顕正会員との対論において必ず出てくるのが「事の戒壇」「義の戒壇」の話ですね。
私も日蓮正宗に入って14年間ずっとこの話ばかりしてきたので、いい加減うんざりしてきているというのが正直なところで、
「え~、また話すのぉ…?」
なんて最近は思わず表情にまで出てしまう始末です。
ただ、日興上人の「まだ聞かぬ 人のためには ほととぎす いくたび聞くも 初音なりけり」とのお歌を思えば、欲する人がいるのなら何度でも話さなければいかんなと反省し、相当に長くなりますが書いてみたいと思います。
ちなみに、ほととぎすとはこういった鳥ですね。
鳴き声は「本尊かけたか?」
バックコーラスにウグイスの「法(は)法華経!」が入っており、なんとも目出度い動画でございます。
ってなわけで「本日はこれにてお終い!」としたいところですが、せっかく飛んできてくださった方々のために1つだけお話ししておきましょうね。
戒壇の事と義の立て分けには2種類ある
顕正会員さんの99.99%はこのことをハッキリと理解しておりません。
ゆえに「日達上人が正本堂を指して事の戒壇と言った!これは御遺命破壊だ!!」と来るわけですが、日達上人は「法体に約して事の戒壇」と仰せになっただけであり、「広宣流布は成った。さればこの正本堂が事相に約しての事の戒壇だ。」と仰せになったわけではありません。
すなわち、御遺命は破壊されてはいないのですね。
彼ら(顕正会教学部)は様々な日達上人のお言葉を用意してくるでしょうが、それらを一つ一つ検証していけば必ず「法体に約して事の戒壇」としか解釈できないものばかりでしょう。
ですから先ずは焦らずに提示してきたお言葉の原本にあたり、その前後の文まで拝読したうえで「それは法体に約した立て分けなんですよ。」と説明してあげたら良いと思います…。
しかしながら、魔民部の連中がおとなしく言うことを聞くはずはありませんから、その時は「浅井さんもその点は分かってるなずなんだけどな♪」と言って以下の文章を読ませればよいのではないかと思います。
「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う
「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う(昭和46年11月15日)
五、「事の戒壇」の定義について
次に「事の戒壇」の定義について確認をしておかねばならない。その故は、昨年五月の学会総会に於て、猊下が「正本堂は事の戒壇である」と仰せられたことに就き、”猊下も既に御認承”と、かえって誇称するを屡々聞く故である。総会に先立って森田副会長に念を押した憂いの一つはこれであった。
申すまでもなく、猊下がたまたま仰せになられた「事の戒壇」とは、宗門古来の定義とは全く別な意味であられる。従来宗門に於ては、一天広布の暁に事相に立てられる国立戒壇を「事の戒壇」とし、その実現こそ宗門のいのちをかけた悲願であった。だが、諸々の法相は所対によって異ると、さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所住の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。
此のことは、昨年四月二十七日の大客殿に於ける御説法に明かである。即ち
「この御本尊在すところは事の戒壇で、この御本尊が事の御本尊である。事の御本尊である故に、この御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります」と。猊下の御意は以て明かである。
だが、学会で従来用いて来た「事の戒壇」の意味は宗門古来よりの定義に準じている。その定義を以て「正本堂を事の戒壇」と断定するから仏法の違背というのである。
(富士第140号25ページ)
まさしく現在の御宗門の主張することをそのまま代弁しているのですね。
ハッキリ言ってこの一文だけで教学部は何も反論は出来ないと思いますよ。
あとは、
「用が済んだならさっさと帰れ!」
といって塩でも撒いてやれば良いのではないでしょうか?
あまり詰め込み過ぎても続きませんから、本日はこの辺で…。
追記
以前に同様の記事を書いたことがあるのですが、これらも併せて読まれると理解が進むかと思います。
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