前回までは法華取要抄文段の戒壇の御指南に関して私の解釈を述べたわけだが、それに基づき彼からのTwitterにおける返信に反論しておく。
Twitterでの投稿ならびに反論
天月 池月
この返信は何を言いたいのか今一つ理解し難かったのだが、先日他のスレッドにおけるやり取りでハッキリした。
つまり彼が言いたいのは、戒壇の「事」「義」は日寛上人が初めて言い出されたことであるが、日寛上人はその中で「広宣流布以前における戒壇の大御本尊所住の処を事の戒壇とは言っていない。」、「法体に約しての事の戒壇」というのは日達上人が初めて言い出されたことであり、それは日寛上人の御指南とは反する。ゆえにそれは本来の大聖人様の仏法には存在しないものなのである。といったところだろうか…。
一見すると「なるほど…。」と感じてしまうかもしれないが、実はこの発想は大石寺に伝わる大聖人の仏法の本質をよく理解できていない者の誤解なのである。
「法体の真秘は本来の月の如し。」(文段 539)
「文底の行者は久遠元初の月を見るなり。」(文段 539)
「 今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり。」(六巻抄 66ページ)
上記のごとく大聖人を天月とし、その月の姿は代々の御法主上人の器の水面に映るとされている。大聖人滅後の衆生たる私たちはこの御当代御法主上人の器に映った月を見て天月を識るのである。
すなわち水面にどう映っているかが問題なのではなく、その水面の月を見て天月をどれだけ正確に知り得るかが問題なのである。
譬えるならば、月の模様を「ウサギの餅つき」と見るか、「カニ」とみるかは問題ではなく、重要なのは「月の模様はクレーターや海と呼ばれる地表の状態によって、そのような模様に見えるのである。」ということを正確に知ることなのである。
そういった意味からは、極論すれば「事の戒壇」「義の戒壇」という言葉自体も問題ではない。日寛上人がそれらの言葉を使用して説かれた戒壇の道理を正確に理解できるか否かが問題なのである。
日寛上人の戒壇の御指南も、日達上人の御指南も、大聖人様の戒壇論の道理といささかも相違するものでないことは前回の記事までで述べさせていただいた。
それでも未だこの道理が理解出来ずに言葉遊びに終始するようであるならば、
「徒に水影に耽りて天月を蔑ろにす、寧ろ天月を識らずして但池月を観ずる者に非ずや。」の謗りを受けることになろう。
破折
ここでの彼の間違いは「本門の本尊」に嫡々書写の本尊を入れてしまって解釈しているところにある。ここでの「本門の本尊」とは戒壇の大御本尊のみを指しておられる。また、「本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。」として広宣流布以前の戒壇の大御本尊所住の処は「事の戒壇」に相当するというのが正しい解釈なのである。
すなわち法華取要抄文段における「義の戒壇」とは「皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」をもって「義の戒壇」とし、「本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。」をもって「義理、事の戒壇」とし、そのうえで事相をもって御遺命の戒壇を「正しく事の戒壇」と立て分けるべきなのである。
分かりやすく図解にすると以下のようになる。
前回の記事でも言及したが、日寛上人は「正しく」の一語を入れている。すなわち御遺命の戒壇を説かれる前に「御遺命の戒壇に準じた事の戒壇」を説かれているのである。
それこそが上記の「本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。」とする広宣流布以前の戒壇の大御本尊所住の処がそれに該当するのであり、自ずと「嫡々書写の本尊安置の処」と「戒壇の大御本尊所住の処」との比較相対がここで行われる。
以上、法華取要抄文段においても「法体に約した事の戒壇」は歴然と見てとれるのである。
上記でも申し上げたが、冒頭3段で戒壇の大御本尊所住の処は義理が事の戒壇にあたる。として日寛上人は「事の戒壇」に立て分けている。そのうえで「皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。」として嫡々書写本尊安置の処を「義理の戒壇」に立て分けているのである。
ここでの彼の間違いは戒壇の大御本尊所住の処の義理と嫡々書写本尊安置の処の義理を同じ括りで扱っているところにある。
この二つは言葉は同じ「義理」であってもその意味する物差しは全くの別物なのであり、一括りにして扱うことは出来ないのである。
これは非常につまらぬ難癖である。上記の天月池月の項でも述べたが、大事なのは大聖人様の説かれた戒壇論が頭に入っているか否かなのである。すなわち上記の三大秘法開合の相がキチッと頭に入っていることが肝心なのであり、広宣流布以前の戒壇の大御本尊様の御在所を「事の戒壇」と呼ぼうが「義の戒壇」と呼ぼうがそんなことは大した問題ではない。
それでは実際はどうだったのかと言えば、日淳上人の御指南を見ても仏教てほどきという昭和初期の在家信徒の書を見ても、すべからく上記の開合の相と同じことを述べておられる。要は正本堂の問題が起きる以前も以後も、そして現在に至るまで日蓮正宗の開合の相は全く変わっていないということなのである。
最後に大草さんに対するイチャモンは「切り文するな!」とだけ言っておく。その前の文章を見れば「本尊に関しても題目に関しても二重の事を認め云々。」という説明があるではないか。印象操作をするような汚いことはしてはいけない。
彼は「それ相応の文証」と鼻息も荒いが、そこまでの必要も無かった。すべては日寛上人の御指南で我が義を証明して見せた。次は彼が文証をもって私の解釈を論破する番であるが…。出来るのかなぁ…。
次回は最後の「報恩抄文段」に関して述べてみたいと思う。
コメント
今回の三大秘法開合の相はいかがなものかと思いました。特に戒壇の部分が美的ではない。言いたいことはわからなくもないのですが、これでは顕正会員の納得を得られないでしょう。それにしても今回の連載も難解を極めるためでしょうか、コメントを寄せる人が皆無のようですね。たぶん面倒臭くて関わりたくないというのが普通の人の感覚なのでしょうね。
美しさが問題なのは若いホステスさんであり、戒壇に関しては美しくなくても構わないかと私的には思います…。
>これでは顕正会員の納得を得られない
謗法の念慮を払ってからでないと御受戒を受けることは出来ませんから、最初からズバッと言い切ってしまった方が逆に親切ではないかと思っています。
>コメントを寄せる人が皆無のようですね。たぶん面倒臭くて関わりたくない
たしかにその通りですよね。そこに敢えてコメントを寄せる巖虎さんは「相当に面倒くさい人だ。」とブーメランが突き刺さっているような気がするのは私だけでしょうか…。(笑)