昭和47年の訓諭は顕正会員さんには有名なものですが、正本堂の御供養を募る際にも訓諭は出されました。
対決申し入れに対する返書の言わんとしていることを100%理解するためにも参考資料として読んで頭に入れておいて下さい。
訓諭
夫れ以るに末法の本仏宗祖日蓮大聖人、一閻浮提第一の本門戒壇の大本尊を此の国に建立せられてより六百八十六年なり。而して妙法の唱え日本国乃至世界に満ち、誠に広宣流布の金言虚しからずと云うべし。
茲に法華講総講頭池田大作、時に感じ、我が総本山に正本堂を建立供養せんことを発願す。
その堂たるや設計に意を留め、その資材を各国に求め近代建築の粋を集めて、世界に未曽有の殿堂たらしめんとするなり。
日達、此の正本堂に本門戒壇の大本尊を安置して、末法一切衆生の帰命依止、即身成仏の根源となさんと欲するなり。
宗内の僧俗は、一結して今生に再度となき此の大事業に随喜して自ら資力の限りを尽して供養し奉り、信心の一端を抽んでられんことを望む。
案ずるに末法に於て大本尊に供養する功徳は在世の仏に万年の供養に勝るか。
されば天台大師は「香城に骨を粉き雪嶺に身を投ぐとも、亦何ぞ以て徳に報うるに足らん」と云へり。
冀くは、本宗の緇素、仏恩を深く思い、能く鑑みて蔵の宝に執著することなく大本尊に供養して、以て身の福運を安明に積まんことを。
昭和四十年九月十二日
日蓮正宗管長 細井日達
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