の山々寺々家々は皆是れ道理の戒壇なり。「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」等云云。』
↑
戒壇の大御本尊様は秘仏故に、御宝蔵は「道場」にはなり得ません。
日享上人の「仏教手保登記」も同一徹です。
勘違い③
貴方のブログ「天月と池月」で「従本垂迹如月現水」を説明してますが、これは「顕本」に使われる論です。
勘違い④
「当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ則ち【事中の事理】にして述門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。」
↑
【事中の事理】とは「文底独一本門事」の中の「事」「理(義理)」であり「述門の理戒に同じからず」
即ち、大聖人様独顕の「文底独一本門事」に対比すれば「天台通途」の「事理」が通じて「理」となる。
文上脱益の「理」と勘違いしてはならないと、日寛上人は戒めてらっしゃるのです。
故に「義の戒壇」と名づけると仰せです。
日享上人が証言されてます。
戒壇の大御本尊様は、御宝蔵に「秘蔵」されていたが、強信により篤縁により、やむ無く「内拝」が許された。との事です。
「蔵」ですから、お題目を唱える修行の場所ではありません。
広宣流布の時至らずとも「内拝」する時は「義理・事の戒壇」即ち「義の戒壇」です。
上代に置いては「内拝」は無かったのですから「嫡嫡書写」の御本尊様が安置された「道場」が義の戒壇です。
お返事ありがとうございました。
間違ったことを述べてはいけないと思い一つずつ再確認しながら筆を進めておりますので、未だ最後まで書ききっておりません。
ただいつまでもお待たせするわけにもいかないので書きあがったものからアップしていきます。途中の場合は「つづく」と表示し、終了しましたら「おわり」と明示したうえでTwitterにてお知らせしますのでよろしくお願いいたします。
まず「勘違い①」の件ですが、引用されたのは法華取要抄文段の一節ですね。この部分こそ法体に約しての「事」と「義」が説かれているわけです。「根源」とは「事」のことであり、「枝流」とは「義」のことです。その比較相対を論じている部分ですよね。mtakizさんの「『事の戒壇』は戒壇の大御本尊様が御安置故に「根源」他は枝流」との発言はそのままこの文が法体に約しての事・義の立て分けであるということを証明しているのではないでしょうか。
法華取要抄文段では事相に約しての立て分けを基本的には論じていると思います。その事相に約しての立て分けの中において同じく「義の戒壇」と表現されてしまう戒壇堂にも法体に約しての「事」「義」の立て分けが存在することを( )書きのような形で日寛上人は挿入されたと私は拝しております。
(つづく)
議論の形式、理解致しました。
お互い多忙でしょうから、気長に行きましょう。
私は回答を急かしたりはしません。
間違える事は、私にもあると思います。
その時は、正直に訂正すれば良い事だと思います。
それでは、お互い理を尽くし、真摯に有意義な議論をしましょう。
宜しくお願い致します。
ありがとうございます。
これは私の勝手な憶測ではありますが、おそらくmtakizさんと私は同年代なのではと感じております。
家庭や仕事など他にもやらなければならないことが多々あるわけで…。
そんな中でもこちらも真摯に対応させていただくつもりですので、今後とも何卒よろしくお願い致します。
かしこまりました。
匿名になってしまいましたので、
改めて
かしこまりました。
勘違い②に関して
引用された報恩抄文段の箇所は嫡々書写の御本尊様に関する部分であり、「道場」であっても何ら問題はありません。
なお、ここで日寛上人が仰せになった「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」というのは依義判文抄「第七に神力品の『爾時仏告上行』等の文」の部分にある「所以は何」に続く部分のことです。(顕正会版六巻抄101ページ6行目)(大石寺版六巻抄101ページ10行目)
ここは「釈」の部分であり、それ以前にあげられた文言を解き明かした部分にあたります。すなわち嫡々書写の御本尊様も戒壇の大御本尊様も含めたうえで「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とされています。これと同様のことは法華取要抄文段にも見られ、
「初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。経に云わく「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台の云わく「仏其の中に住す、即ち是れ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。」
と本尊所住の処が義理の戒壇であるという根拠として「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」とし、「故に」大石寺は本門戒壇の存する霊地なんだと仰せになってます。
話があちこちと飛びましたが、詰まるところは報恩抄文段では嫡々書写の御本尊様をさして「当に知るべし、是の処は即ち是れ道場」と申されておりますが、日寛上人の解釈では戒壇の大御本尊様においても同じ表現をされるということではないでしょうか。
(つづく)
勘違い③に関して
これは当流行事抄の一節
「問う、寿量品が家の方便品とは其の相如何。
答う、通じて迹門に於て自ずから両意有り。一には顕本已前の迹門、是れを体外の迹門と名づく、即ち是れ本無今有の法なり。譬えば「不識天月但観池月」の如し。二には顕本已後の迹門、是れを体内の迹門と名づく、即ち本有常住の法と成るなり。例せば「従本垂迹如月現水」の釈の如し。此の二義諸文に散在せり云云。今は是れ体内の迹門を読誦する故に寿量品が家の方便品と云うなり。」(顕正会版六巻抄163~164)(大石寺版六巻抄164)からの引用ですね。
戒壇の大御本尊様と嫡々書写の御本尊様との関係を「天月と水面に映った月」になぞらえた比喩は確かに無いかと思います。ゆえに私は冒頭において「ただ、この先のお話はあくまでも私が個人的に理解するための方法として考えているものですから、日蓮正宗本来の考え方とは微妙にずれる部分もあるかもしれません。したがいまして法華講員の方々におかれましてはここから先のお話は一つの参考程度に捉えて頂き、あくまでも所属寺院の御住職様のご指導に従ってください。」とお断りをさせて頂いた上で話を進めております。
仮に内部から正式なルートを通じての御批判があればしかるべく対応はするつもりでおります。現時点においては何らご連絡もありませんのでそのままにしている次第です。
その上でですが、天月と水面に映る月の表現をしたものはmtakizさんが御指摘されたもの以外にも存在します。その一部を上げるだけでも、
「月は影をおしまざれども水なくばうつるべからず。仏衆生を化せんとをぼせども結縁うすければ八相を現ぜず。」(開目抄 新編 553ページ)
「大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ是なり。」(法華取要抄 新編 733)
「有縁の仏と結縁の衆生とは譬へば天月の清水に浮かぶが如し。」(法華取要抄 新編 733)
「譬へば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび」(千日尼御前御返事 新編1290)
「器は大地のくぼきが如し。水たまるは池に水の入るが如し。月の影を浮かぶるは法華経の我等が身に入らせ給ふが如し。(乃至)器は我等が身心を表はす。我等が心は器の如し。」(秋元御書 新編1447ページ)
「一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説く。かゝる故に不定なり。法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏なり。譬へば天月の東の山の端に出づれば、其の時即ち水に影の浮かぶが如く、音とひゞきとの同時なるが如し。」(上野殿尼御前御返事 新編1574)
「夫諸仏の慈悲は天月の如し。機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に移し給ふべき処に、正像末の三時の中に末法に限ると説き給ふは、教主釈尊の慈悲に於て偏頗あるに似たり、如何。答ふ、諸仏の和光利物の月影は九法界の闇を照すと雖も、謗法一闡提の濁水には影を移さず。」(三大秘法稟承事 新編1593)
すぐさま頭に浮かんだだけでもこれだけ存在するのですよね…。また当流行事抄を顕された日寛上人においても、
「讐えば水無き池には月の移らざるか如し。若し刹那も信心有らば即ち一念三千の本尊を具す。故に「介爾も心有れば即ち三千を具す」と云うなり。讐えば水有る池には月便ち移るが如し。宗祖の所謂「此の御本尊は只信心の二字に収れり」(一三八八)とは是れなり。」(開目抄文段 文段209ページ)
と、このようにも表現されるわけです。
私の譬えが的確か否かの問題は置いといて、とりあえず天月と水面に映る月の比喩はmtakizさんが御指摘くださった場合のみにしか使えないということは無いということをお返事しておきたいと思います。
(つづく)
勘違い④に関して
この部分に関しては近々の私の投稿にて解釈をした覚えはありません。
https://kenshokai-hashaku.com/kaidan/
この記事において該当部分は引用しましたが、解釈を加えたのはその次の段落からであり、当然のことながらmtakizさんが仰せの日寛上人の意図はそのままに拝しております。
これは推測ですが以下の記事において該当部分を戒壇の事・義ならびに事中の事・義と書いた記憶はありますので、そのことをおおせになっているのでしょうか?
https://kenshokai-hashaku.com/post-124/
これもまたゆっくり読んでいただければ、日寛上人の御指南はそのまま拝したうえで、
「この戒壇の大御本尊様の“義”と、嫡々書写の御本尊様の“義”との関係もまた同じことがいえましょう。あくまでも戒壇の大御本尊様と、嫡々書写の御本尊様との関係は、“事”と“義”であります。その“事”である戒壇の大御本尊様の中で、さらに“事”と“義”が開かれるわけです。つまり、戒壇の大御本尊様の御在所の“事”と“義”は、あくまでも「事中の“事”と“義”」であり、嫡々書写の御本尊様の“義”と同列に括ってはいけないのです。」
とお話ししたのであって、日寛上人の御指南の捉え違いを犯しているものではありません。
また事と義という言葉は事相に約した戒壇のみに限定して使用されるものではないことは既に説明しましたし、天月と水面に映る月の譬えも「従本垂迹如月現水」に限定する物ではないこともまた説明したように、今回の「事中の事・義」という表現もまたちゃんと意味合いが合致しているのであるならば、その表現を流用して説明にあてることは決して間違いではないと信じるものです。
(つづく)
12/6追記
私の一歩踏み込んだ話とは違いますが、この部分に関しての御隠尊猊下の御指南が「三大秘法義」にあります。この御指南が現時点における日蓮正宗の正式な公式見解になると思いますので参考までに紹介しておきます。
「すなわち、義の戒壇の「義」とは、末法の本門の故に事中の「義理」ということであり、本門の本尊を安置する所は、義理が事の戒壇に当たるということである。また、広宣流布の時に至れば、閻浮一切の寺院等に嫡々付法の歴代上人書写の御本尊が安置されることになるが、それらは皆、義の戒壇である。しかし、これらは枝流の戒壇であって、根源の戒壇ではない。
すなわち、本門戒壇の大御本尊御安置の所が事の戒壇の霊地であり、根源なのである。」
(三大秘法義 563ページ)
「秘蔵」の件ならびに「事中の事・義」の物差しに関して
戒壇の大御本尊様が上古の時代は「秘蔵」されていたとの誤解に関して少々述べさせていただきます。
以前私が記事にしたように第17世日精上人の時代までは御宝蔵に遷されることは無く、「本堂」に御安置されていました。
その後日精上人の時代に御影堂にご安置され、その後に御宝蔵に納められたのです。
https://kenshokai-hashaku.com/gokaihi-fukei/
ゆえに浅井さんの言うような「広布の日まで秘蔵」というのとは少し違っているですね。
最後になりましたが、mtakizさんの事・義の立て分けの物差しは「内拝」ということになっているようですが、日寛上人の仰せにはそのような基準は一切ありません。
日寛上人の立て分けの物差しは『法体に約す場合は「根源」か「枝流」か』、『事相に約す場合は「塔(建物)が有る」か「否か(その場合本尊所住の処がその義にあたる)」』という二つの明確な基準のみなのです。
大変にお待たせし、かつ長い文章となってしまいましたが、以上をもってmtakizさんへのお返事とさせて頂きたく思います。
(おわり)