昭和45年4月6日以前の文証に対して

顕正会教学部対策

顕正会教学部のイチャモンに一々真面目に対応していると彼らのペースに巻き込まれます。

 

ゆえに論議の必要の無い部分は一刀両断に切ってしまうのが最善です。

 

そのような観点からは昭和45年4月6日御虫払以前の文証を出してきての邪難は「論議の必要なし。」と相手にしないのがベストです。

 

破折

 

顕正会の主張では「『正本堂』に就き宗務御当局に糺し訴う」の一書をもって、当時宗内に蔓延していた「正本堂は御遺命の戒壇」との認識を一掃したとしている。

 

これは事実であり、日達上人は上記の書が届いた直後の昭和45年4月6日の御虫払会において

 

「有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります。」

 

と仰せになり、現在建設中の正本堂は御遺命の戒壇には当たらないと宣言された。これを境にして宗内からは正本堂を御遺命の戒壇とみる発言は無くなったのである。

 

換言すれば、浅井氏の唯一の功績がこの一点にはある。君らがこの一書を出す前の発言をもって未だその誤った認識が続いていると主張するのは、浅井氏の功績をもまた否定することにつながるがそれでよろしいのか?

 

参考資料

 

日達上人御説法 7ページ (大日蓮には掲載されず、当時の御住職様宛に送られたもの)

 

大日蓮 平成16年12月号33ページ

 

 

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