私達がいた地方の組織は、ほとんどが学生か社会人に成りたての、若い人材の宝庫でした。
会長が自ら足を運んで、事務所を開設したり、男子部長、女子部長、支隊長だった次男君が、常に通って励まし、なんとかカタチにしたかったのでしょう。今になって当時を顧みると、私達に対する期待が如何に大きかったのかと、痛感するのです。
私達は、広宣流布、国立戒壇建立に向けて、希望に燃えていたのです。
高校生は自転車で、学生はバイクやポンコツの軽自動車で、無けなしのお小遣いで、一生懸命ご奉公に飛び回り、活気に溢れておりました。
自分たちの力が、広宣流布のお役に立てる!
広宣流布はもうスグそこにある!あと20年以内には国立戒壇を建立する!
まだ、男子、女子、壮年、婦人の、四者が競って切磋琢磨しながら和気あいあいと戦っておりました。
男子の対象者が女子なら、女子部や婦人部から応援がついて行きました。男子が対象者なら、支隊長クラスでも付いてきてくれることもありました。頼もしい兄貴分でした。
男子、女子の垣根はあまり感じませんでした。
同じ年代の男子、女子でカラオケに行った事もあったし、ウチの総班の女子と遊園地に行った男子に文句言ってみたり(笑)。
一生懸命、勉強もしました。当時は、録音はカセットテープでした。擦り切れるほど、聞きました。立正安国論等々暗記する程読みました。
親に、教師に、上司に、いろいろ妨害されても、自分たちの正しさ、アサイ先生の指さされるまま、信じてついて行きました。
懐かしい思い出です。
青春を費やしてしまったとは思いたくはありませんけれど・・・。
当時の若者も、社会に組み込まれて時代を作ってきた、もう一端の大人です。
残念な大人になっていませんか?
あの頃信じていた広宣流布はどうなりました?
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