なぜ顕正会員は「法体に約しての立て分け」が理解できないのか?

顕正会教学部対策

顕正会員が法体に約しての立て分けを理解できない理由は…。

 

習っていないからである。

 

非常に単純な理屈なのです。それでは彼らがどのように認識しているのかを彼らの教科書ともいえる基礎教学書、折伏理論書から見ていきましょう。

 

 

基礎教学書

 

 また「戒壇に義有り事有り」とは、義の戒壇とは、広布以前に戒壇の大御本尊がまします所であり、さらに歴代上人書写の御本尊まします所も枝葉としてその義に当る。まさしく事の戒壇とは、御付嘱状・三大秘法抄の御遺命のままに、広宣流布の暁に富士山天生原に立てられる国立戒壇である。

(基礎教学書 日蓮大聖人の仏法 43ページ)

 

現在の顕正会員の教科書はこの「基礎教学書」なんですがね…、あらためて確認してみて…、

 

 

「えっ!これだけ?」

 

 

と驚いてしまいました。戒壇の事・義の立て分けは日蓮正宗僧俗との対論では柱となる部分ですよね。それなのにこれしか説明しないで果たして対論に勝とうという意思はあるんでしょうか?

 

既に日蓮正宗とは戦う意欲も無いというのが本音なんでしょうね。

 

 

これではお話しにもなりませんので、過去の教科書であった「折伏理論書」を確認してみましょう。

 

 

折伏理論書

 

本門戒壇の事と義について

 

近年、創価学会が正本堂を御遺命の戒壇と偽ったことから、日蓮正宗の中で本門戒壇の事と義について法義上の混乱が見られるので、重ねてここに附言する。

 

まず戒壇の事と義とはどういう意味かといえば、事とは事相(事実の姿)、義とは義理(道理としてその意義がある)の意である。

 

すなわち、大聖人が三大秘法抄等に御遺命された本門戒壇は、広宣流布の時が至って始めて“事実の姿”として建立される。ゆえにこの御遺命の戒壇を事(事相)の戒壇というのである。

 

では、広宣流布以前において本門戒壇の意義はないのかといえば、そうではない。たとえ広布の時至らず未だ事の戒壇の建立はなくとも、事の戒壇に安置し奉るべき「本門戒壇の大御本尊」まします上は、その所は義として本門戒壇に当る。ゆえに日寛上人は「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊存する上は其の住処は戒壇なり」(寿量品談義)と仰せられている。これが義の戒壇である。また日興上人以下嫡々歴代書写の御本尊安置の道場も、遠くは枝葉として義の戒壇の意味を持つ。 ― 以上が日蓮正宗伝統の、本門戒壇の事と義についての定義である。

 

(折伏理論解説書 日蓮大聖人の仏法 (初版)123ページ (改訂版)127ページ))

 

こちらは少し詳しく書いてありますが、法体に約しての記述は赤字の部分のみなんですね。

 

これ自体は間違いでも何でもありません。ただし、「嫡々書写の御本尊」の御在所を「義」だとするならば、それに相対する「事」の存在があるはずですよね。それに対する言及がないところに顕正会員の99.99%が「法体に約しての立て分けを理解できていない。」という根本原因があるのです。

 

 

法華取要抄文段

 

それでは浅井さんはどこからこの「嫡々書写の御本尊は枝葉として義の戒壇の意味を持つ。」などという解釈を引っ張り出してきたかと言いますと、日寛上人の法華取要抄文段の以下の記述からでありましょう。

 

 

 

当に知るべし、本門の戒壇に事有り、理有り。理は謂わく、義理なり。是れ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず。其の名に迷うこと勿れ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。

 

 

初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇に当たるなり。経に云わく「当に知るべし、此の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台の云わく「仏其の中に住す、即ち是れ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。

 

 

亦復当に知るべし。広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則んば増上して真証を濫さん」等云云。今いま日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖の云わく「根深ければ枝繁く源遠ければ流れ長し」等云云

 

凡そ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く、源遠きに非ずや。故に天台の云わく「本極法身は微妙深遠なり」等云云

 

 

次に正しく事の戒壇とは、秘法抄十五三十一に云わく「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に三の秘法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁世の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」等云云

 

(法華取要抄文段 542~543ページ)

 

この赤字で示した部分が浅井さんの根拠なのですが、ここでの「義理」とは「根源たる戒壇の大御本尊様の意義に通じる枝流としての御本尊安置の戒壇」という意味で「義の戒壇」と日寛上人は仰せなのです。

 

つまり、赤字で示した「義の戒壇」に相対するのは青字で示した「戒壇の大御本尊様所住の処」であり、そこが当に嫡々書写の本尊安置の「義の戒壇」に対する本門根源「事の戒壇」となるわけですね。

 

浅井さんの説明にはこの青字の部分が意図的に省略されているわけです。

 

そして、昭和45年4月以降に日達上人が仰せになった「事の戒壇」とはすべからくこの「法体に約した事の戒壇」すなわち「本門根源事の戒壇」ということなのです。

 

 

 

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追記

以前に同様の記事を書いたことがあるのですが、これらも併せて読まれると理解が進むかと思います。

 

事の戒壇 義の戒壇 1

事の戒壇 義の戒壇 2

事の戒壇 義の戒壇 3

コメント

  1. トチロ~ より:

    匿名さんへ

    顕正会員さんと思われますが、法義をもって反論できないならば黙っていた方がよろしいのではないでしょうか?

    顕正会員のお頭のレベルが疑われる投稿は真面目な会員さんにとっても迷惑千万でございます。

    とりあえず「バカ丸出しの投稿」は削除させて頂きました。

    再度投稿されるようでしたらIPを晒しますのでそのおつもりでいてくださいね。

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