前回までの記事に関して反論が顕正会員さんから入りました。先ずはその反論を紹介します。
顕正会員さんの反論
このような反論が入ったわけですが、上記の開合の相の画像のところで「矛盾」という一言が理解できなかったので追って質問致しました。その回答が以下になります。
ざっとこんな感じです。複数の角度からお話しされていますが、つまるところは戒壇の大御本尊様と一機一縁の御本尊様の違いに関する認識が私たちとは相違するといったところでしょうか。これに関しては法華講員の菊水護国さんが直ちに以下のように説明してくださいました。
非常に簡潔かつ要点を絞った説明で、私の言うことが無くなってしまった感がありますが、違った観点から少しお話をさせて頂けたらとも思います。それでは一つずつ見ていきましょう。
血脈の切れた本尊
この①に関してですが、以前の私の記事
に対する反論かと思います。結論から先に言えば、ここで私が述べたのは御在世当時の話であり、その後に上野殿ならびに阿仏房が賜った御本尊が日蓮正宗僧俗の手をはなれて血脈が切れた本尊になるか否かは考慮には入れておりません。ゆえに的を外した反論であるということを先に述べておきます。
話を戻しまして、いわゆる「血脈の切れた本尊」は拝む対象で無いことは日蓮正宗も顕正会も認識は同じことかと思います。法華講員のT.Iさんが昭和61年の浅井さんの発言を教えてくれました。
上記はスクリーンショットのため全文が読めませんので、以下にこの記事の当該部分を紹介します。
この浅井さんの話を読んでも理解できるように血脈の切れた本尊からは大聖人様の魂魄は離れられているがゆえ拝んではいけないわけです。当然のことながら血脈の切れた御本尊は六大秘法の範疇には入りません。しかしながらmtakizさんは重大な勘違いをされている。私が上野殿や阿仏房の話をしたのは御在世当時のことです。当時における彼らが所持されている御本尊は明らかに血脈の通った一機一縁の御本尊様なのです。したがってこれらは六大秘法の中に含めて考えるのは当然のことでしょう。
ゆえに①の反論は的を射てないものとなります。
戒壇の大御本尊と一機一縁の御本尊
次に「矛盾」云々の反論ですが、これは要約すれば「戒壇の大御本尊様も一機一縁の御本尊様も御内証を書写し奉ったものであるがゆえ、そこに差別など存在しない。したがって両者を「事」「義」に立て分けるべきではない。」との意と拝しました。
この主張は部分的に見れば正しいものではありますが、全体観から見るならば間違っております。それを以下に論証してまいりましょう。
両者の違いについて
戒壇の大御本尊様と一機一縁の御本尊様の違いについては以下のようになっております。
御本尊には、万人を対象とした御本尊と、末寺や個人を対象にした御本尊とがあります。
万人を対象とした御本尊を「戒壇の大御本尊」といい、現在奉安堂に御安置されている「戒壇の大御本尊」ただ一体を指します。
それ以外の御本尊はすべて「一機一縁の御本尊」と称します。
(創価学会「ニセ本尊」破折 100問100答 旧版 176ページ)
「本門戒壇の大御本尊」は、根本となる究極の御本尊であり、「各家庭の御本尊」は、御本仏日蓮大聖人より日興上人、日目上人へと、大聖人の御内証の法体を唯授一人血脈相伝される御歴代上人が、根源たる本門戒壇の大御本尊の御内証を書写された御本尊です。
(創価学会「ニセ本尊」破折 100問100答 32ページ)
御本仏日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安二年十月十二日に御図顕された人法一箇の「本門戒壇の大御本尊」が本宗の根本の御本尊です。これに対して、各家庭や各人に下付される御本尊は、その根源の本門戒壇の大御本尊の御内証を、唯授一人血脈付法の御法主上人が、その権能において書写され、本宗僧俗に下付されるのです。したがって、本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊は、もとより能開と所開の関係にあることを知らなければなりません。(創価学会「ニセ本尊」破折 100問100答 42ページ)
問う、当門流に於ては総体・別体の名目、之を立つべからざるや。答う、若し其の名を借りて以て其の義を明かさば、本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり。
(御書文段 243)
それより御弟子方や信徒の方々に御本尊を御授与遊ばされたのでありますが、此等の御本尊は御授けなされた弟子や信徒の方々を御導き遊ばされるための御本尊でありますから一機一縁の御本尊と申し上げるのであります。即ち一人一人へ御授け遊ばされた御本尊といふ意であります。
(中略)
しかし大聖人は末法万年の御化導を遊ばされるのが御本意であらせられます。此に一切衆生を御導き遊ばされる御本尊が建立せられなければならないのでありまして此のための御本尊を弘安二年十月に建立遊ばされ玉ふたのであります。此の御本尊はそれ故に一切衆生総与の御本尊と申し上げるのであります。
(日淳上人全集 1018ページ)
これらの御指南を見ても分かるように戒壇の大御本尊様は一切衆生に与えられた御本尊であり、一機一縁の御本尊は「末寺や個人を対象とした御本尊」なのです。そこには自ずと各々の役割が存在するわけであり、御内証が同一であるがゆえに同じ括りにしなくてはいけないという論は甚だ乱暴であるとお答えしておきたいと思います。
なお、分かりやすい例を考えるならば、葬儀等に掲げる導師曼荼羅も戒壇の大御本尊様の御内証を書写されたものであることは説明するまでもありませんが、この導師曼荼羅に向かって朝夕の勤行をされる方はいないですよね?御本尊にはそれぞれ役割がある…。
そういうことです。
究竟と未究竟
最後に「究竟」と「未究竟」に関して触れてみたいと思います。
この彼の発言が何を意味するのかを考えてみるに、おそらく弘安以降を「究竟」としそれ以前を「未究竟」と捌く日寛上人の御指南をもって御本尊様の「勝劣」を論じているものと捉えていらっしゃるのではないかと推察いたしました。
しかしながらこれは一つ一つの御本尊様について「究竟」「未究竟」を言われているのではなく、御化導の時期に約して「故に弘安元年已後、究竟の極説なり」と申されているのです。
すなわち御本尊様の讃文の「二千二百三十余年」は、釈尊が寿量品を説き始めてから試算すると弘安元年は二千二百三十一年に当たる故、大聖人の一大御化導は弘安元年以降が究竟であると日寛上人は仰せであるのです。
したがってこの「究竟」「未究竟」をもって御本尊の勝劣を論じているというのも誤りであると申し上げておきたいと思います。
以上をもって取り急ぎmtakizさんへのお返事としたく思います。
コメント